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世界史化する時事論壇 1980年代以降、論壇誌や政府関係の刊行物、ビジネス系の雑誌に引っ張りだことなった女性がいます。 小説家・塩野七生(1937〜)です。 出典:『経済の動き』151、安田信託銀行調査部、1989年12月、1頁 たとえば1989年に安田信託銀行調査部の発行した刊行物に塩野のインタビューが載っています。 一口に云って、EC統合というのは既に歴史的に確立あれているヨーロッパを守ろうとする、防衛的な動きなのです。古代ローっまは現在のヨーロッパの領域に中近東や北アフリカも加えて、次々に拡大して行ったのですが、ECはこれとは逆に16世紀に国境線によって解体されて行ったヨーロッパを、もう一度元の姿に戻そうとするもので、日本や米国との経済競争に生き残ることがその狙いです。古代ローマ滅亡後の、中世と呼ばれる1000年間、ヨーロッパには今日のような国境はなく、ヒト、モノ、カネが自由に行き来
コロナ禍も明け、海外に出かけようとせっかく思い立ったところにふりかかる記録的円安…。これから夏にかけてどのように推移するかは不透明ではありますが、二の足を踏んでいる方も多いのではないでしょうか。 では、日本国内で海外を味わうことはできないのでしょうか? いえ、そんなことはありません! 「世界史」をキーワードに掲げて視点を変えてみれば、日本全国津々浦々、さまざまなところに海外の人や出来事とのつながりは潜んでいます いや、「世界史」と「海外」は別物じゃないか。 ——その通りです。 しかも、「まるで海外にいるような気分を味わえる」……というわけではありません。向こうから飛び込んでくる新鮮で華々しい光景もない。 見た目はいかにも地味なスポットがほとんどです。 だからこそ必要のなのは、「情報」と「想像力」。 「世界史」をキーワードにその土地を眺めてみれば、あなたと過去の世界、地域と海外の意外なつなが
●この連載について 今から筆者がお話しするのは、SDGsを世界史の中に位置づけてみようとする試みだ。だが、なぜわざわざそんなことをしようとするのか? 現在すでにSDGs終了後の次期開発目標(ポストSDGs)にかんする議論が動き出している。だが、日本の現状はどうだろうか? SDGsに対する「記号」的なイメージばかりが先行し、開発の最前線の議論や実践と、市井の印象のあいだのギャップも開いている。すでに初期段階から普及段階に移行し、日常に溶け込んでいるという評価もできようが、一時に比べれば人々の関心は薄れ、2021年頃からは冷笑的な反応とそれに対する対抗言説も目立つようになった。 誤解のないように付け加えると、筆者は、SD(持続可能な開発)は必要であると考えている。だが現場や専門的な知見のみならず、そもそも「開発」や「援助」に関する話題は必ずしも一般に共有されているとは限らない。他方で、経緯を踏
ようするに必ずしも「世界史」と銘打っていなくても、地政学という「学問」のアプローチを用いて、国家間の派遣争いを説明しようとすれば、結局は一定の歴史観にもとづいた「世界史」的な内容を含みもつことになります。 したがって筆者が「地政学的な世界史」と呼ぶ一般書は、必ずしも「地政学でわかる世界史」といったタイトルをとるわけではないということです。 2010年代以降に刊行された「地政学」をタイトルにもつ書籍の一部 こうした一般書やインターネットなどを通して流通される大衆的な「地政学」の問題性については、たとえばこれらの記事が的確に整理しているところです。 これに対し、近年では地政学を単純にタブー視、あるいは政治化させることなく冷静に学問として発展させていこうとする動向もあります(とくに庄司潤一郎・石津朋之『地政学原論』日本経済新聞出版、2023年はバランスのとれた良いガイドです。なお批判的地政学の影
石器時代からビートルズまで、全時代・全地域の基本知識250題にまとめました。ご活用ください。 ●先史1 北京原人には、埋葬の風習が見られた。 2 北京原人は、洞窟美術(壁画)を残した。 3 フランスのラスコーやスペインのアルタミラは、洞窟美術の遺跡である。 4 旧石器時代には磨製石器や骨格器の使用が見られた。 5 中国の仰韶文化では、鉄器の使用が見られた。 6 インダス文明では、インダス川下流のモエンジョ=ダーロ[モヘンジョ=ダロ]に都市遺跡がみられ、楔形文字が使用されていた。 1:×。埋葬の風習が見られるのは旧人(ネアンデルタール人)の段階以降から。 2:×。洞窟美術を残したのは新人。 3:○。フランスはラスコー → フラスコー と覚えましょう。 4:×。磨製石器や骨角器の使用は新石器時代。 5:×。仰韶文化は新石器段階です。中国で鉄器が使用されるのは、春秋時代の後期以降です。 6:○。
