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中東情勢
schlossbaerental.hatenablog.com
春はDIYの季節 毎年のことですが、4月ごろになるとなにか工作をしたくなります。 昨年は妻が研究室で使うキャスター付きワゴンを作りました。 schlossbaerental.hatenablog.com なぜ春がDIYの季節なのかといえば、単純に気温が高くなってベランダでの作業がしやすくなり、日の入りが遅くなるので、作業時間が長くとれるからです。 今年は春休みのあいだずっと寒かったため、なかなかやる気になれなかったのですが、ようやくゴールデンウィークに入り、いろいろ作ろうという意欲が湧いてきました。 友人にあげる踏み台ベンチを作る 以前から妻に頼まれていた、友人宅に贈る踏み台ベンチを作り始めました。 ベンチについては、DIYを始めた直後に作っていましたが、トリマーやポケットホールジグなどを使ってきれいに仕上げる方法を考えました。 座面の裏側にトリマーで溝を彫り、そこに直角に脚をくっつけ、ポ
毎日脚の上で眠るブルーちゃん ちょうど一年前にブルーちゃんの挟まりについて書いていました。 schlossbaerental.hatenablog.com ソファにねっころがってブランケットをかけた私の脚に、毎日ブルーちゃんは挟まって過ごします。だいたい夕方6時ごろから夜9時ごろに私の脚に挟まりに来るので、この時間を夕方の甘えと呼んでいました。 夕方の甘え pic.twitter.com/hb3ZlVJcR1 — tetsuyakumagai (@doukana) 2024年4月21日 この一年くらい、ほぼ毎日ブルーちゃんの甘えを写真に収めてきましたが、一つ気づいたことがあります。ブルーちゃんの寝相がとても規則的に変化しているということです。 どういうことか、以下の写真で検証しましょう。 甘えの四形態 1)おしりを向けて箱座り 最初に脚の上に乗ると、いつも箱座りを始めます。 念のために言っ
講義の資料に使えそうな昔の発表原稿や資料などをHDDのなかから探していると、2003年ごろのメモ書きが出てきました。コンピュータに保存してあるデータというのは、全く場所をとらないものですから(当然ですね)、何でこんなものまでとっておいたのかと思うような、思いがけないファイルが出てくることがあります。 2003年、修士課程4年生になっていた 先日のエントリで、東京を離れることを決意したころのことを書きました。あのあと希望に燃えて京都にやってきた私ですが、あっという間に挫折して、学問に向かう意欲をなくし、一体何をしているのか自分でもわからない日々を過ごすうちに、通常2年で修了する修士課程なのに、留年を繰り返し、4年目の春を迎えようとしていました。 4年間も何をしていたのか? あの頃からもう10年以上の年月が過ぎ、何とか私も研究者の端くれとして、この仕事で生活できるようになっています。今から振り
教務委員は大忙し 毎年のことですが、時間割をつくり、非常勤講師の欠員を埋めるべく新規採用をしたりするのが、だいたい10月から12月ごろの時期です。学内の第二外国語スピーチ大会などの行事、教科書の補助教材作り、そして毎週の授業など他の仕事と並行して進めていくので、けっこう忙しく働いています。 私自身の非常勤講師時代については、昨年の今頃、記事にまとめました。 schlossbaerental.hatenablog.com 今回は、それだけでなく、講師を辞めること、および最近いつも頭を悩ませている講師をどうやって探したらいいかについても書いておきます。 非常勤講師にどうやってなるか? 1)まずは研究歴 たいていの大学では、非常勤講師もまた研究者であるべき、という原則があるため、最低でも修士号は必要です。さらに、昨今では、博士課程を修了または単位取得退学していることが当然とされています。(私たち
