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掃除・片付け
parupuntenobu.hatenablog.jp
本題に入る前に 10月以来、約2ヶ月ぶりの更新です。 この2ヶ月間、ブログ営業ツールのはずのTwitterにかまけすぎたこともありますが、今後のブログの展開について考えていました。 私のブログは、長い、長い、とにかく長い。 それが個性といえばそうですが、正直申し上げると、書いている方はしんどい。そして何より、読む方も疲れると思います。 無期限リフレッシュ休暇よろしく他のブログをのんびり旅行した結果、以下の結論に。 1.1記事につき2~3000文字程度とする。それ以上になる場合は、「また次回へ~」と分ける 2.気張ることなく気ままに更新(週1~2程度でええやろ?) こう決断すると、途端に書きたい意欲が湧いてきたのが不思議です。 「長い」がよほどプレッシャーとなっていたのでしょう。 そんなわけで、リフレッシュ休暇明け第一弾は、日本以外ではひっくり返っているファーウェイのお話を。 ファーウェイが
「最近の日本語は乱れている!!」 という声をよく聞きます。20年前も、10年前も、そして今も(笑) 特によく聞かれるのが、。 「カタカナ語が多い」 ということ。特に最近は英語の氾濫で日本古来のことばが滅んでしまうのではないか・・・そう声高に主張します。 別にカタカナ語は今に始まったことではありません。 明治時代の学生の話し言葉を忠実に描いた「当世書生気質(かたぎ)」には、こんな会話があります。 「我輩のウォッチではまだテンミニッツ位あるから急いで行きよったら大丈夫じゃろう」 お前はルー大柴かと突っ込みたくなりますが、当時はこういう英語やドイツ語混じり会話がインテリの間で流行していました。 だから、そんなに神経質にならなくても言葉は自然に駆逐されるものだし、仮にカタカナ語に駆逐されたとしても、文書として残るので滅びはしません。 日本語は、外来語を柔軟に受け入れるソフトな言語に入ります。英語も
私の自分史は、ゲームと共にあり。ゲームをすれば寝食を忘れ時間を忘れ、そして我を忘れたゲーム少年でもありました。 現在ゲームをやることはほとんどないですが、たまにレトロなゲームが置いてあるゲーセンなどに行くと、やはり時間を忘れ夢中になっています。 こんな有様なので、プレステなどゲーム機を買うと途端に生活に支障が出てしまうのは明白。「やらない」というより「封印中」と表現した方が正解です。 そのきっかけは、やはりファミコンでしょう。 ファミコンの発売日も、スーパーマリオの発売日も覚えている、さらに初代ドラクエの発売日にお札を手に持ちおもちゃ屋へ走った世代。 我が人生、ファミコンと共にあり。そういう意味では、私の人生、いや日本の子供数千万人の人生を狂わせたファミコンの罪は深い。 今まで市場で販売されたゲームの種類は、それこそ神のみぞ知るの数量になります。自分ではかなりの数のゲームをやったつもりです
10月1日、また日本人がノーベル医学生理学賞を受賞しました。 本庶佑(ほんじょたすく)さんという、京都大学の教授です。 経歴については、「プロブロガー」の皆さんがWikipedia先生の記事をコピペし、SEO対策も完璧な素晴らしい記事を書いているはずなので、こちらでは触れません。 あらノーベル賞かと驚いているさなか、Twitterのタイムラインに本庶さんの言葉とやらが流れてきました。 ほう!とノーベル賞そっちのけになるほどのうんちくのある言葉。縁の下の基礎研究者だからこそ言える、重みがありました。 今回は、その中でも私が感銘を受けたものを2つに厳選し、記事にしたいと思います。 ところで、今日の車内ラジオによると「本庶」という珍しい苗字はやはりレアで、全国でも50人弱しかいないそうです。 私の苗字も一風変わっており46人か48人しかいない(郵便局調査)らしいので、そこだけはサシで勝負できる・
