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拙著『ブルーノ・シュルツ――目から手へ』(水声社、2012年)をもとに、改稿、修正を加えたポーランド語訳 Bruno Schulz, modernista z Drohobycza. Księga, obraz, tekst (ブルーノ・シュルツ、ドロホビチのモダニズト――書物、イメージ、テクスト)が、ポーランド科学アカデミー文学研究所出版社より2023年12月に刊行されました。日本語からポーランド語の翻訳は、Anna Trzaska。査読は、ポーランド科学アカデミーのprof. Wlodzimierz Bolecki。 ポーランド文学研究の大御所であり、シュルツはもちろん、ポーランド文学におけるモダニズム概念を再考する画期的著書(英語版も近刊)を1990年代に刊行しているボレツキ教授から届いた講評は10数枚。それをもとに翻訳された拙著を読み直し、再考・修正するインテンシブな作業を秋に行い
競技歴(陸上競技 ハンマー投) 2004年 オリンピック アテネ大会・・・・・・・・・・・・・・・金メダル 2012年 オリンピック ロンドン大会・・・・・・・・・・・・・・銅メダル 2001年 世界選手権 エドモントン大会・・・・・・・・・・・・銀メダル 2003年 世界選手権 パリ大会・・・・・・・・・・・・・・・・銅メダル 2011年 世界選手権 テグ大会・・・・・・・・・・・・・・・金メダル 2006年 IAAFワールドカップ アテネ大会・・・・・・・・・・・・・・・・優勝 2002年 IAAFグランプリファイナル パリ大会・・・・・・・・・・・・・・年間優勝 2006年 IAAFワールドアスレチック・ファイナル シュツツガルト大会・・・年間優勝 2010年 IAAFワールドチャレンジ・シリーズ・・・・・・・・・・・・・・・年間優勝 2001年 グッドウィルゲームズ ブリスベン大会
0 はじめに 私は修士修了後に会社員として働きながら研究を続けており、そのことについて修士の方を中心に問い合わせを受けることがよくあります。少しでも参考になればと思い、私の経験について書きます。とりいそぎまとめたものなので荒くてすみません。 この記事は私の出身研究室の人向けに書いたものなので、研究室や分野が異なる方には参考にならないかもしれません。 1 自己紹介 1-1 経歴 2017年3月に東京大学大学院人文社会系研究科の社会学研究室の修士課程を留年してM3で修了後、博士課程に進学せずに会社に勤めながら査読論文を書いています(現在2本アクセプトされました)。この記事を書いた時点で会社員として3年目の5月なので、ストレートに博士に進学していればD3の学年になります。 また、2018年9月に転職して現在2社目です。1社目では都内にあるコンサルでコンサルタントとして働き、2社目では都内に本社を
ピョートル・アコポフ「ロシアの攻勢と新世界の到来」(2022年2月26日発表、その後削除)は、今回のウクライナ侵攻の背後にある世界観・歴史観の一端をうかがうことができる、興味深い論文です。その中でも重要と思われる部分をロシア語テキストから訳出し、私なりの簡単な解題を加えたものを、以下にpdfファイルとして掲げます。 ロシアの攻勢と新世界の到来_解題_池田嘉郎.pdf ※このブログをご覧になってくださった方へ。私はロシア・ウクライナ戦争に関して考えたことや感じたことを、しばらくの間、このブログに書くつもりです。といってもそんなに頻繁にではなく、4・5日に一度も書くか書かないかくらいだと思います。関心をもってくださった方は、たまに覗いていただければありがたく思います。
はじめに,私がロシア軍によるウクライナ侵攻に断固として反対しているということを明記しておきたい。それからこの文章は,現在のウクライナ情勢について示唆を与えるようなものではなく,一研究者の現時点(2022年3月6日)での雑感にすぎない。状況は日々悪化していくので,考えもまた変わるかもしれない。 私の研究対象は,20世紀初頭のロシア思想,特に,思想家にしてロシア正教の司祭でもあったパーヴェル・フロレンスキイ(1882-1937)の思想である。プーチンが好んで読んでいるとされ,今回の侵攻との思想的繋がりが指摘されるイヴァン・イリインとは一歳違いの思想家だ。 20世紀初頭のロシア思想というのは,西欧,主にドイツの哲学を吸収し,ドイツ哲学を常に参照元としながら,その模倣と独自性の模索とを繰り返した19世紀を経て,ようやくロシアらしさ,ロシアのアイデンティティというものを表に出し始めた時期であった。そ