春は新生活の季節 4月から大学に入って一人暮らしを始める人、転勤等で新たな場所に移ってきた人など、4月は新生活の季節です。大学教員の世界では、国立大学などの場合9月や10月から着任する人もいますが、まあ、一般的に引越しシーズンといえば年度末ですね。 もう25年以上前になりますが、私も1年間の浪人生活を終えて東京の大学に通い始めたときのことをよく覚えています。大宮(さいたま市)での浪人生活についてはこちらに書きました。 schlossbaerental.hatenablog.com 4月に新入生たちの表情を見ていると、自分が96年の春に大学に入って頃、どんなことを感じていたのかをいろいろ思い出してくるのです。 今回はあのころ19歳の自分が東京で驚いたことについて回想してみました。 大学が決まるのが遅かった 予備校通いは終わったものの、私は3月末まで進学先が決まっていませんでした。某一流私学の
ロードバイクでの通勤、やっぱり無理じゃない? トレックのエモンダSL7を2年前に購入し、東大阪までの通勤を中心にいろいろな場所に出かけてきました。 schlossbaerental.hatenablog.com schlossbaerental.hatenablog.com しかし、ロードバイクによる通勤は、大阪市内の中心部を通るので交通ストレス(信号待ち、歩行者や自転車を避ける、急ブレーキなど)がひどく、この一年はあまり乗らなくなっていました。しばしば自転車を乗らない人には、自転車はすぐに車に轢かれるので危ないと言われがちです。しかし自動車と同じルールを守っていれば、対自動車でトラブルになることはあまりありません。むしろ危険なのは、歩行者やとりわけ逆走、よそ見、信号無視をする他の自転車との事故です。およそ2年ほど続けた自転車通勤ですが、大阪市中心部を通過する際に気を張っていなければならな
コロナ禍から完全復活した現文ゼミ このブログでも何度か取り上げてきたドイツ現代文学ゼミナールですが、この春は東京八王子の大学セミナーハウスで、3月4日、5日に開催しました。 私は数年前から幹事の一人として運営に参加してきました。コロナ禍では数回にわたってオンラインのみの実施となりましたが、今回は私が持参した機材を使ってハイフレックス形式で実施できました。 これまでの数回は、コロナ前より発表者を少なくしてじっくり議論ができるようにと配慮していましたが、今回は一日目と二日目で合計4人が発表するという以前の形式に完全に復帰できました。 会場は八王子の大学セミナーハウス 以前は、毎年春(3月)は箱根、秋(9月)は信州、のちに琵琶湖で開催してきましたが、コロナの直前に箱根の会場としていた宿が閉館となってしまい、ここ数年会場を探しながらオンラインおよび都内の大学を対面会場として続けてきました。今回初め
日頃学生に対して怒ることはありません 大学で教えるようになってそろそろ10年くらいになります。 どの大学でも、いろいろな学生がいますが、基本的に学生を叱りとばしたり、怒鳴りつけたりすることはありません。大学院生の頃の塾講師バイトでは、「子供を甘やかしすぎ」と言われることが多く、人を効果的に叱る方法がよくわかっていないというのもあるのですが、正直なところそれほど腹をたてるようなことがこれまでなかったからかもしれません。 しかし、ときどき、こればかりは許せないなと思うことがあります。今回は、試験の時期にはどこの大学でも見られる、泣き落としメールを送って来る学生について、なぜ私が腹立たしく思うのかを書いておきます。 試験の時期はやはり難しい問題が起こる 毎学期、どの大学でも試験の際にはいろいろな問題が起こります。問題というか学生による不正行為です。カンニングペーパーを隠し持っていた、とかトイレに