美奈子さんのブログ記事より。 www.utsu-joso.com 最近、環境の変化からか執筆が止まっていますが、私は他人の事情を鑑みずに、 「書け、書けぇ~~!」 とは申しません。人にはそれぞれ事情あり。それをきっかけに消えて行くのもまたブログなり。 それはさておき、美奈子さんはブログ名に反して(?)内容はなかなか哲学的。時折ブログ画面を開きながら、うーんと考え込むこともあるのですが、時折、否、よく 「あなたは俺ですか?」 と自分の性格と被る時があります。ドッペルゲンガーや、「世の中には自分そっくりな人が3人いる」という言葉がありますが、本当にそうではないかと思えるほどの事があります。美奈子さんのブログが鏡になっているのです。自己防衛が激しかった10年前なら、おそらく見れません。 私は美奈子さんと違い、女子から見ると 「もう、あたしがいないと何もできないんだから!!」 と母性本能煽る系キャ
9月4日、非常に強力な台風21号が関西を直撃し、各地に大きな傷跡を残しました。 この21号は渦巻きの東側の勢いが強く、直撃しなかったもののその東側にあたった大阪市府一帯は、とんでもないことになっていました。 電柱が根本から折れ、駐車場の軽自動車が紙のように吹き飛び、空港が水没する。 「これはただの台風ではないぞ!」 我々がそう悟った時にはすでに遅し。 「非常に強い」や「猛烈な」など、使い古された表現ばかり連呼する天気予報も、そろそろ表現を改めた方が良いのかも。 台風のすごさを表現するために、もっとエモーショナルに表現しないといけません。 「今回の台風は、もうめっっちゃ、めーーーーーーっちゃ強い台風なんです!トラックなんて指先一つでダウン!ケンシロウも驚きの強さ!」 「ゴジラとメカゴジラが二匹同時に上陸したような被害が予想されます!」 このくらい言っていただくと、見ている方もタダゴトではない
以前、といっても1年以上前ですが、大阪新世界の「ジャンジャン横丁」にあった、「ザリガニ」という小さなゲーセンのことを書きました。 大きなお友達たちの、日常生活で失った童心を揺さぶった記事でしたが、書いた後で知りました。ここはあくまで「支店」、「本店」は別に、新世界の一角に存在することを。 記事を読んでもらうとわかりますが、「支店」も懐かしいと叫んでしまうほどのレトロゲーム目白押しです。 しかし「本店」はもっとすごい。ネット上にあったゲームのリストを見ただけでも、私の青春の約10ページが新世界の一角に沈殿している。ここは行く、這ってでも行かねばならぬ。 なおここからは、「支店」の方は今後「支店」とし、「本店」を「ザリガニ」とすることにします。 「ザリガニ」の場所は、地下鉄と阪堺線の恵美須町駅(恵美須町交差点)から通天閣へ続く道の、ちょうど中間に位置します。 恵美須町駅から、通天閣を目印にこの
気づいてみれば、10日以上もブログを更新していない自分に気づきました。 先月から続く酷暑で書く気力が削がれてしまった、営業ツールとして始めたツイッターのフォロワーが増え、そっちが楽しくなってきた(フォロワー1000人越えると反応が違ってきて面白い)。 そんな事情もあるにはあるのですが、すべては言い訳にすぎません。 主要因は、書き出すと止まらないけれどサボり出しても止まらない、私本人の性格が影響しています。つくづく己の性格の愚かさに気づく始末。 すっかり苔がついて固まった腰を上たものの、しばらく書いていないと何を書いて良いのかわからなくなります。 正直、ネタはいくらでもあります。あれも書きたい、これも書かねばと気だけが焦る。 しかし、私の下書き欄は食い散らかした文章のゴミ捨て場と化し、整理整頓がヘタクソな書斎のようになっています。 ネタが多くていいなーと人は言います。しかし多すぎると、どれか
