太常寺(たいじょうじ)、光禄寺(こうろくじ)、宗正寺(そうせいじ)、大理寺(だいりじ)、鴻臚寺(こうろじ)……。今から千三百年余り前、唐の都・長安に甍(いらか)を並べていた建物である。さすがに天下の大都、壮大な伽藍が連なっていたのだな、と思うと、実はそうではない。今あげた建物の中に、仏教のお寺は一つもない。すべて官庁の名称なのである。 中国に仏教が伝来したのは西暦紀元前後のこととされているが、寺という文字はそれよりずっと前から存在した。現在は仏寺の意味で使われるこの文字も、元来は別 の意味で使われていたのである。 寺という文字の原義は「手を動かして仕事をする」ことだという。そこから、仕事をする場所、特に役所を寺と呼ぶようになった。唐の時代には何々寺という役所が九つあったので、総称して九寺といい、冒頭にあげたのはその一部である。 ところで、伝説によれば、後漢の明帝の永平十年(六七)、白馬に経