ブルーちゃん憤怒のかみつき(イメージです) 学期末からもう一ヶ月 大学の授業期間が終わってそろそろ一ヶ月が過ぎ、ちょうど落ち着いて研究に取り組める時期になりました。テスト期間の直後に、学期末レポートを読んで気づいたことを書き始めたのですが、ちょっと冷静になってからにしようと思っていたらもう2月も終盤となっておりました。 ひどいレポートが増えた コロナ禍以後、期末試験ではなくレポートで成績評価をする機会が増えました。LMSが普及したため、オンラインで課題を提出しやすくなったためです。私は紙の答案を管理するのが苦手なので、オンライン化は大歓迎です。とくにクラウドにすべて保存できるグーグルクラスルームは非常に便利で気に入っています。 しかしレポートで評価する科目が増えるなかで、明らかにひどいレポートも増えてきました。以前からコピペレポートなどは散見されていましたが、参考文献の扱い等については、1
谷川道子先生を送る つい先日、1月9日に東京外大名誉教授の谷川道子先生が亡くなられました。ブレヒトやハイナー・ミュラーなどドイツ現代演劇を研究されていた谷川先生ですが、私は明大文学部4年生の頃に、一年だけ東京外大大学院のゼミに入れてもらい、卒業論文の指導を受けていました。 1月14日の日曜日に通夜が、お連れ合いの鷲山恭彦先生の故郷である掛川市で行われ、私はちょうど休日だったので新幹線で参列して、最後のお別れをしてきました。 会場では思い出の写真がスライドショーで流れていました。 大阪へ戻る新幹線を待つ間に、献杯ではないけど、寒い中ビールを飲みました。 谷川先生のもとで学んでいた日々も、もう25年も前のことになるのかと驚く一方、振り返ってみれば、あの出会いや谷川ゼミでの一年間もまた、今の自分の出発点の一つだったと実感しています。 谷川道子先生を送る 1999年、大学4年生だった ベルリンで見
昔は大学の授業なんて出てなかったし勉強していなかった→本当なのか? 成績証明書を見直す 文学部に入るとほとんど語学の授業だった 語学くらいは真面目にやらないと卒業できなくなってしまう 講義科目もいろいろあった 心に残っている授業 劇場論 戯曲作品研究 西洋思想史 芸術学 比較文学 印象に残っているが、単位は取れなかった授業 現代思想 西洋音楽史 授業は覚えていないが単位を取っていた授業 人文地理学 日本国憲法 独語学概論 授業に出なくても単位が取れたわけではないが、やっぱり勉強は足りていなかった 昔の大学でも今と変わらないくらい授業に出なければならなかった 出席表もリフレクションペーパーもすでにあった セメスター制より通年評価のほうが良かった面もあるのでは 語学の勉強は昔の学生の方がまじめにやっていたのでは それでもやはり勉強していなかったと思う 文学部生にとっての社会からの重圧は今も変わ
受験生の親の年になっていた 気がついたら私も受験生の親でもおかしくない年齢になっていましたが、今でもときどき19歳で大学に入る前の予備校での一年間を思い出します。 もう30年近く前のことだし、大宮という街にも20年くらい行っていないので記憶があやふやになりつつあります。ときどき思い出しては、あの一年は何だったのだろうと考えます。学生時代を過ごした東京や京都にはいまでもときどき行きますが、予備校があった大宮にはもう行くことはありません。 今回は、30年近く前の大宮で、自分がどんな浪人生ライフを送っていたのか、地図などを見ながら思い出してみます。 大宮駅JR線の出口にある「豆の木」。ここが待ち合わせ場所で、当時は朝や夕方に多くの浪人生が集っていました。 書き始めたらまたもやだいぶ長くなってしまったので、目次をつけておきます。 受験生の親の年になっていた 最初の受験の失敗 あの頃みんなが大宮の予