いまや日本のSDGsは、空虚な「記号」である 2015年に採択されたSDGs(国連持続可能な開発目標)は、スタートしてから早9年目を迎えようとしている。 SDGsの実施年限は2030年だから、まだあと6年ちょっと、残されていることになる。 にもかかわらず「SDGsとは一体、何だったのか?」などと問うのは、ちょっと時期尚早ではないかと思われるかもしれない。 最初に筆者の立場を明確にしておけば、日本におけるSDGsはすくなくとも本来の趣旨に沿った受容には失敗していると言わざるをえない。 もちろん新たな価値観が、新しい世代を中心に社会に根付くきっかけとなった点は、21世紀の「生活改善運動」ともいうべき一定の効果があったとみることもできる。 各施策の最前線で情熱を注がれている方が大勢いることは事実だ。 だが、そもそもの経緯の理解なきまま官民それぞれにキャンペーンが打たれた結果、かえって分断や反発を
"まじめ" に教材研究をするにあたって、「こんなものが手元にあると便利」というリストです。 もちろん、一見授業の組み立てとは関係のなさそうな "ふまじめ" なものも含めて、関心を広く払っておくことが大事であるというのが、正直なところではあります(往々にして"ふまじめ" と "まじめ" は、それぞれの極北でピタッとくっつくものです)。歴史を学ぶ「意味」や「たのしさ」は、なるべく多面的にとらえたほうがよいですから。 ともかくこのリストは "まじめ"に、かつ、あんまり格好つけずに選んだものです。 リストアップされているのは「授業のアンチョコ」「知識のソース」「わかりやすい説明の方針」「おもしろエピソード」というよりは、歴史の授業で扱う内容について、何を用意し、どういう方針で ”調理” するのかという見立てに関する資料集(レファレンス)や読み物(主に資料の出所が明示されているもの)です。 多くの人
GISを利用したインタラクティブ・マップやウェブ上のアーカイブ、生徒が自ら使えるツールなど、オンライン上で公開されている社会系授業で使えるかもしれないWebサービスをランダムに50個集めました。 「ネタ」としての提示は "打ち上げ花火"的 なものとなりがちですが、計画とアイディア次第で地理総合、地理探究だけでなく、歴史総合、世界史探究、日本史探究、公民科においても効果的に使えるものもありそうです。 *** 1. 文化財総覧WebGIS:身近な場所の文化財の場所を見せたい By 奈良文化財研究所 なお今年「大嘗」と記された木簡が発掘されたのはここ↓。
この記事の要約この記事は長い(約40000字)のではじめに要約を書いておきます。 以前、山川出版社の新しい世界史教科書の用語がどのように変化したのか記事を書いたことがあった。しかし、必ずしも単純に「増えた」「減った」と言えないのではないかという事実がみえてきた。 そこで今回は帝国書院の世界史探究教科書の収録語と、山川の収録語を比較することで、山川が収録しなかった用語とは何かをあぶり出してみることとした。 これによって、世界史の教科書にも多様な編集方針があり、その背後には教科書のユーザー(市場の反応)を見据えた複雑な力学が控えていることも見えてくるように思う。 用語の選定について帝国書院(以下「帝国」)と山川の世界史探究(詳説世界史。以下「山川」)を比べてみると、帝国は、概念用語(時代と地域を超えるキーワード)と個別の用語の階層関係を意識した選定となっているが、山川にはそのような配慮は感じら
