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掃除・片付け
redcoloredgun.hatenablog.com
Red Colored Gunは同じ学校に通う者同士で結成されたバンドなので 結成当初は 例えばスタジオセッションなどがない日でも ほとんど毎日のように顔を合わせていたが お互いの音楽的なルーツが全く異なることもあって 音楽に関する突っ込んだ会話を どこかで避けているようなバンドだった 今にして思うと お互いに聴いてきた音楽的なバックグランドがあまりに 違うことから また そのことをバンド結成後の 比較的早いうちに お互いに意識していたことから 音楽に関して語り合い 無駄な衝突のきっかけを作ることを必要以上に恐れていたのだと思う バンド結成直後は コピーバンドであったこともあって スタジオセッションの時間であっても ただひたすらに演奏を繰り返すばかりで こうしたらもっと良くなる とか 自分はこう演奏したいから ここはこんな風にアプローチをしてほしい などといった 今ならば当たり前に話せるよ
あらかじめ予約しているスタジオリハーサル開始時間の 少し前の時間を バンドメンバーの集合時間として バンドの今後の活動のスケジュール等の打ち合わせを行うことも多いが 特別に打ち合わせが必要な議題等がない場合には ボーカルギターの三吉のみ バンド練習開始の1時間前に 個人練習扱いで 一足先にスタジオ入りしてしまうことも多い ギターのチューニングや音作りをしたり ボーカルマイクの出力調整を済ませたり リハーサルスタジオの部屋の造りに合わせて 各楽器が聞こえやすいであろうポイントへと アンプの角度や置き場所 あるいはボーカルマイクの位置を変更したりと バンドが音を出すために必要な環境を整えていると 簡単に20分から30分程度の時間が経ってしまうからである そうしてある程度の環境を整えたうえで 余った時間には その日のセッションのために用意した 新曲のモチーフを確認するなどの事をしながら その後に
Red Colored Gunは2001年に結成されたバンドだが メンバーが多感な時代を過ごした その前後数年間の音楽シーンは 非常に目まぐるしい 変化の時代の真っ只中にあったと言うことができる 当時はブリットポップの台頭や Radioheadの衝撃的な一連の作品群のリリースなどを筆頭にして 今でも音楽ファンの中で 歴史的とまで語られている程の大きなトピックスが 次々と発生していく時代であった またテクノやハウスミュージックなどのクラブミュージックは かつてはマニアックな音楽ジャンルと見られていたものの 時代の流れの中で 幅広く一般に認知される存在となり その流れの中でロックとの融合も積極的に行われるようになっていった 当時はいくつもの音楽的なムーブメントが同時多発的に起きて それらは主に音楽雑誌や当時急成長していた大型レコードショップなどを通じて ほとんどタイムラグもなくダイレクトに日本
ボーカルギター三吉がメインギターとして使用している グレッチ社のギターは ギタリストの間では数多あるギターの中でも 最も音作りが難しいと言われるギターの内の一つだ グレッチ社製造の多くのエレキギターは フルアコと呼ばれる構造でできていて ギターの内部が空洞となっている 三吉が使用しているテネシーローズも同様で こうしたフルアコの構造からなるギターだ この特殊な構造から エレキギターでありながらも あたかもアコースティックギターのような 強いアタック感があり尚且つ非常に音の立ち上がりの早い グレッチ特有の歯切れの良いギターサウンドが得られる反面 ロックサウンドに欠かせない歪んだドライブトーンでは 常にハウリングの 問題に悩まされることになる このように ただでさえハウリングが問題となり 音量が上げにくいグレッチのギターではあるのだが Red Colored Gunではベースやドラムのサウンド
バンドのリーダーの役割は多岐にわたる バンドが自分たちの意思に沿って順調に活動できるか否か そのカギはリーダーが握っていると言っても過言ではないし バンドに起こるあらゆる出来事への対応は 最終的にはリーダーの責任において行われるべきだと言えるだろう 細かな部分はバンドによっても変わるのだろうが バンドのリーダーの一般的な役割は 練習やライブへ向けてのメンバーのスケジュール調整 ライブハウスやスタジオとのやり取りなどが挙げられる またイベントへの出演やレコーディングの際には バンドの代表者として先方のスタッフに対して バンドの考えや意向をしっかりと伝えることが求められる こうして改めて考えると 誰がバンドのリーダーになるかは バンドの運命を左右すると言っていいほど重要なものとなる そう言っても過言ではないのだが 思い返してみれば我々Red Colored Gunは 結成の際にメンバー間で真剣
