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難波本店メニューはこちら 明治43年、大阪初の西洋料理店として難波で創業した自由軒 本店。また、100年近く愛され続けている名物カレーが誕生した店でもあります。現在も名物カレーは当店の厨房で、熟練した職人の手によって作られており、毎日各店舗に運ばれています。 第二次世界大戦によって一時は焼失してしまいますが、2代目店主・吉田四郎の尽力の末、再建しました。親子代々で味を受け継ぐ自由軒の総本山です。 自由軒 四代目副社長、吉田です。当店は明治の創業以来、多くのお客様に愛され続けてきました。これからも、受け継がれてきた味を守り続けると共に、お客様への感謝の念を忘れずに精進し続けます。
自由軒は、明治の創業当時の味を代々受け継いできました。 しかし、最近では自由軒の名前を使ったレトルトカレーや、当店とは全く関係のない店舗が見られます。こちらでは、そのような誤解を払拭する意味も込めて、「本物の自由軒とは何か?」について、ご紹介いたします。 自由軒の店舗について 明治43年に、大阪初の西洋料理店としてオープンした自由軒。誠意の込もった営業を行うことで、多くのお客様にご支援いただいております。 最近、お客様から「自由軒は何店舗あるのですか?」というご質問をよくいただきます。これは、自由軒の名前を冠した「せんば自由軒」というお店が、大阪市内や関東地方で見受けられるからだそうです。 これらの誤解は、当店の2代目店主、吉田四郎が昭和45年に、大阪・本町の船場センタービルの中のみで出店を許可した「本町自由軒」(現在は「せんば自由軒」)に端を発します。 この「せんば自由軒」が「自由軒」の
お客様へ 2010年2月25日に「自己破産申請へ」との報道がありました 株式会社自由軒 (せんば自由軒:大阪市中央区船場中央 3-3 9B-203) は、当社とは全くの別会社でございます。 当社は、難波本店、天保山店 の2店舗で営業、また、レトルトカレー等も従来通り販 売させていただいております。 どうぞよろしくお願い申し上げます。
大正から昭和へと時代が変わり、十数年経った頃、一人の男性が自由軒を訪れるようになりました。彼の名は織田作之助、後に不朽の名作「夫婦善哉」を生み出すことになる稀代の小説家です。通称「織田作」として親しまれる彼と、自由軒は密接に関わっていました。こちらでは、自由軒と織田作之助の関係についてご紹介いたします。 名物カレーと織田作之助 −織田作之助−大阪庶民の生活を通じて、人間が生きるうえでの悲しさやはかなさ、そして喜びを書いた作家です。 彼は自由軒の常連として、毎日のように名物カレーを食べていました。そして、店内で構想を練っていた小説が、彼の出世作「夫婦善哉」でした。 日本文学の最高峰として、現在でも多くの人の心を掴んでいるこの作品には、こんな一説があります。 この二三日飯も咽喉へ通らなかったこととて急に空腹を感じ、楽天地横の自由軒で玉子入りのライスカレーを食べた。「自由軒のラ、ラ、ライスカレー
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