ブログの管理人ページを見ていると、ある記事へのアクセスが爆伸びしていました。 parupuntenobu.hatenablog.jp 約1年前に書いた記事ですが、書いた本人も忘れていたような古いものが何故今ごろ・・・と不思議に思ったと同時に、 「台湾で何かあったな」 というカンが働きました。 そこで調べてみたところ、こんな記事が。 中国語はこちら news.ltn.com.tw 日本語はこちら。 www.sankei.com 台湾は南部にある、「台湾の京都」と呼ばれている古都台南で、慰安婦像が建てられたというニュースが舞い込んできました。 また国民党か、懲りないな(笑 そう、「またか」というのは、国民党が慰安婦カードを使ってくるのは初めてではないからなのです。 台南慰安婦像の背景 お前が言うな 台湾人の反応 国民党の焦り 台南慰安婦像の背景 慰安婦とくれば韓国というイメージが強いですが、実
以前、昭和35年(1960)に大島渚監督によって撮られた『太陽の墓場』という映画の話を書きました。 parupuntenobu.hatenablog.jp 今回はその続きなのですが、すぐに続きを書こうという意思だけは持ち続けた結果、かなりの月日が経ってしまいました。本当はすぐ後にアップしようかと。 しかし、忘れていたわけではありません。亀のようなスローペースながら、徐々に堀を埋めていっていたのです。 そして今回、やっと書き終えました。 が、鉄道編と銘打ったように内容が超マニアックになってしまったので、少し「濃度」を調整した上で今回の公開です。 それでも、ここからは鉄分と大阪史濃度の濃い、マニアックな話となります。 マニアックな話に興味がない方は、ここでお引取りいただいても大丈夫です。でも、できれば読んでね(笑 なお、少し時間を置いてしまったので、キャストなどのおさらいは上のリンク先をどうぞ
ブログ執筆中、BGMを流しながら書く人は多いと思います。 テンションが高くなり書きたい衝動に駆られる、激しめBGMが好きな人もいれば、リラックスしながら書きたいと「川のせせらぎ」をBGMにする人もいれば、音楽など無用!という人まで、聞いてみるとけっこう千差万別、これだけで十分ブログネタになります。ネタに困っている方、いっちょ書いてみては如何でしょう。 どのBGMが良いかは人それぞれ、その時のテンションにもよりけりですが、キーボードさばきがはかどるイコール、その時に合ったBGMということでしょうね。 かく言う私はどうかというと。かつてはテンションアップ系ミュージックを、ガンガン流していました。ガンガン系BGMを流し、タバコを咥えながらキーボードを叩く。それが「仕事してる感」ゲージ満タンの至福の時だったのですが、禁煙してしまったのでそれは過去の話。 さらに習慣というものは怖いもので、そういうB
7月上旬、西日本を襲った「西日本豪雨」は、40年以上関西人をやっている私も経験したことがないような、とてつもない量の大雨でした。 ニュースでやっていたかはわかりませんが、あの豪雨のちょうど80年前の1938年7月、神戸市内が水没した「阪神大水害」という災害が発生しました。これは戦争の空襲、阪神淡路大震災と並ぶ「神戸三大災害」の一つとして歴史に残っているのですが、そのジャスト80年後にこの豪雨、歴史を知っている人は何の因果なのだろうかと思ったはず。 いや、「大雨」、よく言われる「バケツをひっくり返したような雨」というだけなら、経験したことはあります。 しかしながら、それが一週間以上も続いたことは、台風を含めて前代未聞でした。 その上、それが過ぎると、今度はまたもや前代未聞の酷暑狂熱。あの大雨は夢まぼろしの如くなり。 実は、明石海峡大橋は神戸→淡路島への水道供給も兼ねていて、昔の淡路島は毎年こ