そろそろ各大学でも来年度の採用が決定し、内定を得られた先生方は、現在の勤務先で残務処理をしたり、新生活の準備に心を踊らせていることでしょう。私も内定をもらってから、ちょうど10年が過ぎたので、あの頃どんなことを考えていたのかを思い出してみました。 気づいたらもう10年目 9月末面接、即日内々定 バラしちゃいけないのにすぐにバレる バレて取り消しになるくらいならしょうがない 別の大学からも面接に呼ばれる 研究室のソファを探す 専任教員っていくらもらえるのかわからない どこで、いくらくらいの物件を選ぶか クルマも買えるかもしれない 非常勤をぜんぶ辞める→辞めなくてもよかったのでは 辞めると決まってもあと半年非常勤が残っていた 着任までのそわそわした時間をどう過ごすか 気づいたらもう10年目 facebookの思い出表示などで、10年前に今の勤務先の面接を受け、内定をもらっていたことを思い出しま
秋はサイクリングに最適な季節 ようやく長い夏が終わったものの、花粉症やら学会やらで忙しかったり、体調が悪かったりして、なかなか出かける機会がありませんでした。 よく晴れた休日なので、ちょっと遠くに(といっても午後から出かけて帰って来れる範囲)出かけてみたくなり、六甲山に行ってきました。 ミニベロってどのくらい走れるのだろうか 夏のはじめに買ったミニベロですが、その後も近距離のお出かけを中心によく乗り回しています。 schlossbaerental.hatenablog.com ミニベロは手軽にカスタムできることも魅力の一つで、これまでにいろいろなパーツを交換してきました。 今回は、もともとついていたブレーキをより高級なものに交換しました。ブレーキ交換はたぶん10年ぶりくらいの作業でしたが、あまり迷わずにできました。購入時にショップがブレーキの引きをかなり硬くしていたので、その点も自分好みに
洗濯機とともに過ごした一人暮らし時代 日本の住宅はほとんど個人で洗濯機を所有しているが、それは外国人から見ると驚くべきことだ、と知人が言っていました。ドイツでは集合住宅の一階や地下一階などに洗濯機が設置されていることが多いものの、たしかに日本では一人暮らしの学生アパートにも多くの場合洗濯機置き場がついていて、一人一台所有することがあたりまえになっています。 私がこれまでに住んでいた家の場合、東京の木造アパートのころは、廊下に自分の洗濯機(二槽式)を置いていました。このタイプの洗濯機は非常に単純なしくみながら、洗濯物の種類や量に合わせて効率よく時間を調整しながら洗える(洗濯物を種類ごとに分け一方で洗濯とすすぎ、もう一方で脱水をするなど)ので、手間さえ惜しまなければ非常に便利だと思いました。 その後引っ越して半年弱すごした世田谷区のアパートでは、洗濯機置き場がないのでコンランドリーに通いました
研究者共通の悩みとしての本の処分 研究者として大量の文献を集めて読んでを繰り返してこれまでやってきましたが、しばしば仲間内でも話題になるのが、蔵書の整理の問題です。 私はそれなりに広い自宅と個人研究室にめぐまれているので、現時点では本を置く場所に困ることはないのですが、もちろんこれから20年たって自分が定年退職するころには、蔵書のかなりの部分を手放さざるを得ないし、自分にもしものことがあれば、残った本の処理を妻に頼むほかありません。 しばしば研究者を悩ませる問題が、引退後あるいは死後の蔵書の処分です。 数年前に大学院時代の恩師であった川島昭夫先生が亡くなられたことを書きましたが、あのときは川島先生門下の多くの研究者たちや、古書仲間の方々が先生の蔵書を形見分けしました。 schlossbaerental.hatenablog.com 先生がせっかく蒐集した蔵書がふたたび散逸してしまうことを惜
同学社さんから『ラテルネ』綜輯号をいただく たしか2022年の秋の独文学会のときだったか、オンライン懇親会の席で同学社の近藤社長と話しているとき、雑誌『ラテルネ』のバックナンバーを送ってくださるという話になり、飲酒していたこともあってほとんど覚えていなかったものの、いきなり大きな荷物が学部事務あてに届いて、ああこれが、と思い出したのでした。 日頃封筒に入っている小冊子『ラテルネ』ですが、送られてきたのはB5版箱入りの『ラテルネ綜輯号』全3冊でした。 こちらが最新号(2023年秋号)です。京都での全国学会に向け、京都支部ゆかりのみなさんが寄稿されています。 これが第1巻。 B5サイズで箱入り、全3巻の立派な冊子です。 同学社さんが出しているPR誌である本誌を創刊号から収めた綜輯号を読みながら、ドイツ語教育そしてドイツ文学研究業界が昔から現在へとどのように変化してきたのか考えました。 私も以前
