益田酪農農業協同組合 岐阜県益田郡下呂町森634-1 東洋ガラス製・正200cc側面陽刻 200cc移行後~昭和50年代 戦後50年ほど商われた、県中部のローカル銘柄。地名としての馴染みを持たない余所者から、吐瀉物を想起され笑われる因果を背負ったブランドだ。 「下呂」の起源は遠く奈良時代。中央と地方を結ぶ連絡網“駅制”の中継地「下留(しもつとまり)」が「げる」の読みに転じ、昭和に至って「下呂(げろ)」と定着したもの。つまり「ゲル牛乳」を称す可能性もあったわけで、どのみち悲運の宿命である。 ◆出足の遅かった益田郡の酪農 益田郡は自然環境に恵まれ畑作の盛んな土地柄。古くから農耕馬を中心に大型家畜の導入が進んだものの、牛飼いは肉用がメイン。豊富な水源・自生の青草など好条件が揃うなか、酪農の胎動には乏しかった。 先駆は明治39年、朝日村の高原安之助氏。石川県よりホルスタイン一頭を移入も、経験不足で