2022年2月24日にロシア=ウクライナ戦争が始まって1週間がたった。暗い気持ちで毎日を送っているのだが、それはひとつには戦争の情景を見ることによるものであり、ひとつには私の知っているロシアが崩れていくことによるものであり、ひとつには研究の展望がどうなるのか分からないことによる。戦争の情景を見るのが辛いことについては、どうしようもない。ウクライナ以外にも戦争はあったという指摘もあるが、自分はロシア・ウクライナに関心が深いのだから、とくに辛いのである。現地の人が悲惨であることはいうまでもない。その上で、自分の感慨として、ここに思ったことを書いておきたい。 私の知っているロシアが崩れていくこと。ロシアはもう30年以上関心がある世界である。最初はソ連に関心があったのだが、90年代半ばに現地を徐々に知るようになってから、ロシアへの関心が大きくなっていった。いつもロシアのことを考えているので、それが
怒涛の2021年度が終わった。 今年度はどうにかなるかと思われたオンライン授業だったが、一部対面での実施はできたものの、完全オンラインというわけではない、対面とオンラインを組み合わせたハイフレックス型の授業が行われた。 次年度以降は別形態になるかもしれないが、振り返りとして書いておく。 関連エントリ https://negadaikon.hatenablog.com/entry/2020/07/31/000506 https://negadaikon.hatenablog.com/entry/2020/08/03/003532 勤務先では、密を避けるために、学籍番号末尾の奇数グループと偶数グループを分けて、それぞれ隔週で登校日を指定して、ある週は奇数の人がオンライン、偶数の人が対面。翌週は逆。という形でハイフレックス型の授業をしていた。 学籍番号で登校日を決めるのは、学生の希望に合わせてオ
以下の文書は、別のところで「数学書の読み方」を話した内容をもとにしています。 web 上では、数名の方が私の発言をまとめて、既に公開して下さっているのですが、 勤務先の学生さんからも質問を受けることがありますので、こちらでも公開します。 数学書の読み方については、小松先生、飯高先生、河東先生によって 小松彦三郎「暗記のすすめ」(小平邦彦編「数学の学び方」, 岩波書店) 飯高茂「数学の本の読み方 (高校生のために)」 (飯高・上野・浪川「デカルトの精神と代数幾何(増補版)」, p.10, 日本評論社) 河東泰之「セミナーの準備のしかたについて」 などで述べられていて、私の発言はこれらの内容のコラージュに過ぎないのですが、 このような情報も、それほど広くは知られていないようですので、こちらで改めて公開する次第です。 なお、この文書の増補版が『数学セミナー』2012年6月号に掲載され、 数学セミ
こんにちは、日髙晋介です。ウズベク語を研究しております。 ウズベク語は、主に中央アジアはウズベキスタン(Googlemap)で話されている言語で、トルコ語などが属するテュルク諸語に属する言語です。なお、テュルク諸語の分類の代表的なものとしては、Las Johanson氏のHPに掲載されているものが挙げられます。 トルコ語とウズベク語の違いに関しては吉村大樹氏(うぎゃーさん)のnote記事「トルコ語がわかれば、他のテュルク諸語もわかる」説はどこまで本当なのか?」の 例その2:トルコ語とウズベク語 にも例を挙げていただいているので、そちらをご覧ください(吉村さん、ウズベク語を取り上げていただきありがとうございました!この場を借りてお礼申し上げます)。 これから、私とウズベク語との邂逅を紐解いていくのですが、ここで勘のいい読者のみなさまはお気づきかもしれません。 読者「ウズベク語がテュルク諸語、