ゲーテについての論文を書きました 先日発行された『希土』48号(希土同人社)に、「演劇で病を治すことはできるか——ゲーテの『リラ』について」という論文が掲載されました。 こちらからPDFをダウンロードできます。 researchmap.jp ドイツ近代文学講義から出てきたテーマ 関西学院大学のドイツ近代文学の授業で取り上げてきたゲーテの歌唱劇「リラ」を論じています。この授業については、去年も秋ごろに内容をまとめていますが、だいたい3年くらい同じテーマで少しずつ内容を変えて続けています。 schlossbaerental.hatenablog.com 2020年に関西学院大学でドイツ近代文学における狂気のテーマについて講義をすることに決めました。そのとき私が念頭に置いていたのは、これまで関心を抱いてきた精神病者シュレーバーと世紀転換期ヨーロッパの心性というテーマを別の角度から考え直したいとい
四年ぶりに夫婦で帰省 コロナ禍でずっとお盆や正月の帰省をしていなかった私たちですが、先日のシルバーウィークにひさしぶりに栃木に行ってきました。 私自身は昨年春に、立教大学の学会に合わせて一泊だけ実家に戻っていたのですが、その後はなかなか東京に行く機会もなく、コロナ感染も落ち着いていないしで、帰省することができずにいました。相変わらず状況は良くなっていないのですが、そろそろ父の墓にも行っておきたいし、猫も留守番ができそうだと判断したので、今回の帰省をすることになりました。 小山駅でクルマを借りる 実家は東武日光線新大平下駅またはJR両毛線の大平下駅から徒歩10分以内(田舎では非常に珍しい駅近です)なので、ほんとうは最寄り駅まで電車で行ってもいいのですが、すでに新幹線を乗り継いで来ているので、乗り換え待ちをするよりはクルマに乗り換えたほうがずっと気軽なので、小山駅前でレンタカーを借りています。
衣装持ちの妻、ハンガーラックが縁切り神社みたい! 妻は、今年の春から職場が変わったことをきっかけに、これまで以上におしゃれ道楽にのめりこみ、たくさん服を買っていました。(たぶん国内有数のエリート大学に移ってしまい、同僚や学生たちから自分がアホだと思われるかもしれないという恐怖から、服を買い、身につけることで不安を解消しようとしているのでしょう)。これまで使用していたのは、細いパイプでできた、存在感を主張しない北欧デザインふうのハンガーラックでした。 しかし、ここ最近の爆買いのため、もはや服を掛ける場所はなくなっているにもかかわらず、ハンガーラックの横棒だけでなく、ラックの上に積み重ねるように、服が載せてありました。私たちはいつも京都の縁切り神社のようだと言っていました。 rurubu.jp 写真にあるように、東山の安井金比羅宮は、もっさりとお札が積み重ねられた「縁切り縁結び碑」で知られてい
私の部屋、本が日焼けしすぎ 去年の秋に、リビングと自分の仕事部屋の窓に紫外線カットフィルムを貼り付けました。これで本の日焼けも安心、と思っていたのですが、真夏を迎えると、やはり岩波文庫やちくま文庫がどんどん褪色していることが気になってきました。 この本、冬ごろ買ったはずなのに、もう色が抜け始めている。 schlossbaerental.hatenablog.com そもそも私の部屋は北向きにもかかわらず、日光が入りすぎます。昼間の眩しさや暑さに耐えきれなくなり、ロールスクリーンを設置しました。 ロールスクリーンは、日中は日差しを和らげてくれるし、夜は照明を反射して部屋が明るくなるしでいいことづくめでしたが、根本的な解決にはならないので、思い切って寝室と仕事部屋を入れ替える家庭内引越しを行うことにしました。 廊下を挟んで向いにある寝室は、ウォークインクローゼットと隣接しているため、服を着替え
