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元禄時代初期、神田の職人によって誕生した工芸品・つづら。昭和初期に全国で250軒ほどあったつづら屋も、都内ではこの「岩井つづら店」を含め2店舗のみとなってしまいました。衣料品や呉服類を収納するのに欠かせないつづらも、現在では特注品や民芸品として人気が高まっています。江戸末期にこの地で創業し、先代からの技術を継承して、20年以上となった「岩井つづら店」の岩井良一さんにお話を伺いました。 明治には曾祖父がすでにこの甘酒横町にお店を構えておりましたが、創業は江戸時代末期まで遡り、先祖代々この地に居を定め、つづら制作の技を伝承してきました。私は昭和56(1981)年、32歳の時にそれまでの会社勤めを辞め、家業に入り、23年が経過しました。 つづらは、江戸時代から着物などの収納箱として使われ、嫁入り道具として一家に一個はあったようです。ここ日本橋には呉服店が軒を連ねていたこともあり、つづら屋が数多く
日本橋浜町は、現在の隅田川に臨む「浜辺の町」であったことに、その名が由来します。江戸時代、隅田川沿いには各藩の蔵屋敷が建ち並ぶと共に、職人の町としても知られていました。「濱甼高虎(はまちょう・たかとら)」は昭和23(1948)年に浜町にお店を構える以前から、人形町で「紺屋」という屋号の染元を営んでいました。日本橋に縁の深い、伝統あるお店です。祭り半纏(はんてん)や手拭いなどをはじめ、合財袋(がっさいぶくろ)、掛守り(かけまもり)などに江戸の洒落を効かせた商品を多数制作している「濱甼高虎」の2代目・高橋欣也(きんや)さんにお話を伺いました。 「濱甼高虎」は初代・父が昭和23年に浜町で創業しましたが、江戸時代には人形町で「紺屋」という染元を代々営んでいました。父から数えると私は2代目ですが、実際には6代目か7代目にあたります。しかしながら、何代も続いてきた伝統に執着せずに、自分の仕事をしていく
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