中国語という言語は、基本的に漢字を使います。 今の情報化時代、 「え、そうなの?」 と目からうろこが落ちる人は、まずいないと思います。 じゃあ、どれくらい漢字を使うの?というと。それがすべて漢字です。漢字アレルギーの人は即死するほど漢字です。 さすがにCDやDVDはそのままですが、それでも「光盤」「数字視頻光盤」という、きちんとした正式名称(?)があります。 漢字の便利なところは、視覚的に意味がわかるということです。これは「表意文字」といい、文字が意味を表すもの。アートというか、象形文字として理解することができます。 その反対として、「表音文字」というものがあります。これは我々が日常ええ使う平仮名や片仮名、アルファベットなどが該当します。 漢字が表意文字であるメリットは、たとえば「文」という文字があると、日本人も中国人も「文」が文であると理解し、その認識が一致することです。 たとえば、町並
ブログの書き込みというものは、ある種「放電」です。「放電」ばかりしているといつかはバッテリー切れになるのは必然、そうなれば「充電」も必要です。 気合を入れてブログを始めたものの、すぐやめてしまう人は「放電」と「充電」のバランス不足も原因です。なぜなら、 「ブログの書き方」 などと検索しても、出てくるのは「放電」ばかり。「充電」も重要だよ、バランスを失っちゃダメだよと口を酸っぱくして言っているブログは、私くらいじゃないかと(笑 それはさておき、久しぶりに徹底「充電」しようと、本棚にあった以下の本を久しぶりに読んでいました。 ユダヤ人の発想 (徳間文庫) 作者: M・トケイヤー,加瀬英明 出版社/メーカー: 徳間書店 発売日: 1994/11 メディア: 文庫 購入: 1人 クリック: 1回 この商品を含むブログを見る ユダヤ5000年の知恵 作者: ラビ・マービントケイヤー,Marvin T
こんなブログはご存知でしょうか。 yto.hatenablog.com はてなブログ内での毎月の読者数増加と被ブクマトップ100を、個人で集計している yto (id:yto) さんのブログです。 それがどうしたと言われるとそれまでですが、先月(6月)のランキングに掲載されました。 (ソース:https://yto.hatenablog.com/entry/subscrank201806) 順位は63番目、増加数は39名。順位だけならいちいち記事にするまでもありません。 トップになると数字のケタが違う上、書かないといけないネタが溜まり、ネタ切れの腐臭すらただよい始めた私のブログ下書き欄。こんなこと書くよりもっと他に書くことあるやろと、どこからかお叱りの声が聞こえてきそうです。 しかし、このランキングに掲載された、いや正しくは「久しぶりに」掲載されたことが、なんだか嬉しくも懐かしい。 最後に
昭和初期とはどんな時代か。これは政治・経済・文化・・・人によって切り口が変化します。それが歴史の多様性というもので、見方は一つではありません。 その中でも、社会史・女性史という点という観点から見ると、女性の社会進出が急激に広まった時代という見方があります。 女性は家庭に入り家事をやっていればいい・・・そんな古い価値観にヒビが入り始めたのは1920年代、大正末期のこと。 本格的な社会進出が始まったのは昭和初期の5~6年頃ですが、その間接的な証拠に、女性の社会進出をもじった新語が、この時代に雨後の竹の子の如く出現しました。1930年前後の流行語辞典を見てみると、 「○○ガール」 という言葉が山ほどあらわれます。1920年代の辞書には全くなく、明らかにこの時代に生まれた言葉ということを物語っています。 大手を振って社会に出る女性たちを世間は、 「尖端ガール」 と呼んでいました。 「尖端ガール」っ
