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掃除・片付け
note.com/zoji_numa
先日、怖い文字の本を読んだ。 書体研究家・佐藤敬之輔氏による「文字のデザインシリーズ」全6巻である。全巻を通じて圧倒的な情報量なのだ。日本語書体をつくるために、ここまでの研究と分析、鋭い洞察力と知識が必要なものなのか。もし書体デザインを志して、最初にこの本と出会ってしまったら、その時点で挫けてしまうのではないかと思えるほどだ。 そんな佐藤氏の設計した書体の中でも、もっとも独創的でコンセプチュアルな作品「横組用平斜体 明朝体〈昭和〉」を今回取り上げたい。まずは提示された書体見本を見ていただきたい。 この書体は本文用の「横組専用書体」として、1962年『第12回 日宣美』で発表された。 斜体の書体ひと目でわかる特徴は「斜体」だろう。斜体が標準体である書体はとても少ない。鈴木勉氏の「スーシャ(1979年)」と今田欣一氏の「いまりゅうD(1988年?)」が有名だ。斜体なだけでなく一部の字に省略や変
当連載では、漢字改良に挑んだひとりの人生をその著書を通じて書いてきたが、今回は文字自体に焦点をあてる。とりあげるのは前回に引き続きビットマップフォントだ。 前回の記事で明らかになったのは、次のような結論だ。 ビットマップフォントは何かを差し引くではなく、線を重ね合わせ、シェアすることでドットに複数の役割をもたせる。極限まで省略されているようで、実は何も省略していない。 世の中に明朝体と呼ばれる書体が複数ある。同じようにビットマップフォントもさまざまな企業からリリースされている。8ドットや9ドットのビットマップはギリギリまで削減されているように見えた。しかし、このギリギリのなかに取りうる選択肢がフォントの数だけ存在するのだろうか?それとも概ね同じ形に収斂されてゆくのだろうか? 収斂されてゆくのであれば、それが(9ドットの)究極の到達点であり興味深い。また大きな違いが生じるのであれば、簡略化の
目次と今後の掲載予定 漢字のアップデートしようと試行錯誤した人たちの本本ブログで取り扱う漢字改良とは、 漢字に起因する社会・生活の諸問題の解決のために、 通用している字体・字形に改変を加え、漢字を再設計する試みである。 今後の掲載予定白川初太郎「文字とことばをやさしくするために」(1980年) 岡竹山「漢字簡素化案」(1964年) 渡辺小弥太「日本国語漢文略式及英文式考案一覧表」(1964年) 白鳥鴻幹「新国字論」(1898年) 目次(公開中)前田黙鳳「東亜新字」(1904年) 竹内強
今回ご紹介するのは「書体を創るー林隆男タイプフェイス論集」(ジャストシステム、1996年)と「TheTYPEBANK」(朗文堂、1985年)だ。この書籍は、デザイナーによる書体デザインという概念を広めた林隆男氏の書体論をまとめたものだ。林氏が手掛けた書体は多いが、その中からビットマップフォントにのみ焦点あててゆく。 ★追記あり(2020.10.13)※目次のリンクをご覧ください。 当連載では、これまでに漢字改良の本ばかり紹介してきた。今回にご紹介する林隆男氏が、漢字改良を目指していたわけではないこと誤解がないように記しておく。 本記事では、2種の書体を取り上げたい。 ・林隆男+日立製作所 デザイン研究所 16×16ドット明朝体 ・タイプバンクゴシックSL(以下、TBゴシック)の9、10、12、14ドット版 前半では、16ドット明朝体から林氏の書体制作の理念に触れる。 後半では、TBゴシック
明治時代は、みんなが「日本で漢字って本当に必要なのか?」という素朴な疑問に気付かされてしまった時代だ。 新しい技術や文化の襲来によって、漢字が厄介者扱いされていた時代があった。未来の漢字の姿をどのようにすべきかを本気で考え、不可侵の領域である字体まで踏みこんだ人々がいた。そんな方々が残した書籍(以下、造字沼ブック)を読み、臨書し、その想いを味わう連載です。今回6冊目。 およそ100年前の明治37年、「東亜新字」と名付けられた書籍が発行された。 この本は、新しい時代に必要な、新しい漢字の形を提案している文献だ。著者は明治を代表する書家。また実業家でもあり、数多くの出版物を通じて生涯にわたり漢学・書の発展につとめた前田黙鳳氏によるものだ。 書体見本 まずはどんな字であるかを見てもらいたい。文字見本が手書きであるため、前回同様に源ノ明朝のエレメントで再現した。 明朝体だといまいち違いがわかりにく