1. 始めに しばらく前から気になっているのが、日本語の「ん」の発音である。実際に「ん」が日本語でどのように発音されるのかに関しては国語研の誇る実験音声学者の前川氏が最近一連のMRIの高速撮影を駆使した研究結果を出されているのでそちらに譲る[1]として、ここで考えたいのはもっと卑近な、歌謡曲における「ん」の発音である。まず、日本語「ん」は普通どのように発音されるかを言語学の入門的に述べて、日本語教育的な考察を行い、それから本論に入る。私は言語学者としてはわりと間口が広い人間の一人で、意味論、統語論、形態論、語用論、フィールド言語学、言語社会学、歴史比較言語学まで、論文や概論的紹介を書いたことがあるのだが、唯一単著で書いたことがないのは音韻論と音声学の論文である。というわけで、以下、音韻論、音声学にかかわる文章を書くのだが、専門家として書いたわけではないし、ちゃんとした調査に基づい
八重山と身近な危機と 修士課程にあがって本格的にフィールドワークを始めてから,電車内などで「あっ,ひそひそ話されてる…」と自覚する機会が以前より増えた。 それは院に進学することで容姿が劇的に目立つようになったとか,挙動不審になったとか,自意識過剰と被害妄想が強くなったとか,そんなことではない。 理由は,出先で手に入れたバックにある。 向かいの方からこっそりと「ヤマネコ…」と言う声が聞こえてきて,こちらもこっそり見ると「ねぇあれ見て」の対象になっている。 フィールド以外でこのバックを持ち歩いている人にまだ出会ったことがないし,だいたい同じ車両に乗り合わせた人がこれを持っていることもないので,「あっまた…」と思う。 「山猫優先道路」という名前はついていないが,沖縄県道215号線は実在する。 西表島の外周を通る島唯一の県道で,西部の白浜を起点にし,東南部の大原までつながっている。 ほとんどの集落
合六強 巻 48 号 3 開始ページ 32 終了ページ 50 記述言語 日本語 掲載種別 研究論文(学術雑誌) エクスポート BibTeX RIS
私が「(1)」を発表したのは11月8日でしたが、早くも10日には與那覇潤氏がその記事に対する反論として「嶋理人さんへの警鐘:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える③」(以下「與那覇4」と略します)なる記事を発表し、さらに私がさまざまな所用で先の記事の続きを書かずにいる間の15日には「専門家を名乗る学者が起こす「専門禍」:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える④」(以下「與那覇5」と略します)を発表していました。さらにようやく私が23日に「(2)」を公開したところ、それに対して27日に與那覇氏が「オープンレターがリンチになった日:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える⑧」(以下「與那覇6」と略します)を矢継早に発表されています。 私はこの間、「與那覇4~6」については発表から数日後には存在を知って読んではいましたが、所用も重なっていましたし、直接の反論は控えてきました。その間書いていた
本記事は「與那覇潤氏の呉座勇一さんに関する記事への反駁(1)」の続篇です。 前記事から間が空いてしまいましたが、いろいろな仕事や出張などもあり、まとまった時間が取れませんでした。お待ちくださった方がたには申し訳ありません。 さて、呉座勇一さんのツイッター上でのさまざまな差別や誹謗中傷の問題に対し、與那覇潤氏が記した一連の記事には、はなはだ問題があり看過できない、というのが私の立場です。それは事実の誤認ないし歪曲によって被害者を加害者と入れ替え、見当違いな非難を明後日の方向にぶつけているようにしか思えません。與那覇氏が3月に発表した記事「呉座勇一氏のNHK大河ドラマ降板を憂う 「実証史学ブーム」滅亡の意味」(以後これを「與那覇1」と略します)からして、呉座さんがツイッター上でやってしまったことを直視せず、実証が欠けていると歴史学界を非難しておきながら、ちっとも実証的でないことは前稿で明らかに