2018年7月2日、落語の大家桂歌丸師匠が亡くなりました。 決して身体が強い方ではなかっのですが、まだまだ落語をやるという気概は充満していたので、東京オリンピックまでは持つだろう。そう思っていた矢先のニュースでした。 歌丸師匠といえば『笑点』。私も嫌なことがあった時は大笑いして、嫌なことをすべて忘れていたという意味では、大恩がある人でもあります。 が、それは仮の姿。本当は落語という日本の唯一無二の芸能の看板を背負った大御所。それだけに近頃のお笑いのやそれを見る視聴者、出演させるテレビ側の「低レベル化」に対し、厳しいことも言っていた方でした。 また、私にとっての歌丸師匠は、遊郭を知る最後の生き証人という一面もありました。彼は横浜真金町の出身で、生涯そこから離れることはありませんでした。 真金町と言えば、横浜最大の遊郭があったところ。歌丸師匠の祖母は「真金町の三大ババア」と言われたほどの女傑で
私のブログ読者であり、Twitterでも何かと絡まれ…否、こちらが酔っぱらいの如く絡んでいるid:okimusan さんよりメッセージが届いた。 お前のブログ、長いんだよ! 1000文字でブログが書けんのか! 上段は私の妄想だが、確かに人に言われてみれば長い(自分で気づけよ)。 そこで私のブロガー魂に火がついた。その挑戦、ヒマなので受けて立とうではないかと。 「昭和史研究」といっても私の興味は昭和前期、いわゆる戦前の時代。戦後は自分でもわからないほど興味が失せ、どうでもよくなってしまう。 しかし、実際に私が生きた1980年代になると、再び興味が湧いてくるようになる。私の昭和史は、20年~40年代が空白なのである。 なので、ネタ探しのGoogleの旅は80年代も射程距離なのだが、画像検索をかけてみると、私の青春時代そのもののような画像が大量に出てくる。 ああ、この餅つき機うちの家にあった!と
釜ヶ崎・・・事情を知らない人は、名前を聞いただけで恐れおののく(?)、あのあいりん地区です。 よそ者が入れば身ぐるみ剥がされ、女はシャブ漬けにされて東南アジアに売り飛ばされると恐れられた地域の特質か、現在でも言われたい放題言われています。 その昔は、確かに生半可に近寄れるものではない魔気を発していましたが、今はかなり毒気を抜かれた街になりました。たとえるなら、去勢された猛獣か。 ただし、好奇心だけで人にカメラを向けるのはやめておいた方がいい。 しかしながら、ここは「B級歴史学」、「昭和考古学」のネタとしてはうってつけの地域。表層を抜けて深く掘っていくと面白いものが見つかるのではないか。いや、必ず見つかるに違いない。 虎穴に入らずんば虎子を得ず。敢えて「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊所に泊まり、同じ目線で釜ヶ崎を見てみようと。最近は、「釜」のドヤに泊まるのがマイブームになっています。 「釜」自体を
福岡である殺人事件が起こりました。ニュースでもやっていたので、知っている方は多いでしょう。 www.nishinippon.co.jp 被害者がHagexという有名ブロガー、それもはてなブログの方だということを、Twitterのタイムラインで知りました。 hagex.hatenadiary.jp 同じはてなブログではあるものの、Hagex氏と直接のかかわりはありませんでした。彼の存在も、この事件で知ったほどですから。 しかし、オフ会やセミナーなどで会ったことがある人は少なからずショックを受けているだろうし、私などとは違い影響力のある有名ブロガーなので、彼の読者の中でも動揺が広がっています。 私も一人のブロガーとして、決して対岸の火事視はできません。 犯人は「低能先生」 犯人は、Hagex氏や他ブロガーから「低能先生」と呼ばれていた悪質な荒らしです。こちらも直接の関わりはありません、たぶん。
