「今までは甲子園しか目標においておらず、勝利至上主義の代表みたいな監督でした。僕みたいな指導者は、甲子園に連れていってナンボだと思ってやってきました」 明秀日立(茨城)の金沢成奉(かなざわ・せいほう)監督は自嘲気味にこう話す。事実、それだけの結果を残してきた。 明秀日立の監督となって初めて夏の甲子園に出場した金沢成奉氏この記事に関連する写真を見る 転機は夏の甲子園大会の中止 当時まったく無名だった青森の光星学院(現・八戸学院光星)をゼロから鍛え上げ、春夏計8回の甲子園出場を果たし、2000年夏にベスト4、01年、03年夏はベスト8に進出するなど、全国屈指の強豪校へと押し上げた。また巨人の坂本勇人をはじめ、プロへ何人もの選手を送り込んだ。 2012年秋から明秀日立に移り、18年春のセンバツに出場。細川成也(DeNA)、増田陸(巨人)を育てた。 光星学院の時と同様、明秀日立でも選手を徹底的に鍛