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papapapapuffy1997.hatenablog.com
先日、小沢健二のオフィシャルサイトひふみよに「裏切り」という言葉が突然現れた。 そんな風に動いていく世で、日本の社会の渦の真ん中らへんに今回身を置いてみて(テレビ局に行くとか、普段しないので)、『流動体について』という難しい内容の曲への反応を感じてみて、うーん、やっぱり僕は今回『流動体/神秘的』を良いと思ったような人たちを、恐ろしい言葉ですが、一回裏切ってしまったのだと思います。※ひふみよより これはどういうことなのか。 何も考えずに頭に浮かんだものは「長い間メディアに出ず、彼らしい音楽を90年代の様な頻度でリリースしなかった」ということ。 しかしながら小沢健二がこのようなある種重い言葉を発信するとき、思考停止してはいけないということはよく解っている。 きっとそんな表面的なことではない。 ではその真意は。 ■フリッパーズ時代とソロ時代■ かなりさかのぼって、フリッパーズ時代*1と小沢健二が
近田春夫氏がストリングスアレンジについて言及していた。 今時、弦はシンセの打ち込みでもかなりなことが出来るのだが、やはり人間が演奏をしないことには不可能な領域はある。このスリリングなアレンジを聴くと、つくづくそう思えてくる。いや、実際、最近のjpopでこの曲を超える弦はちょっと見あたらぬ。※文春オンラインより 10年前まではそう言えたかもしれない。 しかし、現在のPC音源というものはとても発達していて生なのかシンセなのかわからないものもザラにある。 それはプロのバイオリニスト等が高性能のマイクで録音したものをシンセというよりサンプラーというものに読み込ませて使っているからである。 シンセとは厳密には音を合成して楽器をシミュレートするためのものであり、偽物にすぎなかった。 ということを加味した上で、小沢健二は何故ストリングスの生録音にこだわったかということも含めて考えていきたい。 ■「オン」
小沢健二の「復活」シングル「流動体について」を作曲の観点から分析していきます。 初めて聴いたときのこの曲の印象は「オザケンが帰ってきた」です。 それは「ある光」の後にリリースした曲達が「オザケン節」ではなかったからでしょう。 メディアにオザケンが帰ってきたのは大きいですが、それだけではないです。 この「流動体について」は多くのファンが待ち望んでいた「オザケン節」的曲だから。 小沢健二復活というより「オザケン復活」という印象が強く、当時のファンが心を踊らせているのです。 ■オザケン節とは?■ 1.ループ 彼らしさのポイントはループです。 今回の「流動体について」はまさにこれです。 以前の曲で言うと「ローラースケート・パーク」「ラブリー」「ドアをノックするのは誰だ?」「愛し愛されて生きるのさ」「ある光」等、4つ程のコード進行で何度も何度も同じモチーフをループさせる曲がいくつもあります。 歌詞で
メディアの意見をシャットアウトしたつもりが、色々耳に入りました。 否定的な記事、書いているライターの方もいました。 「音楽的に」とか「年齢的に」とか。 でも僕はこう思います。 一つの曲をリリースしただけで、ここまで世の人達が歌詞の意味や、作り手の意図を汲み取ろうとすることがありましょうか。 少なくとも僕はないです。 子供の頃必死であらゆるアーティストの歌詞の意味を考えたことはあります。 ただそれは世を知らない子供ゆえの行動であり、成人を迎えてからそんな機会はほぼ消えました。 そんな沢山の大人たちに考えるきっかけをくれる人。 それが小沢健二であります。 歌詞の解釈を完璧にだなんて本人以外はあり得ないのです。 場合によっては本人すら定めていないかもしれません。 だから沢山の解釈が出ます。 でもそれでいいんだと。 きっと彼も「そういう風に捉えたんだ!」なんて言ってくれると思います。 だって彼の作
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