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行政とドラマに関するsketchlifeのブックマーク (2)

  • 男はなぜ駅の待合室で警官に射殺されたのか:日経ビジネスオンライン

    中国では5月1日の金曜日が"労働節(メーデー)"の祝日で、週末の土・日の休日を加えて5月1日から3日まで3連休であった。その連休の中日、5月2日の正午過ぎ、黒龍江省"綏化市"に属する"慶安県"の鉄道駅で中年男性が、その母親と3人の子供の目の前で警官によって射殺されるという惨劇が発生した。中国メディアは5月3日付で次のように報じた。 「理由が分からない」慶安県射殺事件 2日午後、黒龍江省慶安県にある"慶安火車站(慶安鉄道駅)"の"候車室(待合室)"で1人の中年男性が慶安駅派出所の警官ともみ合いとなった後、警官に拳銃で撃たれて死亡した。 ハルビン鉄道公安局の説明によれば、当日12時頃、ハルビン市"鉄路局(鉄道局)"管内の慶安駅の待合室内にある安全検査所で、中年男性が待合室へ入ろうとする乗客の進路を塞いだ。中年男性は警官の制止を聞こうとせず、6歳の子供を警官に向けて放り投げたばかりか、警官が携帯

    男はなぜ駅の待合室で警官に射殺されたのか:日経ビジネスオンライン
    sketchlife
    sketchlife 2015/05/23
    ★★★ 事実は小説よりも奇なり。・・・中国社会で生まれた、何とも複雑な心境になるドラマ。
  • 田中正造その行動と思想

    田中正造は、天保12(1841)年11月3日に栃木県佐野市小中町こなかちょう(旧旗川村はたがわむら)で、旗六角家の名主である富蔵とみぞう、サキ夫の長男として生まれた。名主になった正造は、不正をはたらく領主と対立するなどの苦難を乗り越え、明治10年代には自由民権運動家として、また栃木県議会の指導者となっていった。 明治23年の第1回総選挙で衆議院議員に当選し、そのころ農作物や魚に大きな被害を与えていた足尾銅山あしおどうざんの鉱毒問題を繰り返し国会でとりあげ、渡良瀬川沿いの人々を救うため努力した。しかし国の政策に改善が見られず、ついに明治34(1901)年12月10日、天皇に直訴じきそした。 その後、鉱毒事件は社会問題にまで広まったが解決せず正造は悲痛なおもいで谷中村やなかむらに住み、治水の名のもとに滅亡に追い込まれようとした谷中村を救おうと、農民とともに村の貯水池化に反対し再建に取り組ん

    sketchlife
    sketchlife 2012/06/28
    ★★★明治以後、日本は銅と絹を売り軍艦と兵隊を入手、アジア隣国へ侵略し領土拡大を画策。田中正造は銅生産国内トップだった足尾銅山の鉱毒問題を解決しようと命がけで戦いぬく。最期は無一文、胃癌などによる病死
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