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中東情勢
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忌野清志郎が亡くなってからもう2ヶ月が経とうとしています。RCサクセションが公式に発表したアルバムは『初期のRCサクセション』から数えるとベスト盤やライブ盤も合わせるとかなりの数にのぼります。とくに解散後に無意味なまでに毎年のように出されるベスト盤には怒りすら覚えました。なぜならそれらは未CD化音源を一曲とか二曲ずつ小出しに出してくるからです。 あまりにもせこい!ロックの王道を突っ走ってきたRCにしてはやることがせこすぎる。キヨシローの意志ではないことを信じたい。王様キヨシローが神様になってしまったのだから、いい加減にすべてをCD化すべきなのではないだろうか。役立たずの神様にしないように事務所の人たちには供養だと思って、取り分を欲張らずに決めてさっさと出して欲しい。 以下はぼくが知っている範囲でCD化されていないナンバーの数々です。他のテイクなどを知っている方がいれば、どうぞコメントでお知
一度でこの作品の良さを味わいつくせるものが存在するとすれば、それは映画の神様でしょう。難解かつポップな作品です。一見すると軽く見えるのですが、近寄ると火傷する重厚感を持つ作品です。重苦しさと軽薄さがひとつの作品に同居しています。 簡単な筋書きを書くと、スランプの映画監督が、温泉地に来て静養しながら、次の映画の構想を練る。そこに会社や愛人が追いかけてきて彼を追い詰める、というストーリーです。 しかし、この映画はストーリーを追いかけていくような見方をすると、必ず跳ね返されてしまいます。感覚を研ぎ澄ませて見てみると、かなり楽しくイメージに浸れます。映像感覚と異化の面白さを楽しむ映画です。 フェリーニ監督の映像へのセンスと音への愛着。素晴らしいの一言です。どう形容してよいのか、言葉に苦しみます。これは何度も繰り返して見て、噛み締めて徐々に良さが解ってくればそれでよいのです。アメリカ映画を見るような
『最後の脱出』は大昔にテレビ放送で一度見たきりになっていた近未来SF映画で今でも強く印象に残っています。 深く記憶に刻まれている理由としては以下のようなことが思い浮かんできます。それはストーリー展開の深刻さとオープニングで流れる主題歌があまりにも暗いことでした。 「草も生えない~♪鳥も歌わない~♪」 「笑い声も聞こえない~♪」 「夢も希望もない~♪この先どうなるか誰もわからない~♪」 「若いころ、地球は緑でいっぱいだった~♪」 「子供のころ、海は青かった~♪」 「花は咲き乱れ、木々は生い茂っていた~♪」 「ちっちゃいころ、空は青かった~♪」 「ぼくらは火星を探索し、月面で歩いた~♪」 「もうすぐ星へも旅できるだろう~♪」 「でも草も生えない、愛も過去のことだ~♪」 「きみとぼくの愛も終わるだろう~♪」 どうでしょう。あまりの暗さに幼少期の僕がどれだけのショックを受けたかわかるでしょう。輪を
タイトルは『狂った一頁』と書いて、“くるったいっぺーじ”と読みます。『カリガリ博士』に代表されるドイツ表現主義やセルゲイ・エイゼンシュタインが唱えたモンタージュ手法の集大成である『戦艦ポチョムキン』が映画界を席巻していた1920年代はサイレント黄金時代でした。 日本でも前衛的、もしくは実験的な流れに刺激された溝口健二『血と霊』、衣笠貞之助『狂った一頁』『十字路』が公開されました。 『血と霊』は杜撰なフィルム管理や第二次大戦の業火が重なり、現状では『狂恋の女師匠』『唐人お吉』(一部は現存。)と同じく、フィルムは確認されていません。 もしかするとどこかの土蔵や外国のフィルム倉庫からひょっこりと出てくるかもしれません。また衣笠貞之助の『狂った一頁』も同じく焼失したと考えられていました。それが1971年に衣笠の自宅から奇跡的に発見され、自らも編集に加わったのちにアメリカで1975年に公開されました
日本ではTV放送のみの未公開映画らしく、『戦慄!昆虫パニック/砂漠の殺人生物大襲来』『昆虫パニック』『SF超頭脳アリの王国・砂漠の殺人生物』など放送のたびに数々の邦題が東京12チャンネルによって付けられていて、ファンの記憶を混乱させています。 度々の改変は視聴者に一本の作品を別個の複数作品と誤解させてしまう恐れもあるので、適当なその場しのぎをされると長い年月が経ってから思い出しにくいので勘弁して欲しい。ぼくがこれを見たのは多分1978年から1982年までの間でしょう。タイトルをしっかりと覚えていなかったのですが、アリの知性的な攻撃シーンが鮮烈だったのをぼんやりと覚えていました。 しかしながら、タイトルにいつわりありで、カメラはパニックにはなりえない科学者対アリの集団の陰湿かつ知的な知恵比べによる殲滅戦を冷静に切り取っていく。どちらも知性的なので、アリの猛毒が回って、判断力が低下していく博士