このごろインターネット上で「偽中国語」が流行しているそうで、これと前近代の日本で用いられた「変体漢文」との類似性を指摘する声もあるようです。私は現在、平安鎌倉時代の変体漢文を主な研究対象にしているので、これは興味を引かれる考えです。 両者の具体例を見てみましょう。Aが現代の偽中国語、Bが鎌倉時代の変体漢文の例です。Aの例は中国情報サイト「Record China」の2019年7月17日の記事[注1]から引用しました。 A:我等、滅龍也!日本之書店也!本日微博運営開始!諸君追跡宜願! [注2] B:糸惜思食之間、重所被仰遣也。(吾妻鏡・文治4(1188)年4月12日条所収文書) こうして見ると、確かに偽中国語と変体漢文とには共通するところがあります。具体的には、(1)日本語の知識に基づいて、(2)中国語的な表記を行っている、という点で両者は共通しています。なおこの(1)と(2)は一般に変体漢
さる3月に、日本中世史の研究者として名高い呉座勇一さんが、ツイッターの鍵アカウントでさまざまな差別や誹謗中傷を行っていたことが明るみに出、問題となりました。この件では、単に呉座さん個人がひどい発言をしていたという問題ではなく、研究者を含む多数のアカウントが、いっしょに差別やハラスメントを、いわば「遊び」で行っていたことが重大視され、日本歴史学協会が声明を出し、また研究者有志がオープンレターを出すという事態になりました。差別や誹謗中傷がまかり通る学界では、とても今後の発展は望めませんし、実際に攻撃の被害を受けた人を救うためにも、必要なことであったと私は考えます。またこれらの声明やオープンレターに賛同された方がたの中には、過去にハラスメントの被害を受けられたという方もおられるようで、そういった方がたの危機感は一層深いものだったと思います。 しかし遺憾ながら、少なからぬ「ネット論客」や、それに同
福岡県福岡市生まれ。九州大学文学部仏文学研究室を卒業後、京都大学大学院文学研究科思想文化学専攻宗教学専修にて氣多雅子教授・杉村靖彦准教授(当時)の指導を仰ぎ、修士号を取得する。修士論文では、ベルクソンの習慣論について『物質と記憶』を中心に研究した。その後、ベルクソンに止まらず、メーヌ・ド・ビラン以来のフランス・スピリチュアリスムと呼ばれる系譜、とりわけフェリックス・ラヴェッソン、ジュール・ラシュリエ、エミール・ブートルー、モーリス・ブロンデルなどの研究に手を広げ、現在博士論文を執筆中である。同博士後期課程指導認定退学後、甲南大学非常勤講師(現職)を務め、現代思想を教えている。 前述のフランス近現代哲学の他、ビラン、ラヴェッソン、ベルクソンと浅からぬ関係を持つ西田幾多郎を中心に、京都学派の哲学も研究してきた。近年は、彼等が或る種の前提としていた近代的「宗教」概念が歴史上制度的にも大きな問題と
室井康成 巻 51 号 開始ページ 73 終了ページ 104 記述言語 日本語 掲載種別 研究論文(大学,研究機関等紀要) エクスポート BibTeX RIS
Craig R.A. Barnett, Monamie Ringhofer, Toshitaka N. Suzuki
向野正弘 巻 号 15 開始ページ 1 終了ページ 36 記述言語 日本語 掲載種別 速報,短報,研究ノート等(学術雑誌)
私にとっては、研究者になろうと思ってから今日までは、自分の「良くない癖」に気づいては、治そうとする日々の連続であるような気がします。 中でも苦労している癖の中に、「なんとなく分かったつもりになる」「とりあえず分かったことにしてしまう」というものがあります。 勉強したり、他人の論文を読んだりしていて、書いてある言葉の字面を覚えたり「共感」できたり、周辺の「あらすじ」をそこそこ追えたりすると、あまり深く考えずに「もう分かったもんね」と片づけてしまう、というものです。 おそらく、学生のみなさんの中にも多かれ少なかれ、同じ傾向を持った人がいるかと思います。 大学院に進学するまでは、こういう癖を自分の「物わかりが良いところ」とか「素直なところ」の現れと思っていたふしもありました。 しかし、大学院以降は、この癖のためにずいぶん痛い目に遭いました。 今日は、「なんとなく分かったことにする」ということが研