3月も残りわずかとなりましたが、新年度の授業準備をあれこれとしています。 あたらしい教科書が届くと、前の版との違いをなんとなく確認するのが習わし。とくに今回は新しく設定された「世界史探究」という科目があるため、わけがちがいます。気合を入れて異同をチェックしてみると、これが結構変わっている。 たとえば、 ・ダヴィデやソロモン、それに曹操や曹丕がいなくなった。 ・代わって拓跋国家や新自由主義といった抽象的な語句がたくさん追加。 ・中国や西洋偏重を改め、中国史・西洋史の大幅カット(テニスコートの誓い、ナイチンゲール、楊貴妃も消滅!) ・オスマン帝国関連の用語(エスナーフ、スルタンの奴隷、アーヤーン)や中央ユーラシア関連の用語(オルトクや、ハーンをカアンとする現地語主義化)が増量。 といった具合です。 今回は索引をベースにし、山川出版社の『詳説世界史B』の最新の版と『詳説世界史探究』を比べ、消えた
終末論から生み出された新しい「世界史」観 「ニッポンの世界史」には、その時代の日本人のものの考え方や精神性のようなものが反映されているのではないか。 そのような観点に立ち、今あらためて1970年代をふりかえってみると、これまでみられなかった新しい種類の想像力が立ち上がり、それが日本人の歴史に対する考え方を変え、「世界史」の再定義に向かっていったのではないか、と思うのです。 まあ、1970年代のサブカルチャーや社会の変化については、すでにひととおり多くの人によって語り尽くされている感はあります。 しかし、今やあまりピンとこない人もいるかもしれません。文脈を共有する意味もこめて、それと「ニッポンの世界史」との接点について、考えてみたいと思います。 *** 今回指摘する内容を結論から言ってしまえば、ここで台頭する「世界史」は、これまでのように「国家」「民族」の治乱興亡を対象するものではなく、もっ
謝世輝のヨーロッパ中心主義批判 さて、今回は謝の世界史構想の全容に迫っていきます。 謝の構想を一言でいえば、「これまでの世界史はヨーロッパ中心主義的で、まちがっている」ということに尽きます。 たとえば、1974年の時点では次のように主張しています(謝世輝「世界史の構築のために」『歴史教育研究』57、1974、70-71頁)。 箇条書きににしながら、その特徴をあぶりだしてゆくことにします。 1.世界史にとって重要なのはアジア(東洋)だ ユーラシアにおける4つの文明圏、①東アジア文明圏、②インド文明圏、③イスラム文明圏、④ヨーロッパ文明圏のうち、①~③が世界史的には重要だ。 ヨーロッパを中心にするのも間違っているし、東洋・西洋の間に「中洋」を置く区分も適切ではない。 文明圏(文化圏)にわけて世界史の展開を論じるのは、”公式” 世界史たる学習指導要領が1970年版から導入していたものでした(指導
【ニッポンの世界史】#23 「国益」のための世界史へ:なぜイスラム世界は「文化圏」に格上げされたのか? 世界史はなぜ1980年代に「必修科目」とされたのか? 2010年代に「ビジネス的教養世界史」が流行ったのはなぜなのか? ——これらの源流が1970年代にあったのではないか、という仮説を立て、 再定義される「ニッポンの世界史」の動向をふりかえっていきます。 格上げされた「イスラム世界」 1970年度学習指導要領では「イスラム世界」が、ヨーロッパ文化圏、中国の文化圏とともに、単独で世界の「三大文化圏」のひとつに数えられるようになりました。 この「格上げ」の背景にあるのは、やはり戦後の研究の進展により参照できる情報が増えたということが大きいでしょう。 『東洋史料集成』平凡社、1956より。中国史が豊富な史料によって構成されているのに比べ、西アジアの歴史は日本語文献が、後述の大川周明『回教概論』
2010年代の世界史ブーム—疫病・戦争・生成AI まもなく22世紀を迎える2100年の人々が21世紀初頭の世界をふりかえったとしよう。そこではどのような出来事がとりあげられるだろう? 「まもなく終わる21世紀」の幕開けにふさわしい出来事として選ばれるのは、いったい何になるのだろうか? 疫病の流行、大国による戦争、それとも生成AIに代表されるイノベーションか。あるいは気候変動、難民危機、持続可能な開発目標、新興国の台頭、あるいは権威主義やポピュリズムの拡大か—。 こうしたキーワードが並ぶかもしれないし、そうでないかもしれない。 そもそも70年後の人々が果たして、安穏と世界史を振り返るなどという営みをしているかどうか、知る由もない。 だが、彼らがもし、21世紀初頭の日本を知ろうとしたとき、格好の資料となるであろうものがある。それは「日本人から見た世界史」だ。 *** たとえば、国立国会図書館オ