南米大陸を流れる大河、雄大なるアマゾン川をまるで『地獄の黙示録』のウィラード中尉のように、ただひたすらに遡ると、次にはとてつもなく深く険しいジャングルの密林を切り開き、そのまた頭上に高く聳える急斜面の山を越えた向こう岸に無尽蔵にあるゴム林を開拓して、オペラ劇場建設の資金を作るという天才バカボン並みの阿呆な道程を描いた作品です。 ただ普通の旅とは違い、アマゾンの自然と本来ならば相容れない文明の利器である巨大な蒸気船を、支配者階級であるヨーロッパの人間が首狩り族のインディオを使役し、機械力なしで、つまり彼らの人力でエイコラエイコラと滑車を作り、何百人もの原住民たちがひたすらにロープを引き続け、ついには山の頂上まで運び上げて行くのです。 ロケ地にはペルーとエクアドルが選ばれました。古代エジプトの巨大なピラミッドを作っていた時代ではなく、ほんの100年近く前の話です。このような、とんでもなくバカげ
これもある種の見せ物映画になるのだろうか。タイトルに大きく、混血児と謳っていて、内容も主人公リカ(青木リカ)は母親(お下げ髪の女学生)が米兵に強姦されてしまった結果として生まれてくるという設定で、生まれる前からすでに不幸で、成長しても継父に処女を奪われ、性的にも虐待され続けて、不良化していく。最後には暴力団と渡り合い、人殺しを重ねていく。 混血は凶悪犯罪にも走りやすいとでも言いたげな描写が散見され、しかも東宝系なのに、東映ばりの切断シーンなどの残酷な映像が目白押しなためか、ビデオ時代、DVD時代を含めて、今でも日本国内では一度もソフト化されておらず、手軽に視聴するのは難しい。 シリーズすべての脚本を新藤兼人が務め、監督も中平康(2作目まで)と吉村公三郎(3作目)が引き継いだように、単なる見せ物映画ではなかったのは明らかである。言葉は激しいが、哀しい運命や生き抜こうとする生命力の強さは出てい
映画の都と形容されるハリウッドでは映画監督になれるのが早くても30代後半だった1940年代に、当時まだ24歳だったオーソン・ウェルズは見事に監督デビューを果たしました。このデビュー作品『市民ケーン』を評して、後世の映画ファンと批評家たちは「これこそが歴史上、最高の映画である!」「これこそが映画の教科書である!」と過去60年に渡って、『市民ケーン』を絶賛し続けてきました。 もっとも興行自体はこの映画のモデルにもなったランドルフ・ハーストにさまざまな妨害工作を仕掛けられたり、ハリウッド同業者のやっかみから来る的外れな批判に晒され続けたためか失敗してしまい、以降の映画製作での全権委任を奪われてしまったオーソン・ウェルズは次回作『偉大なるアンダーソン家の人々』以降はフィルムをズタズタに編集される、普通の映画監督に納まらざるを得ず、その後も映画制作をしていきますが、シュトロハイムと同じように俳優業へ
渡邊文樹という監督の周りには常にトラブルが絶えない。それも法的なものが多く、この映画に関するものでも、死因追及のためとはいえ、モデルとなった少年の墓を無許可で勝手に暴こうとしたりして、これだけが原因ではないものの、少年の遺族から訴えられていますし、また反対にTSUTAYAが渡邊の許可を取らずに、勝手にレンタルで貸し出しをしていたことに怒り、TSUTAYAを相手取って、訴訟を起こしています。 そもそもこの映画を上映するまでにもかなりの紆余曲折があり、もともと奥山和由プロデューサーが権力を握っていたころの松竹資本で公開されるはずでした。その時に奥山が示した条件は天皇、同和、警察に触れなければ、何を作っても良いというかなりラフで自由なものであり、予算として3000万円が手渡されました。 にもかかわらず、渡邊は約束を破り、旧家の部屋の壁に天皇家の写真を飾り付け、家の中心に据える。シーンとしては薄暗
この映画をはじめて見た時の衝撃は半端ではなく、アメリカ社会の恐ろしさに身震いしそうになりました。銃がそばにあって、だれでも簡単に人を殺す環境が整っている国が存在するというのは1980年代に入ったばかりの平和ボケ真っ盛りの日本では想像できなかったのです。アメリカ殺人鬼列伝といえるこの内容が、よくも地上波のゴールデンタイムで放送されていたものだと思うと、さらに驚きます。 最初に見たのはたしか高島忠夫が司会を務めていて、毎週土曜日の夜9時からやっていたゴールデン洋画劇場でした。この番組は毎週楽しみで、日常である学校生活が土曜の午前中とともに終わり、土日という非日常へ転換するスイッチのような役割をしていました。日曜6時半のサザエさんが日常である月曜へのスイッチだとしたら、ゴールデン洋画劇場はその逆でした。 番組のスポンサーをしていたのは資生堂やマクセルで、カセットテープのCMでザ・モッズが「XLー