社会人になりたての頃 仕事が終わり一人時間を持て余していた週末の夜に ふらりと立ち寄った渋谷のバーが人生初のバー体験となった アナログレコードが流れる オーセンティックなシガーバーだった バーテンダーの登竜門としても有名なその店には 将来本格的なバーテンダーになることを真剣に志している 若手のバーテンダーが多く働いていた 年齢が近いこともあって 音楽の話題や バーやお酒の話題から始まって 時には客とスタッフとの関係を超えるかのような 随分と個人的な話まで 彼らとの話題は尽きることがなく大いに弾んだものだった 渋谷でのライブ後の バンドのささやかな打ち上げもここで開かれた 20代の 随分と多くの時間をこのバーで過ごした 自分にとって当時は敬遠しがちな音楽ジャンルであった ジャズとの出会いもここでの出来事だった それがきっかけとなって その後とりわけマイルスディビスの作品群に大きな衝撃を受けた
ボーカルギターの三吉が現在使用しているメインギター グレッチ社のテネシーローズはRed Colored Gunを結成するよりも前から いつかは手にしたいと考えていた憧れのギターだった バンド結成後もその思いは変わらず 楽器店に入ってはショーケースに入っているこのギターを眺めたり 時には実際にサウンドを体感するために 店内にて試奏をさせてもらったりする日々が続いていたのだが エレキギターの中でも比較的高価なモデルとなるギターであることもあり 迷いながらもなかなか購入には踏み切れない日々が続いていた そんなある日 何気なくギター雑誌を眺めていたところ 渋谷に箱モノ(ボディが厚く主にジャズなどに使われることが多いモデルの事)ギターの専門店がある事を知り そこで出会った90年代製造の中古のテネシーローズが状態も良く 比較的手頃な価格であったことから 即断で購入したことからこのギターをバンドでのメイ
ライブハウスでのライブにおいて お客様に迫力のあるバンドサウンドを届けるために またステージ上でバンドが普段通り演奏するための環境を作るために ライブ当日に行われるリハーサルでのサウンドチェックの時間は バンドにとって本当に大切な時間だ この時間内にバンドメンバー全員が演奏しやすい音の環境を作れるか否かが そのままその日のライブの成否に直結すると言っても過言ではない そんな大切なサウンドチェックの時間の中でも バンドのボーカリストとして最も神経質になるのが ステージ上で聴こえるバンドサウンドと 自分自身の足元に置かれている ボーカリスト用のステージモニターから聴こえる自分の歌声との 音量のバランスである 1日に数バンドが出演する対バン形式のイベントでは 1バンドのリハーサルの持ち時間が 楽器のセッティング時間も含めて30分程度であるため 細部にわたって全く妥協のない完璧な音量バランスを作る
Red Colored Gun はここ数年のライブでは ライブ当日にライブハウスの近くのリハーサルスタジオに入り 本番直前の最終リハーサルを行う事が多いが 前もってライブハウスから伝えられている バンドのライブハウスへの入り時間に関わらず 最終リハーサルが終わった後には できるだけ早くライブハウス入りをしようと心掛けている ライブ当日はライブに向けた準備があるため 色々とやらなくてはならない事が多いのだが その一つ一つがライブの成否に繋がっていく重要なものであるため 時間的にも余裕をもって なるべく丁寧にそれらをこなしていきたいと メンバー全員が考えるようになったからである ライブハウスでは当日 その日のライブでお世話になるライブハウスのスタッフや対バンへの挨拶から始まり 続いてPAスタッフと照明スタッフに対して バンドからの要望を伝えるためのシートを記入 最後にそれをもとにしてステージ上
学生時代にはRed Colored Gunとしてのバンド練習のほとんどを 学内にあるスタジオで行っていたが 学園祭などのサークル主催のライブの直前は さすがにスタジオ利用希望者が多かったため 外部のリハーサルスタジオを利用せざるを得ないこともあった 学外のスタジオは当然有料のため 僕らのバンドは時間を気にせず利用できる 学内のスタジオでの練習を優先させていたが 学内のスタジオにはない高価なドラムセットやアンプなどを 使用して演奏ができるという理由で たまにしかない学外のリハーサルスタジオでの練習の機会は楽しみでもあった そんな中 僕がギタリストとして楽しみにしていたのが 定番の機材として ほとんどどこのリハーサルスタジオにも常設されている マーシャルアンプを用いてのセッションだった 学内のスタジオでは20W程度の出力のトランジスタアンプを利用していたが 外部のスタジオでは最高級の100Wの