奈良県の下の方って山ばかりだ 以前の日記でも書きましたが、私たちがイメージする奈良県(鹿がいて、近鉄が通ってて、田畑が広がってる)は、県全体の上の方三分の一くらいです。大阪や京都から見て南の方だと思われがちな橿原神宮や明日香村だってまだ半分より北にあります。 2年前の春に、花見に出かけたのが、奈良県十津川村の奥の方で、自宅からおよそ3時間半くらいかかりました。 schlossbaerental.hatenablog.com 十津川村は、奈良県南部へのメインルートである国道168号が通っていて、狭いながらもそれなりにしっかりした道があります。鉄道はないけど路線バスが通っています。しかし、その隣りにある野迫川(のせがわ)村は、国道が村の境界に通っているのみで、村内に入るためにはかなり細い奈良県道を通るルートしかありません。 youtu.be ローカル線紹介を中心とした交通系ユーチューバー、にっ
信玄餅もらって食べたこんな味だったっけな 先日、数十年ぶりに甲府の名物信玄餅を食べました。 妻が山梨大学医学部で行われた研究会に参加し、お土産は何がいいかと聞かれたので、信玄餅をリクエストしたところ、定番の桔梗信玄餅をはじめ、いろいろな種類を買ってきてくれました。 こどもの頃何度も食べたのと同じ、風呂敷包みふうのビニールの包装を開け、こぼさないように注意深く黒蜜をかけてきな粉のついた餅を食べていると、何度も思い出していた昔と変わらない味だと感じるいっぽうで、このお土産を買ってきてくれた父方の祖母のことを思い出していました。 おなじみ桔梗信玄餅と手前は金精軒の信玄餅。どちらも包装は似ています。 黒蜜をかけて、きなことよく混ぜて食べます。子供の頃は黒蜜を少し残しておいて、あとで吸ったりしていました。 信玄餅はプルーストにおけるマドレーヌ、あるいはティークが『金髪のエックベルト』で書いた、どうし
挟まり猫のブルーちゃん ブルーちゃんは脚の間に挟まるのが好きです。 だいたい毎日、夕方のくつろぎの時間には、ソファに寝転んだ私の脚の間か、ソファに座ってオットマンに伸ばした妻の脚の間に挟まっています。 ブルーちゃんは私たち二人に平等に接することを常に心がけているので、午前は妻の脚のうえ、午後は私の脚の間という具合に移動します。 考えてみると赤ちゃん時代からブルーちゃんは腕枕や添い寝はあまりせず、基本的に足首に乗ったり、腰から脚のあたりにくっついて過ごすのが好きでした。 ブルーちゃんを家に迎えて数日後、私が昼寝していたら、腰のあたりに暖かさを感じ、気がつくとブルーちゃんがひっついていました。 2020年8月23日。最初の挟まり。 ここ最近、毎日のように脚に挟まるブルーちゃんの写真を撮り続けていました。 寒い日は脚の上に乗るだけでなく、毛布にくるまって眠ることもあるし、暑い日ならば、脚の上にそ
妻の研究室という新たなDIYのフロンティア 妻がこの春から大阪大学文学部に異動しました。 かつての勤務先は、神戸の狭くて危険な急坂の上にあって、ときどき車で出かけるたびに生きた心地がしなかったのですが、今度は広々とした国立大学ですから、安心です。 狭い土地にもかかわらず、庭園がきれいな大学でした。 阪大も桜が満開でした。 4月1日に大急ぎで引越し作業をしました。 2月なかばに引越しについて具体的に検討し始める時期に、実は妻が新たに移る部屋には、哲学研究室に所蔵されている(大学図書館に登録されている)本がぎっしり詰まっていることが分かりました。前任の先生が、ニーチェ研究で非常に有名な方(また、フロイト全集にも参加されていました)だったため、ニーチェ、ショーペンハウアー、キルケゴールなどの全集、研究書等が本棚を埋め尽くしていました。 中に入ったらこの状態。 スチール棚のうえに、さらに木の本棚。