数ある渡邊文樹監督作品中でも、タイトルからして強烈なインパクトを持っているのがこの『バリゾーゴン』です。VHS時代にはウチの近所のレンタル屋さんにもあったような記憶がありますが、はっきりと覚えてはいません。 この映画で覚えているのは内容よりも近所のそこら中の電信柱にベタベタと貼り付けられたポスターでした。「失神者、続出!」のような言葉が殴り書きされていた下品なポスターは悪趣味極まりなく、上映後もほったらかしで何ヶ月も貼られたままクシャクシャになっていき、最後は自治会の人がブツブツ言いながら剥がすのが常でした。 このような街の景観を汚すようなやり方は不愉快でした。現在の感覚では隠蔽するのが当たり前のようになっている見せ物小屋的なやり方をあえて用いて、集められるだけの無知な群集を公民館に引き入れ、ポスターで煽り立てた内容とは程遠い作品を上映する。 酸いも甘いも経験した昔の人と違い、騙される方が
今週ヤフオクで何気なく見つけた、この映画のタイトルは『ハヌマーンと5人の仮面ライダー』、つまり『ウルトラ6兄弟と怪獣軍団(原題は『ハヌマーンと7人のウルトラマン』)』の続編でした。 権利関係の怨念もあり、おそらく円谷プロからは永久にウルトラマンとしては認められないであろうハヌマーンを前面に押し出した日タイ合作の不幸なウルトラマン映画のあとに、懲りないチャイヨーが仕掛けてきたのがこの映画だったのです。 しかも東映の許可をまったく取らずに仮面ライダー映画を撮ってしまったチャイヨーの権利使用についての感覚の無茶苦茶さにまずは驚かされる。後に東映に賠償金を支払うことで片を付けたようですが、どうしても後味の悪さは付きまとう。 まがりなりにもウルトラマンのときには日本側のスタッフが招かれて、演出や特撮に職人としての腕を奮いましたが、先ほど申しました通り、今回は隠れてコソコソ作ったため、無断盗用及び流用
デビュー作『ファンドとリス』、その名を一躍有名にした『エル・トポ』に次ぐ第3作目となる1973年の作品で、アラン・クライン製作、アレハンドロ・ホドロフスキー監督という極悪コンビによる伝説のカルト・ムービーです。映像表現の限界まで突っ走ってしまったような作品であり、115分の上映時間を耐えられるかが、映画ファンとしての第一の分かれ目となります。ハリウッド製作の古典的なストーリー展開がはっきり分かる映画のみを見てきた人にはかなり辛い作品かもしれません。 この作品で展開される、ホドロフスキー監督独特の映像表現を楽しめるか、目を背けるか。悪趣味だといってDVDなり、ビデオなりをストップするのもその人次第。しかし、映画ファンならば、俗悪趣味の極致は知っておくべきでしょう。 製作に携わっているのがアラン・クラインだというだけで、ビートルズ・ファン、ローリング・ストーンズ・ファンならば怒りが込み上げてく
三十代も後半になると、積年の不摂生とストレスへの対応のために、人間は精神とカラダが随分と丸くなってくるが、ふとしたきっかけで、昔の尖った感覚が蘇ってくることがある。そのきっかけは昔よく使っていた道具だったり、聴いていた音楽だったりする。 ひょんなことから、来年に大学を卒業する知り合いの女の子と音楽談義をしていたときに、日本の昔のパンクやニュー・ウェイヴ音楽(80年代)を聴いてみたいのでCD-Rに焼いて欲しいと頼まれました。その日の夜になって、自宅の押し入れの中から、昔のCDやレコードを引っ張り出してきました。 ザ・スターリン、フリクション、突然段ボール、プラスチックス、シオン、INU、ばちかぶり、人生(電気グルーヴの前身)、スタークラブ、亜無亜危異、ラフィン・ノーズ、ウイラード、有頂天、じゃがたらやリザードなど、二十年ぶりのものも含めて、久しぶりに聴いた七十年代から八十年代にかけての日本の
ブログ名 良い映画をほめる会 ブログ紹介 始めてから17年経ち、ウェブリブログの閉鎖に伴い、引っ越してまいりました。 先月の確定申告の後にB-SELSさんに立ち寄った折に、「なにか面白いのはありますか?」とオーナーさんに伺った際に奥から出されてきたのがオーストラリアのモノラル盤で、しかも1stのゴールド・パーロフォン・レーベルの『プリーズ・プリーズ・ミー』でした。 購入したことはもちろんありませんが、時折入荷されるときに聴かせていただいたこと…
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