現在Red Colored Gunでメインギターとして使用している グレッチのテネシーローズはバンドで使用した3本目のギターとなる 1本目のギターはバンドの初期に学内のライブで使用していた ヤマハ製のバイオリン型のギターだ ポールマッカートニーが使用しているヘフナーのベースによく似た形状のギターで サスティン(音の伸び)が良く セミアコ特有の丸みのあるふくよかな サウンドが特徴的なモデルだった 2本目のギターはライブハウスへの出演にあたって購入した グレッチの6119というモデルだった グレッチのギターの特色である歯切れの良いサウンドが バンドに合うはずだと考えて購入したギターであったが Red Colored Gunのサウンドに必要なレベルまで音量を上げると ハウリングの問題に悩まされ ほぼ使用しないまま手放すこととなった そして3本目となるギターが 現在使用しているグレッチの6119-
町田クラシックスは2018年4月にオープンした 新しいライブハウスだ Red Colored Gunは2019年の1本目のライブを この町田クラシックスにて行った 初出演となるライブハウスであったが 僕らのバンドにとってゆかりの深い土地に新たに建てられたライブハウスであることから オープン当初からその存在が気になっていたライブハウスであった というのも このライブハウスが建てられたビルには もともとバンド用のリハーサルスタジオが 入っていて このスタジオこそが 当時主に学内のリハーサルスタジオでセッションを繰り返していたRed Colored Gunが 初めて使用した学外のリハーサルスタジオだったのである そして今は無くなってしまったそのリハーサルスタジオを大幅に改装し 新たに作られたライブハウスが この町田クラシックスなのである 当時のRed Colored Gunは 学内のスタジオにて
音楽を演奏することの楽しみはもちろんだが リスナーとして様々な音楽に触れる喜びも変わっていない 新たな出会いの主な場所はやはりCDショップとなるが 最近ではバーで新たな音楽と出会い衝撃を受ける機会が多い 2018年にかねてから様々なメディアで取り上げられ目にして以来 長らく気になっていたアナログレコードが流れるミュージックバーへ行き それ以来大変お世話になっている そこで出会ったミュージックセレクターは 音楽に対して非常に深い知識と愛情を持っていて オープン直後の比較的手のすいた時間帯には 音楽に関する多くのことを教えていただいている 目の前で行われる彼の選曲は毎回異なり いつも新鮮な驚きの中で時間を過ごしている 時間帯やその瞬間の雰囲気に合わせて 彼は1曲ごとにレコードを取り換える そして 次から次へとスピーカーから素晴らしい音楽が流れてくるのだ オーガニックなジャズボーカルから 近代的
Red Colored Gunのメンバーは全員 アドリブ演奏を非常に重要視している バンド結成時は特別そういったコンセプトを掲げていたわけではなかったが 長い活動の中でお互いがアドリブ演奏の楽しさを見出して 自然と今の考えに至った 近年では楽曲制作中の早い段階で 楽曲構成にリズムのトリックを仕掛けるなどして メンバーがアドリブを演奏しやすいパートを作れないかと意識することが多くなった とりわけドラマーの直江卓哉は セッション中思いがけない楽曲構成のアイデアを出してくる 楽曲制作中に出てくるアイデアは その楽曲のクオリティをさらに上げる可能性を秘めているから どのようなアイデアでも実際に試してみる 必ずしも全てのアイデアが採用されるとは限らないが メンバー1人1人が楽曲を自分のものとして 演奏するために このプロセスは非常に大切だと考えている こうした試行錯誤の末に生まれた楽曲はライブでセッ