(信太山ゴルフ場。本格オープン前。昭和10年11月頃。『阪和電気鉄道史』より) ==大まかなあらすじ== 大阪南部、信太山にあったという短命のゴルフ場、「信太山ゴルフリンクス」は大阪で2番目、さらに日本ゴルフ史に燦然と輝く伝説のコース設計者、上田治が日本で2番目に手がけたゴルフ場でした。 しかし、戦争の激化と共に消滅、今やどこにあったのかさえ資料が乏しい有様となっています。場所は「信太山」にあったことは確かなものの、具体的な場所はあまり知られていなかったのですが・・・。 前編はこちら↓ parupuntenobu.hatenablog.jp ついに発見!信太山ゴルフリンクス 信太山ゴルフリンクスの跡を歩く 電柱に注目! こんなところの「大阪市」 ゴルフ場の前は・・・ ゴルフ場がなくなった後 謎の施設、健民修練所 ゴルフ場の夢のあと 「ゴルフ」を追って 阪和電鉄、もう一つの謎の施設 おわりに
大阪の幻のゴルフ場 信太山 阪和電鉄と信太山ゴルフ場 阪和がやればあそこが黙っていなかった ゴルフコースの設計者 史上空前の好景気と共に 戦争とともに消えた信太山ゴルフリンクス 信太山のゴルフ場はどこにあったのか? 大阪の幻のゴルフ場 我がブログを読んでくれている読者の中にも、ゴルフが好きな人はいると思います。 海外でよく知られた日本人のステレオイメージの一つに、ゴルフ好きが挙げられます。世界には35,000ヶ所のゴルフ場があるそうですが、そのうち7%を日本が占めているのだとか。これは米国に次ぐ世界第二位。日本人、やっぱりゴルフが好きだった。 (神戸のゴルフ場でレッスン中の外国人女性) 日本にゴルフが入ったのは、20世紀に入ってからでした。イギリス人貿易商によって持ち込まれ、その2年後には日本初のゴルフ場となる「神戸ゴルフ倶楽部」が完成しました。このコースは現在も残っています。 昭和に入り
クイズ番組全盛期時代 私のような40代が思い浮かべるクイズ番組と言えば、 ・クイズダービー ・連想ゲーム ・アップダウンクイズ ・クイズ百人に聞きました などなど、挙げていけばキリがありません。うんうんと頷いている人も多いのではないでしょうか。あ、伝説のアメリカ横断ウルトラクイズも忘れちゃダメですね。 『世界まるごとHowマッチ』と『世界一周双六ゲーム』で、海の向こうに「海外」という未知の世界があることを覚え、『ウルトラクイズ』で絶対海外に行ってやる!と決意し、参加資格年齢に達した途端に番組が終わってしまった悲しい思い出。しかし、それらを見ることがなければ、おそらく私は大阪の田舎の井の中の蛙で終わっていたことでしょう。 1980~90年台は個性的なクイズ番組花盛り。チャンネル変えてもクイズばかり。でもテレビが楽しかったあの時。日本史におけるクイズ番組全盛期ではなかったのではないかと。 そん
中国人はなぜ声が大きいのか 日本を訪れる外国人観光客は年々増加の一方です。先日、大学の公開講座で京都へ行ってきたのですが、右を向いても左を向いても外国人だらけ。全国規模で見ればローカル線の叡山電鉄ですら、乗客の半分は外国人な状態。日本旅行のリピーターは京都なんてもううんざり、地方都市や日本人しか知らない穴場へ逃げている傾向があるのですが、その気持ちはなんだかわからんでもない。 その中でも訪日外国人の四強は韓国、中国、台湾、香港、総数の7割を占めています。 中国人観光客の数は、2017年で567,149人で総数の約24%を占めていますが、どこの街でも中国人観光客の姿を見ることが多くなりました。 しかし、それによる軋轢も発生しています。 中国人に対しいちばん眉をひそめるのは、「マナーの悪さ」。 列に平気で割り込む、ホテルのドアを開けっ放しにしてどんちゃん騒ぎをする、トイレでもないのにおしっこを
ブログをご覧いただきありがとうございます。 本記事は、新ブログに移転の上アップしております。 yonezawakoji.com こちらをご覧いただければと思いますので、宜しくお願い致します。 野良学徒の歴史研究 https://yonezawakoji.com/