2年前ぐらいにtwitterで「明朝体、横画がなくても読める説」が話題にあがった。約50年前、それを実際の書体として体系化しようと試みたデザイナーがいた。書体デザイナー三宅康文氏だ。(注:横画削減は簡略化エッセンスの一部です) テクノロジーの襲来によって漢字が厄介者扱いされていた時代があった。未来の漢字の姿をどのようにすべきかを本気で考え、不可侵の領域である字体まで踏みこんだ人々がいた。そんな方々が残した書籍(以下、造字沼ブック)を読み、臨書し、その想いを味わう連載です。今回5冊目。 第5回目は、書体デザイナー三宅康文氏が1965年『簡略文字と新書体の提案展』で発表した試作簡略文字を紹介したい。「印刷界136」(1965, 日本印刷新聞社)、「宣伝会議 : marketing & creativity 12(3)(131)」(1965,宣伝会議)と「日本レタリング年鑑 1969」(1969
テクノロジーの襲来によって漢字が厄介者扱いされていた時代があった。未来の漢字の姿をどのようにすべきかを本気で考え、不可侵の領域である字体まで踏みこんだ人々がいた。そんな方々が残した書籍(以下、造字沼ブック)を読み、臨書し、その想いを味わう連載です。今回4冊目。 1995年、パソコンが一般家庭にまで普及する起爆剤となったWindows95(日本語版)が発売された年だ。日本語を書いたり、情報を扱う環境も進歩したことにより「漢字を電算機で扱えない問題」はテクノロジーによって表向き解決された。 これと時を同じくして『漢字の略字デザイン:漢字のサイエンス』と名付けられた1冊の書籍が出版された。今回、造字沼本として「21世紀に向けた漢字の姿」を説くこの本を紹介したい。 ▲『漢字の略字デザイン: 漢字のサイエンス』(長谷川正義・著/1995年) 本書の構成は「漢字の歴史」「略字の必要性」「簡略化の方法」
現在では想像もつかないが、テクノロジーの襲来によって漢字が厄介者扱いされていた時代。未来の漢字の姿をどのようにすべきかを本気で考え、不可侵の領域である字体まで踏みこんだ人々がいた。そんな方々が残した書籍(以下、造字沼ブック)を読み、臨書し、その想いを味わうお話しです。 第三冊は、『コンピュータに使う漢字の簡略化の限界』から、ミキイサム氏のデザインした「COM書体」を紹介したい(書籍ではなく年鑑に掲載されたの2ページより引用する)。 ▲『日本タイポグラフィ年鑑 1976』P.185より ...とても可愛い。ちょっと長体がかった素朴な佇まい。細かいところがゴニョゴニョっと省略されているのが特徴的。その省略により、本来複雑な漢字も密度が一定になっており、とても柔らかだ。 前回、前々回ご紹介した2名とは異なり、作者であるミキイサム氏は本職の方だ。 ミキイサム氏氏は明治生まれで東京美術学校(現・東京
「読めないほどの汚い字には可能性がある。」 文字による情報伝達を根本から否定するようなこの言葉であるが、読める読めないの限界への挑戦と考えることもできる。「漢字のとめ・はね・はらい」を見本通りになぞっても発見できない可能性に辿り着くことができるかも知れない。歴史が示すように将来、漢字がいまと同じかたちであるとは限らない。 いまから40年以上前、将来の漢字のあるべき姿を探求したのが長野利平氏だ。今回はその著書である『日本常用略字の体系 - 21世紀の漢字』(1983年、海事プレス)『草書・楷書・流書 - 第四世代漢字への挑戦』(1975年、あかがね印刷出版)を紹介したい。(冒頭の話は本書とは無関係である) ※書影は再現イメージです。 この2冊はタイトルから想像できるような書道の本でもなければ、過去の俗字や異体字を体系化した研究書でもない。手で書きやすく、機械でも処理しやすい略字体開発をまとめ
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