誰もが知るほどの著名なプロミュージシャンが 多忙なステージやレコーディングの日々の中で 蓄積された耳へのダメージが限界を超えてしまい 突発性難聴を発症してしまった というニュースを耳にしたことはないだろうか? 或いはまたライブハウスや音楽フェスなどに頻繁に通っている音楽ファンならば ライブ終演後から 酷い時には翌日まで続く耳鳴りの症状を感じたことのある方が 少なくないのではないだろうか? 私自身も様々な形で音楽に触れる中で こうした状況を経験したり 多くのニュースに触れる中でその存在を知ったのが いわゆるライブ用(音楽用)耳栓だ 音楽好きの人間の一人として 耳へのダメージを心配することなく 安全に安心して音楽を楽しみたいという思いから ある日CRESCENDOというメーカーのライブ用耳栓を購入し 今ではライブやフェスに出かける際には 欠かさず持ち歩くようになった 言うまでもないことではある
2018年より開始された SNSを通じたバンドのプロモーション活動からの流れを引き継いで 2020年よりRed Colored Gunはバンドのオリジナル楽曲を 徐々に公開していくこととなった 今後オリジナル楽曲のリハーサルスタジオテイクや ライブハウスでの演奏のテイクをバンド公式の YouTubeチャンネルにて公開していくこととなる オリジナル楽曲の公開はバンドにとって最大のプロモーションチャンスで あるため バンド内では結成以来 たびたびそのタイミングと方法論についての議論が行われてきた 議論の過程では年間のライブ活動を一旦停止して レコーディングスタジオにて メンバーが納得のいくテイクを収録し プロのエンジニアの手によってミックスダウンされた クオリティーの高い音源を作成し販売するという考え方もあった だが まずはYouTubeを通じて気軽に楽曲を聴いてもらい Red Colored
2004年から3~4年間 メンバーの様々な事情が重なり バンドとしての活動の目途がどうにも立たなくなっていた 顔つなぎのような感覚で メンバー二人などでは集まるのだが ライブに繋がるような練習が出来ず 今振り返れば 先の見えない長い活動休止の様な時間が続いていた なんとかメンバーの足並みがそろいライブ活動が再開したのは2007年頃からだった その後 渋谷チェルシーホテル 新宿ロフト 下北沢シェルター 六本木クラブエッジ 赤坂天竺 三軒茶屋ヘブンズドアなど都内の ライブハウスに積極的に出演していった 制作意欲も高まりその時期に生まれた To be Undressing lover Smoky crazy night From time to time Lines Take it back等は 今でも大切な楽曲としてステージで演奏している 中でもTake it backは 活動休止状態だった当
学生時代に音楽サークルでライブを行う際には 教室や空いているホールなど学内の様々なスペースで ライブを行っていた 当然のことではあるが ライブハウスの様な常設のステージがあるわけではないため ライブの度に ステージの設営 スピーカーの搬入 配線などが必要となる 我々の音楽サークルでは 入部の際に部員をPA(音響)チームと照明チームの2つに分けていた 各チーム毎に先輩から受け継いだスタッフとしてのステージ作りのノウハウを後輩へと伝えていく仕組みとなっていたのだ サークルに所属した当時は スタジオでの練習やライブ出演に価値を見出していたため こうした裏方業務に強い関心があったわけでもなく どちらでもよい などと考えていたが 結果としてRed Colored Gunのメンバーは全員PAチームに所属することとなった サークルにはPAスタッフも多数いて ライブの度にそれぞれの担当ステージを決めていた
2005年 卒業を間近に控えたこの頃 1年先に卒業した中島を除いた Red Colored Gunの三吉と直江の間では 卒業の記念として どこか印象に残る珍しい場所にでも出かけようという 話題が上っていた 当時も変わらず週に一度のペースで学内にあるスタジオに入っていて 学内でも毎日のように顔を合わせていた二人ではあったが 休日にまでどこかに出かける機会はそれほど多くなかったため その計画はなかなか進まなかった そんなある日 何気なく見ていたインターネットの記事で目にした 六本木のビートルズバーが候補地として急浮上した そこでは毎晩ビートルズの楽曲を専門に演奏している専属の 所謂ハコバンが 目の前でビートルズナンバーを生演奏し 完全コピーするというのだ 楽しみにして出かけて行った当日 ビートルズの初期のロックンロールナンバーに思い入れの強い直江は I saw her standing the