突然ですが、冒頭からクイズです。 写真の製品の正式名称を答えよ。 昨今のトイレには必ずある、風で手を乾かす機械。これのことです。 この正式名称、即答できるでしょうか。 私はかなり頭を抱えました。これって正式名称を何というのだろう…「ジェットタオル」は…確か三菱電機の商標だったしな…。 白旗を上げて調べてみると、「ハンドドライヤー」と言うのを知りました。世の中、身近にあるけれど呼び名が出てこないものは、けっこうあるものです。 今や公共トイレの必須アイテムになったこのハンドドライヤー、いつの間にかあった感があって具体的にいつ発明されたのか。いざ問われると、なんだかいつの間にか見るよになったな感が強いかと思います。 とりあえずWikipedia先生を覗いてみると、モノ自体は昭和30年代後半から40年代からあったようですが、爆発的に普及したのは1990年代。公衆トイレの必需品としてふつうに見かける
栄えるものはいつか滅びる。これは時空という大きな大河の流れに生きる世界の理(ことわり)ですが、ダイエーの滅びっぷりは日本経済史に残る伝説となりました。 かつては小売界の恐竜として君臨したダイエーの勢いのまま店舗数を増やしていた、ダイエーグループのファーストフード店がありました。 彼の名を、ドムドムハンバーガーと言います。 この名前を聞いた反応は、おそらく二手に分かれると思います。 一つは、 「あー!そんなお店あったな!」 と膝を打って懐かしむグループ。 もう一つは、 「まだあったんや?」 とビックリするグループ。 共通点はどちらも本人の中では既に過去の記憶の存在となっていたドムドムバーガーですが、過去の存在なんてとんでもない。実はまだあるのです。 ちなみに、私は前者の後、後者の感情がこみ上げてきました。そういう方も案外多いかもね。 ドムドムバーガー誕生の背景 時は高度経済成長時代真っ只中の
29日、関東学生アメフト連盟(以下「学連」)による規律委員会の調査結果が発表されました。 内田前監督、井上前コーチが、永久追放にあたる「除名」処分を受けることは事前に漏れてはいたものの、いざ連盟の口から出るとその重みは違います。 除名処分は規定により、理事会では決まらず総会で最終決定をする必要がある、つまりまだ正式決定ではないですが(TVの編集では切られてると思われ)、覆ることはないでしょう。 事実上の副監督にあたる森HCは無期限資格停止、当事者の宮川選手、そして日大アメフト部は今シーズン(来年3月末まで)の公式試合の出場資格停止となりました。 学連の判断は至って理性的な判断だと感じます。説明も具体的でわかりやすかったですし。 結論から申し上げると、学連は宮川選手の証言をほぼ採用した形となりました。 その理由も、彼の証言の一貫性だけではなく、周囲への聞き取りでも宮川選手の方が正しいという証
タイトルからいきなり「ルンペン」ときましたが、ルンペンって言葉を知っているでしょうか。ルンペンとはドイツ語でボロ布という意味で、それが日本に入り、転じて「浮浪者」「失業者」という意味になりました。破れた帽子をかぶり、穴が開いた服を着ている人、それがルンペンの標準イメージです。 元々は、朝日新聞に連載されていた小説『街の浮浪者』の”浮浪者”に、作者の下村千秋が”ルンペン”とルビを振ったところ、それが流行語になったのが始まりだそうです。 だいたい昭和ひと桁の頃に流行した用語で、 (「社会ユーモア・モダン語辞典」(1932年)より) 当時の新語・流行語辞典にも掲載されています。 平成生まれの人はなんだそりゃ!?でしょうが、私のような40代では、ほのかなノスタルジーを誘うような語句でもあります。小学生の頃、大阪のあいりん地区にたむろしていた身なりがよろしくない日雇労働者を、「ルンペン」と指さしてい
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