結論。小池先生の著作は、高校の地歴公民科の授業で使いやすい! ということで、わたしなりの紹介として、発売されたばかりの『現代評論キーワード講義』(三省堂、2023)に加え、『世界のいまを知り未来をつくる評論文読書案内』(晶文社、2022)を合わせて、使い所を整理してみました。ジグソー学習などのワークシート等で引用したりする際にも、便利であるとおもいます。 読むキーワード辞典というジャンルでいえば、今村仁司の『現代思想を読む辞典』がパッと浮かびます。受験生向けという点では、かつて西研『「考える」ための小論文』にもお世話になりました。 『キーワード講義』は、「ナショナリズム」や「資本主義」といったむずかしい言葉が、限られた紙幅のなかで鮮やかに講義されているだけでなく、小池先生が 一貫して課題意識としてもたれている「表象=代表」の問題、そして歴史的に世界を読み解き未来につなげる意識が底流にあるこ
SDGsとは一体、何だったのか?【世界史でよむSDGs】はじめに いまや日本のSDGsは、空虚な「記号」である 2015年に採択されたSDGs(国連持続可能な開発目標)は、スタートしてから早9年目を迎えようとしている。 SDGsの実施年限は2030年だから、まだあと6年ちょっと、残されていることになる。 にもかかわらず「SDGsとは一体、何だったのか?」などと問うのは、ちょっと時期尚早ではないかと思われるかもしれない。 最初に筆者の立場を明確にしておけば、日本におけるSDGsはすくなくとも本来の趣旨に沿った受容には失敗している
世界史の教科書って、わかりにくいですよね。 複数の「エリア」が組み合わせられる構成は、難解な“取扱説明書”のようでもあり、時代によって揺れ動く落ち着きのない “パズルのピース” のようでもあります。 とっても合理的に設計されている反面、そのつくりがきわめてややこしいことはたしかです。 しかしながらそうは言っても、どうしても教科書を使って勉強をしなければいけない方もいるでしょうし、機会さえあれば小手先ではなく真正面からガッチリと通史(時間の流れに沿った歴史)を学んでみたいという人も少なくないのではないでしょうか(*1)。 そこで、世界史教科書全体の“骨格”を踏まえた上で、世界史の教科書を最初から最後まで、 「カンタンすぎず、難しすぎず」をモットーに解説してみることにしました。 できるだけ細かな点は禁欲し、“グローバル”なスケールで「世界史のエッセンス」に触れることができるような仕掛けを用意し
中世の時代、「ヨーロッパ」という地域的なまとまりを支えていたのは、ローマ・カトリック教会と、それを守護する神聖ローマ帝国だ。 両者が敵とみなしたのは、地中海をはさむ対岸にひろがるイスラム教徒だ。十字軍やレコンキスタ(国土回復運動)、北方十字軍を通して、「ヨーロッパ」としてのアイデンティティが形作られていった。 ようするに、「あいつら、敵だ。ってことは、おれたちは仲間だ。よし」という、あれである。 だが、中世における「ヨーロッパ」には、近世の段階で、ある”組み換え”がおきる。 ユーラシア大陸各地に遊牧民と農耕民を包み込むスケールの大きな帝国が並び立っていた16世紀から18世紀、この時代のヨーロッパにおきた変化とは、いったい何だったのか。 そしてそれが現在の「ヨーロッパ」なるものに、どのようにひきつがれ、あるいはどのように忘却されているのか。 やや抽象的な話になるが、整理しておきたい。 ***
● 世界史の教科書には、あまり「史料」が登場することがありません。 たしかに使われている言葉は難しく、近寄りがたいものであることはいなめません。しかし、単純な記述の向こう側には、ややこしい事実や、わかりえない価値が待っています。 歴史学者によって日本語に訳された史料の断片に触れながら、世界史の「わからなさ」を、短時間で「わかったことにする」のではなく、「わからないなりに、わかろうとする」ことには、意味があるのではないかと考えています。 「史料でよむ世界史」シリーズはそのための入り口として、世界史の史料に接しながら、世界史の教科書を最初から最後まで読んでいくシリーズです。適宜、参考文献を挙げますので、ぜひご参照ください。また「世界史の教科書を最初から最後まで」シリーズの目次は以下をご覧ください。 また、2021年1月に初回を迎える「大学入試共通テスト」では、史料を読み解く問題が「センター試験