2004年 大学生活の4年目は一足先に卒業した中島を除いた 僕と直江が学内に残る大学生活最後の1年となった 僕ら二人は 卒業の際に中島から 自分のことを気にせずに残りの一年も自由に音楽活動をしてほしい と伝えられていた 大学入学以来 絶え間なくライブを行っていたことから僕は 大学生活最後の1年もサークルの仲間や後輩のサポートとして ライブに出演していこうと直江に提案を持ち掛けたのだが 直江の答えは 今後も今まで同様Red Colored Gun以外の音楽活動は一切考えていない というものであった 彼は今まで築いてきたスタイルを変えてまでライブに出演することに意味はなく 今後もRed Colored Gunとしての楽曲制作を続行するべきだと強く主張してきたのだ この言葉を受けて 僕らの大学生活最後の1年は入学以来初めてライブ出演のない1年となった 当時 社会人1年目の中島と卒業を控えた僕ら二
大学時代 学内スタジオで練習していたある日のこと いつものようにセッションを繰り返し 少しの間休憩していると 突然スタジオのドアがノックされた ついに音漏れの苦情が来たかと思いながら 恐る恐るドアを開けると 見知らぬ外国人の姿があった バンドの音に驚き訪ねてきた彼は イギリスからの留学生であった ぜひ曲を演奏してほしいとスタジオに入ってきたのだ 当時すでにあったオリジナルの作品を数曲演奏すると 誰の曲なのかと聞いてきた 僕らのオリジナルだと答えると とても驚いてくれた イギリスと言えば バンドが敬愛する The beatles Radiohead Primal Screamなどを生んだ音楽の 国である いくつかのバンドの話題が飛び出して 話は大いに盛り上がった 外国人から好評をいただいたのは バンドにとって初めての経験であったため 強く印象に残っている その後に出演することとなるライブハウ
初めて手にしたギターはヤマハ製のアコースティックギターだった 弾き語りに適したボディの大きなドレッドノートタイプのギターで 中学校入学の際に購入したものである その当時から憧れていた The beatlesのジョンレノンや CHAGE&ASKA サイモン&ガーファンクルなどのミュージシャンは 楽曲を自作しているという事実を知り 彼らがステージでギターを抱えながら歌っていたことから ギターを持てば いずれは自分でオリジナルの楽曲を作ることができるようになるかもしれないと考えていた だが今にして思えば当時はCDを聴いても ギターが楽曲全体の中でどういう役割を果たしているかを全く理解できていなかったし そもそもギターのサウンドを聴き取る事さえできていなかったように思う またギターを覚えていく中でぶつかった最初の壁は 弦の張り替えや正確なチューニング(調律)と言うような演奏以前の問題であったものだ
学生時代には 授業の合間や放課後の多くの時間をサークルの部室で過ごした 部室には卒業した先輩が新しく入部する部員のためにと残したギターが3本あった そのうちの1本はガットギター(ナイロン弦を張ったクラシックギター)で 音のバランスが良く 柔らかい音が出るこのギターを当時僕はとても気に入っていた 当時のライブで使用していたヤマハ製のメインギターは スタジオセッションのある金曜日にだけ 学校に持ち込んでいたため 学生時代に最もよく弾いたギターは ひょっとしたらこのガットギターだったかもしれない ガットギターは音量もそれほど大きくなく 弦も柔らかいので弾いていて疲れないため 楽曲のモチーフの作成や リフの作成にはとても便利だったのだ 年間に5本程度ある学内のライブの全てに オリジナル楽曲で出演しよう決めた当時の僕らは とにかく多くの楽曲を作成する必要があった ステージでオリジナル曲を演奏するよう
大学生活では授業の合間や放課後に多くの自由な時間があった そしてその長い学生生活の中で 様々な音楽との出会いがあった 当時は今と違いYou Tubeは無かったが 音楽雑誌が今よりも多かったから 次々に刊行される音楽雑誌を読んでは 興味を持ったミュージシャンのCDを 中古のCDショップやタワーレコード等で手に取って聞いてみる ということを繰り返していた また 所属していたサークルの部室にはCDプレイヤーがあり そこでサークル仲間や先輩が流す音楽に触れる機会も多かった 当時出会った ジミヘンドリクス ジェームスブラウン レッドツェッペリン スライ&ザ゙・ファミリー・ストーン マーヴィンゲイ 等の音楽は今でも愛聴しているが それらはどれもサークル仲間のルーツミュージックとして 教えてもらい知ったものだった また サークルの中でも特にソウルミュージックに傾倒していた先輩には 曲作りや音楽観といった
