ラカンとガタリの着想の親近性 『現代思想』6月号(特集フェリックス・ガタリ)掲載の松本卓也氏の「人はみな妄想する-ガタリと後期ラカンについてのエチュード」は、僕にとっては待望していた、画期的な論文、僕自身、ラカンとガタリの着想の親近性(ガタリは滅茶苦茶ラカンの影響を受けており、発想、概念構成自体がラカンの嫡子という印象すら受けていた)をもう少し読み取るべきだと思っていたので、かなりスッキリしたところがあり、まさに体内に詰まっていた「残糞」を一気に吐き出してくれた感じであります。 このように論じる論者は少なくとも日本の「ドゥルーズ・ガタリ派(研究者)」にはほとんどいなかった。今さらいっても仕方がないけれども、ラカンとの「精神療法」の捉えかたの親近性(及び差異)を検討することなくガタリを語っても、ガタリの「実践者」、「運動家」としての実像には迫れない。また、この論文でドゥルーズ・ガタリの『アン