僕らは今、なぜこのような世界を生きているのだろう。 ばらばらになったり、まとまったりしながらも、とりあえず仕方がない、というように動き続けているわれわれの社会は、どのようにして今ある形になったのだろう。 一個の確固たる世界があるようでいて、そういうわけでもなく、区切られているようでいて、そういうわけでもない、あいまいなまま、はっきりとしないまま漂うこの世界は、一体どこに向かっているのだろうか。 "今"と"過去"をつなぎながら、世界史を、ゆるく、なんとなく、まとめていきます。 紀元前12000年〜前3500年 農業の本質は「生物の世界」から「人間の世界」を分離し、人間によって生物をドメスティケーション(家畜化)することにある。ドメスティケーションの語源であるdomusはラテン語で「家」という意味である。要するにドメスティケーションとは、動植物や細菌・ウイルスの側から見れば、「生物の世界」の中
1. 近代化と私たち 1-1. 近代化への問い 「歴史総合」は「日本史と世界史を合わせたものである」という説明がなされることがある(たとえば、 https://www.daiichisemi.net/column/2022年、高校の授業に新科目導入%E3%80%82「歴史総合」と/ )。 しかし、そのような「足し算論」は、「歴史総合」理解としては的を外している。 むしろ、「日本史を、より大きな世界史の枠組みにおいて再編集したものである」といったほうがよいだろう。より正確にいえば、「世界史」的な視野の中に「日本史」を組み込むだけでなく、「日本史」上の出来事とされている過去の事象を、世界の他地域との関係や比較を通して捉え直していく試みだ。そのようにして、現代世界がどのように形成されていったのかをみていくわけである。 *** 現代世界のつくられかた 「歴史総合」はその際、現代世界が、以下の3つの
世界史を独学するにはどうすればいいか? ネオ高等遊民さん(note@kotoyumin)の記事を拝見して、「みんなの世界史」でもシリーズ本や全集を含め、100冊ほどの書籍をピックアップしてみることにしました。「なんとなくでOK」「受験のため」というのではなくて、ゆくゆくは専門的な書籍も読んでみたいというまじめな方向けの、まじめな選書でありつつ、高校生にも薦めることができそうな本を中心に選んでいます。 *** 選書の方針 世界史のカバーする範囲は、とてつもなく広い。個々のプロパーは別として、初学者向けの体系的な概説書を挙げようとしても、経済学や哲学にあるような、誰しもが挙げるような「定番」があるわけでもない。 では、どんな書籍を選びとっていくべきか。 ひとまず、注目したいのは「発行年」だ。 19世紀以降、歴史学者たちがとりくんできたのは、どうすれば過去の世界をできるかぎり正確にとらえることが
フランス革命における重要な成果の一つは、「自由」と「平等」の思想を掲げた『人権宣言』を発表したことにあります。 『人間および市民の権利の宣言(人権宣言)』(1789年8月26日) ●第1条 人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、存在する。社会的差別は、共同の利益にもとづくのでなければ、設けられない。 ●第3条 あらゆる主権の淵源は、本来的に国民にある。いかなる団体も、いかなる個人も、国民から明示的に発しない権威を行使することはできない。 ●第13条 公的強制力の維持および行政の支出のために、共同の租税が不可欠である。共同の租税は、すべての市民の間で、その能力に応じて、平等に分担されなければならない。 しかし、『人権宣言』は、その内容をどの程度実現することができたといえるのでしょうか? たとえば、「あらゆる主権の淵源は、本来的に国民にある。」という文言がありますが、ここでいう
みんなの世界史 3,217本 Excellent curation of the noters, a truly inspiring compilation of content:
これから世界史を26ピースに「輪切り」して、一緒に人類の歴史のストーリー展開を眺めていきたいと思います。(イラスト from 「いらすとや」)改訂版2019/04/05作成 われわれとは別の種類の「人間」人間ってもともとはサルだったんですよね? ―難しい質問だね。 まあどちらかというと、「サルのグループの中に人間が含まれている」といったほうがいいかな。 生き物には、自分の「コピー」を子孫として残すことができる力がある。 でも、「コピー」は必ずしも正確なものではなくて、自分の体の情報が書き込まれた「設計図」(DNA)は、写し取るときに「誤差」が生じることがあるんだ。 そのちょっとした「誤差」のことを突然変異と呼ぶよ。 その突然変異がたまたま周りの環境に適したものだったとしたら、その生き物にとって有利に働くよね。 すると、はじめは突拍子もない「突然変異」だったものでも、生きていくのに有利な特徴
独立運動も起きるんだけど、手放したくないヨーロッパの国々や、新たに「子分」にしたいアメリカやソ連が口出しを始めている。 そのアメリカとソ連は第二次世界大戦では同じチームで戦ったわけですよね? 歴史:そうだよ。 ソ連は途中からアメリカチームに入ったよね。 当時のイギリスの首相としては、戦争が終わったらソ連とともにヨーロッパを「はんぶんこ」して、ある程度の支配権を及ぼし続ける予定だった。 でも、イギリスはすでに戦争「へとへと」だ。 実際にはイギリスに代わるアメリカと ソ連が戦後のヨーロッパを「はんぶんこ」する形で、にらみ合う体制が生まれるよ。 お互い核兵器を持っていますが、大丈夫なんでしょうか…。 歴史:核兵器の威力は、今までの兵器とは比べ物にならない。たった一発で街を消滅させるほどの破壊力を持っている。 つまり、お互いが核兵器を使って戦争を始めたら、両方とも「自滅」する結果になる。だから、結
・「●」の箇所のリンクは、外部のコンテンツへのリンクです。本ページには帰属しません。 ・単元ごとのテキストベースの説明は、各単元のリンクを参照してください。 ・各チャンネルの単元の分け方には差異があります。おおよその位置にリンクを置いておきます。 ・内容の正確性についてここで吟味することはしません。相互に比較してみるのもよいと思います。 ・『詳説世界史B』(山川出版社)の配列におおむね対応しています(準拠しているわけではありません)。 ・各小単元別の対応版も作成する予定です *** 世界史の扉●NHK 2019 1学期 1 グローバルヒストリーの中の現代(水島司先生) ●NHK2019 1学期 15 グローバルヒストリーの中の人と暮らし(同上) ●NHK 2020 1学期 1 世界史への招待 「パスタとイタリアの産業革命、サッカーとイギリスの海外進出、狛犬と東西交易路」 ●デイヴィッド・ク
まずは南アジアの独立の動きから見ていこう。 イギリスは,第二次世界大戦前はインドに対して債権国だったのだが,戦後は一点して債務国に転落。 1946年頃から領域内のさまざまな支配者同士の内戦に発展し,混乱をきわめる中,一刻も早い幕引きを狙うようになった。 最後の総督〈マウントバッテン〉(1900~79)は,「イスラーム教徒とヒンドゥー教の住民の分布によって,インドを分割すればいいじゃないか」と提案。パンジャーブ地方とベンガル地方はそれに基づき分割された。 イスラーム教徒の多いエリアは「パキスタン」に 結局,イスラーム教徒が多数派の地域は,1947年8月15日に,パキスタンとして独立した。パキスタンからインド方面には,ヒンドゥー教徒やシク教徒が難民として退去して移住。 その過程で,略奪や武力衝突が起き,インド最北部のカシミールの帰属を巡って10月には印パ戦争に発展していくことになる。 パキスタ
「3世紀の危機」にピリオドを打ったのは、ディオクレアヌス帝というバルカン半島出身の皇帝だ。 彼は「3世紀の危機」を収拾する能力のないローマの元老院に気を遣うのをやめ、皇帝が強い力で全土の軍団を支配下に入れようとした。 しかし、たった一人で全土を担当するのは至難の業。 ローマ帝国を東西に分け、西に正帝・副帝の2人、東にも正帝・副帝の2人を置き、4人で分担して支配しようとした。これを四帝分治制(テトラルキア)というよ。 ディオクレアヌスは東ローマの正帝に即位。現在でいうトルコ・シリア・エジプトに相当する地域だ。 都はニコメディアに置かれ、ローマ帝国の政治的・経済的な重心は東の方に移動していくことになった。 また、彼は自分のことを神として礼拝させ、政治的な決定をするときにも元老院の同意なしで行う形をとった。 アウグストゥス以来の、元老院を重んじる元首政(プリンキパトゥス)の否定だね。 当時広がり
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