学生時代には 学内でも多くのライブに出演していたが その中でもやはり1年に1度の学園祭でのライブは特別なものだった 学園祭では準備に1日 片付けに1日をもうけて その他に演奏が可能なライブ本番が2日間あった 学内の教室をライブハウスにするため 教室の机をすべて運び出さなければならないし 照明や音響設備の準備も 自分たちで行わなければならないので 当日に向け サークル内で様々な打ち合わせを重ねて当日を迎えるのだが それでも学園祭の期間中はやることが多く とにかく慌ただしい日々だった Red Colored Gunのメンバーは全員音響のスタッフとしてステージの設営をしていたが 配線が終わって 問題なくスピーカーから音が出た時の嬉しさと これでなんとか本番を迎えることができる という安堵感は いまでも忘れることができない そんな学園祭の中でも とりわけ強く印象に残っているのが 学内に中島大介が残
学内スタジオのセッションの日々が続く中 どうにか30分のライブに耐えうるだけの曲数が揃ってきた 大学2年の頃に初めてのライブハウス 八王子Rips出演の審査が通り 初めてライブハウスでのライブを行うこととなった 学内で行うライブとライブハウスでのライブの違いは なんといってもチケットの有無である 学内であれば友人を誘い 親しい仲間のみがお客さんという環境であったが ライブハウスではミュージックチャージが発生し 親しい友人であれども 一般のお客さんであれども その金額以上に楽しんいただけるライブを見せる責任が生まれる お金をいただいている以上厳しい意見も受け入れなければならない そんな覚悟とともに Red Colored Gunは徐々に ライブハウスという新しい活動環境へとシフトチェンジしていった Red Colored Gun Vo.G 三吉 秀典 B. 中島 大介 D. 直江 卓哉 An
オリジナル楽曲の制作を決断した以上 再びコピーバンドとしてステージに立つことは考えられなかった そのため バンド存続の可能性は メンバーの3人全員が心の底から納得できる楽曲を作り 自信をもってステージでパフォーマンスする という一点にのみ存在した オリジナル楽曲の制作を目標として歩き出した僕らに 非常に好都合だった部分は 何といってもサークル内にあったスタジオの存在だった もとは他人の楽曲をコピーする場所だったスタジオは その後 自由なセッションの場 制作の場 実験の場へと 意味を変えていった 毎週金曜日 必ずメンバーの3人で集まり 夕方から学内バスの最終ギリギリまで 3時間のセッションを繰り返す中 いくつかのモチーフが生まれていった そのモチーフをもとに 各々の求めるサウンドを楽曲に投影させるために 納得するまで何度でもセッションを繰り返した この当時に始まったセッションによるモチーフの
サークル内でのライブは学園祭など年間5本程度あり 当面の目標はその全てに出演することであった 初めの何本かのライブはBlankey jet cityのコピーバンドとして 出演していたが もともと僕が志向するメロディアスな音楽 中島が志向するハードコアなパンクサウンド 直江が志向するストレートな60' のサウンド では 行く先バンドの対立 解散が目に見えていた コピーの合間にスタジオでやっているセッションをさらに発展させ 各々の個性が活きるオリジナルの作品を作り 自分たちだけのサウンドを確立する必要があった また 先に卒業する中島が学内にいる間に バンドの活動を確固たるものとし サークルと無関係の学外のライブハウスに 活動の拠点を徐々にシフトチェンジしていく必要があった ライブハウスへの出演の最低条件はオリジナル作品の演奏である そのため 早々に他のバンドのコピーに見切りをつけ 僕らはオリジ
小さな音楽サークルではあったが サークルのメンバーや先輩方は それぞれ自分のスタイルを持ち 音楽を愛するメンバーの集まりだった ライブハウスで活動する社会人のOBも立ち寄るなど 自由な雰囲気のサークルだった サークルのメンバーは皆 フォーク、R&B、メタル、ファンクなど各々の音楽性を追求していた そして学園祭などを 含めて年間に5本程度サークル主催のライブがあった 出演にあたり上下関係などの煩わしさもなく 自由にライブに出演ができた 大学生活1年目からライブを経験でき 4年間でバンドの基礎を作る大きな経験をさせていただいた サークルメンバーとの交流は様々な音楽に触れるきっかけともなり 刺激的な日々だった 一部のメンバーとの交流は今も続いている 僕らのバンドは結成当初はコピーバンドとしてライブに出演していた バンド初めてのステージはBlankey jet cityのコピーバンドとして 出演し
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