自作本棚リメイクシリーズ第2回 以前のブログにも書きましたが、私が本棚自作を始めて3年半が過ぎました。これが自作本棚の最初の記事です。 schlossbaerental.hatenablog.com これまでに自宅や研究室にいろいろな棚を作ってきましたが、わずか3年とはいえ工具を揃え、少しずつ知識が増えて、棚の作り方も変わってきました。前回も、あまりできがよくなかった初期の棚を作り直しましたが、今回は、2019年の7月に初めて作った自作棚を現在の技術で作り直してみました。 リメイクのポイント 以前机の前の棚をリメイクしたときと同様に、この棚もネジと棚受け金具だけで組み立ててあるので、すぐに全部バラバラに解体できました。 リメイクしたいと思ったポイントは以下の三点です。 1)棚受け金具を取り除いて棚のスリム化 初期の棚はディアウォールの白いプラスチックの棚受け金具を使用していました。これは丈
熊谷、神戸大やめるってよ 2015年度からお世話になっていた神戸大学の仕事を今年度いっぱいで辞めることにしました。3年間、医学部保健学科、工学部、農学部、海事科学部などで共通教育ドイツ語の1年生クラスを担当してきました。しかし、昨年度からクオーター制が導入され、前期後期とも学期の真ん中にテストや成績登録をしなければならなくなりました。 わずか二週間でテストの採点と成績登録をしつつ、通常の授業も続けないといけません。これがたいへん負担が大きく、また本務校の仕事も今年度はかなりいそがしくなっていました。 せっかく専任教員になって、科研費ももらっているのに、授業がない期間しかまともに研究活動ができないというのはまずいということで、本務校の授業曜日が変更になるのにともない、非常勤を続けることは諦めました。 2018年度は久しぶりに本務校の仕事(前後期7コマ)だけに専念することになります。 一コマ単
こんな使い方をするつもりはなかったのに 毎年のことですが、春から初夏はカメラ買い替えの季節です。 今年は、ちょっと前まで外出自粛が続いていたし、夏休みもそしておそらく冬休みも海外に行くことはできなそうなので、写真を撮る気も失せていました。しかし、だんだん気温が上がって、天気がいい日がつづいてくると、外で写真を撮ろうかなという意欲が蘇ってきました。 最初は、気に入っているパナソニックGX7mk3のように、コンパクトで持ち歩きやすいカメラを考えていたのですが、あれこれ比較しているうち、性能を考えるとフジフイルムのX-T3やX-H1が安くなっていて買い時だとわかりました。 そして連休ごろに富士フィルムのX-H1を買っていました。 買ってすぐにフジフイルム の画質が気に入り、ついでにX-E3も買いました。このカメラは液晶が動かないのですが、とても軽いしよく撮れます。これもまた買って正解でした。 (
1ヶ月後の研究室 研究室の引っ越しから1ヶ月がすぎ、ようやく色々なものが片付いてきました。 年末ぎりぎりに荷物が搬入され、それを妻と二人でとりあえず収納しましたが、その後1ヶ月で、新たに家具を増やしたりして、引っ越し当初よりもはるかに快適な空間になっています。 こちらが現在の研究室の様子です。 引っ越し当初から増やしたもの、買ったもの、設置したもの等は以下の通りです。 1)無印のリラックスチェア わりと安価なのに、非常にリラックスできるイスです。本当は、人間をダメにするイスと言われるハイバックチェアを買うつもりだったのですが、ちょっと値が張るのであきらめました。とはいえ、この1万円代で買えるチェアもなかなかです。毎日コーヒーを飲んだり、読書をしたりといった時間をここで過ごしています。ちょっとした昼寝にも最適です。 www.muji.net 2)ミラーキャビネット 旧研究室には、各部屋に鏡が
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