「ああ、神も御照覧あれ、ここの奴隷たちはみんな何という哀れな姿をしているのでしょう。皮膚一面にわたって鉛色の鞭跡が、縞模様につき、彼等のまとっているつぐはぎだらけのボロ着は、アザのできた背中を、隠しているというよりもむしろそれを一掃、陰鬱に見せていました。仲には前の部分をほんの少し申し訳もど布で隠していましたが、大抵のものは、隙間から体がみんな覗いて見えるようなボロをまとっているだけでした。額に文字を焼きつけられ、髪は半分剃り落され、足には枷をはめられていました。全身が土色になって見るからに身震いを覚えるほどで、瞼は熱気を帯びた黒い煙に焼けただれ、目はほとんど視力を失い、それに粉埃を浴びて、正に白粉を撒いて戦う拳闘士よろしく、白っぽく汚れていました。」 (アプレイウス『黄金のロバ』9.12呉茂一・国原吉之助訳 岩波書店 1957年 下巻 76-77頁) 突然ですが、これは紀元後2世紀にロー
序 加地伸行氏の著『漢文法基礎:本当にわかる漢文入門』(以下「本書」)は、当初二畳庵主人の筆名で受験指導大手Z会の機関誌に連載され、1977年に増進会出版社から単行された『漢文法基礎』に基づいて、2010年10月に講談社学術文庫の一冊として復刊された漢文の指南書である。本稿は、私の手元にある本(2012年4月第10刷)に基づいて記述している。 私は教師業を始めた2012年ころに、学生に推奨できる手ごろな指南書を探すなかで、多くの大学の漢文講読の授業のシラバスに参考図書として挙げられているのを見て、本書を入手して読みはじめたが、その内容に疑問を覚えるところがあった。以来、私は自信をもって学生に本書を推奨することができなかったが、2021年現在、本書はやはり多くの大学のシラバスに参考図書として挙げられている。 そのような状況からして、私が推奨せずとも、学生が本書を読んで知識を得ている可能性があ
「自由研究ってどうやればいいの?」とお困りのご家庭・学校のために「科学的な自由研究」の取り組み方をまとめました。自由に印刷して配布等できます。ご活用ください。 雲や天気をテーマとした自由研究への取り組み方は『すごすぎる雲の自由研究ガイド』で紹介しています。こちらもあわせてご活用ください。 https://researchmap.jp/multidatabases/multidatabase_contents/detail/298076/4e5c7c3cd05cb4b56513801850d091e1?frame_id=709963
ジャパンサーチを図書館史研究に使ってみるとの題で話したスライドです(一部、事実誤認があって、席上で受けた指摘を元に修正しています))
東京大学大学院情報学環特任准教授の大澤昇平氏(@Ohsaworks)が、11月20日にtwitter上で行った差別発言について書きます。この件については、11月24日に情報学環長名ですでに以下のような文書が出されています。 しかし残念ながら、上記の文書からは誰がどのような言動を行い、それがなぜ問題なのかということがわかりません。筆者(明戸)は現在同じ大学、同じ部局の特任助教であり(ただしプロジェクト雇用なので部局そのものの運営等には関わっていません)、また差別やヘイトスピーチにかかわる研究者でもあります。こうしたことをふまえて、ここでは明戸個人の立場から、今回の経緯および論点を整理し、自身の立場を明らかにしておこうと思います。
2003年、専門業務型裁量労働制の対象業種に大学教員が追加され、翌2004年4月の国立大学法人化を契機に多くの国立大学がこれを導入。 その歴史はまだ20年にも満たないのですが、今や「国公私立を問わず、大学教員はみな裁量労働制である」という誤解がずいぶん広まっています(試しにTwitterで「大学教員 裁量労働制」で検索してみてください)。 多岐にわたる大学教員の仕事のなかで、授業や会議といった時間を指定される業務はごく一部であり、その他、特に研究に関わる諸々の活動は労働時間管理など到底できません。それゆえ、多くの大学では始業・終業時間が定められているわけではなく、多くの方がそのように誤解するというのはわからないでもありません。 ところが、第3回 私学教職員の勤務時間管理に関するアンケート調査報告書(2017年6月調査)によれば、私立大学で裁量労働制を導入しているのは、わずか13.4%にとど
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