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historyとdiscoveryに関するtachisobaのブックマーク (51)

  • “信長を気にかける貴重な資料” 義父 斎藤道三の書状を発見 | NHK

    それによりますと、この書状は今の岐阜県の美濃地方を治めていた戦国武将の斎藤道三が近隣の地域の領主に宛てたもので、その内容や署名などから、1552年ごろに書かれたと見られるということです。 道三は、織田信長に自分の娘・濃姫を嫁がせています。 書状では、「信長とあなたは大変親しいということでうれしく思う」と記したうえで、信長について「若造で至らない点もあるがご容赦いただき末永くつきあってほしい」と伝えています。 信長の人生を側近がまとめた文献「信長公記(しんちょうこうき)」ではこの書状が書かれた時期に道三は若き信長と初めて面会し、その奇抜な身なりや言動で周囲から「うつけ者」と呼ばれていた信長の才能を見抜いたとされています。 村井准教授は「道三の書状はあまり残っておらず信長に言及していることも珍しい。書状には、道三が信長のことを大事に思い気にかけていることがはっきりと記されていて『信長公記』の記

    “信長を気にかける貴重な資料” 義父 斎藤道三の書状を発見 | NHK
  • 英探検家クックの船、発見か=太平洋航海で使用:時事ドットコム

    英探検家クックの船、発見か=太平洋航海で使用 2018年09月20日06時52分 英探検家ジェームズ・クックが航海に使用した「エンデバー号」のレプリカ=19日、シドニー(AFP時事) 【ロンドン時事】18世紀の英探検家ジェームズ・クック(通称キャプテン・クック)が太平洋の探検航海で使用した「エンデバー号」とみられる帆船の残骸が、米東海岸近くの海域で見つかった。米豪の合同調査チームが19日までに発表した。エンデバー号は沈没から200年以上所在が分かっておらず、英米などのメディアは「歴史的な発見」と伝えている。 見つかったのは米東海岸のロードアイランド州ニューポート近くの海域。調査チームは声明で「ほぼ特定したが、さらに詳しい調査が必要だ」と説明している。 エンデバー号はクックがオーストラリアやニュージーランドなどに到達した際に使用され、英国がこれらの地域を植民地とするきっかけとなった。その後「

    英探検家クックの船、発見か=太平洋航海で使用:時事ドットコム
  • 米重巡洋艦「インディアナポリス」の残がい、MS創業者アレン氏が発見

    第2次世界大戦中に沈没した米国の重巡洋艦「インディアナポリス」の残がいを、Microsoft創業者のポール・アレン氏が発見しました。同氏は2015年に日の戦艦「武蔵」を発見しています(関連記事)。 発見された錨 インディアナポリスは1945年7月30日、米カリフォルニアからテニアン島へ原爆「リトルボーイ」の部品を運ぶ秘密任務を終えたあと、グアムからレイテへ向かう途中で潜水艦「伊58」の雷撃により沈没しました。沈むまでの時間はわずか12分で救命装備をあまり配備できなかったそうで、1196人の乗員のうち生き残ったのは316人でした。 アレン氏の調査チームは8月18日(米国時間)にフィリピン海の水深5500メートルの海底でインディアナポリスの残がいを発見。錨(いかり)や船鐘などの写真を公開しています。 船鐘 スペアパーツの箱 インディアナポリスの捜索はこれまでにも行われていましたが、アレン氏は

    米重巡洋艦「インディアナポリス」の残がい、MS創業者アレン氏が発見
  • 3500年前のミイラ、1千体の人形など発掘 エジプト:朝日新聞デジタル

    エジプト南部ルクソールで、3500~3300年くらい前の古代エジプト新王国時代第18王朝期の墓が発掘されたと、エジプト考古省が18日発表した。ウセルハトという名の裁判官の墓とみられる。8体のミイラ、10の棺おけ、千を超す人形、木製のマスク、かめなどが見つかった。 発掘場所は、少年王ツタンカーメンの墓などで知られる「王家の谷」の近く。見つかった人形はミイラの形をした小さな像で、「ウシャブティ」と呼ばれる。死後の世界で死者に代わって働くために埋葬されるとされる。千体も見つかるのは珍しく、アナニ考古相は「非常に重要な発見だ」と語った。2部屋ある墓の一室を発掘したが、さらにミイラが見つかる可能性が高いという。 観光業が落ち込んでいるエジプトは、古代の遺物の発掘に力を入れている。新発見をアピールして観光客を呼び戻したい考えだ。(カイロ=翁長忠雄)

    3500年前のミイラ、1千体の人形など発掘 エジプト:朝日新聞デジタル
  • 地球最古の化石発見、約40億年前の生命の痕跡

    カナダ・ケベック州のヌブアギツク・スプラクラスタル・ベルトで見つかった、地球最古の化石。熱水噴出孔の堆積物の中に、赤鉄鉱の管が確認できる。ネイチャー誌提供。(c)AFP/NATURE PUBLISHING GROUP/MATT DODD 【3月2日 AFP】(更新)38億~43億年前の地球に生命が存在したことを示す「直接的証拠」となる最古の化石を発見したとの研究論文が1日、英科学誌ネイチャー(Nature)に発表された。 発見者である英ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ(UCL)のドミニク・パピノー(Dominic Papineau)教授によると、見つかった微化石は、これまで最古とされてきた化石よりも約3億年古い。 見つかったのは、鉄をべる海生バクテリアによって形成された糸状構造と赤い管の化石で、幅はヒトの髪の毛の半分ほど、長さは最大0.5ミリ。化石を宿すことが知られている白い花のよ

    地球最古の化石発見、約40億年前の生命の痕跡
  • アリストテレスの墓を発見か ギリシャ

    (CNN) ギリシャ北東部にある古代都市スタギラの遺跡で、古代ギリシャの哲学者アリストテレスのものとみられる墓が発見されたことが28日までに分かった。 墓を発見したと主張しているのはギリシャ人考古学者のコンスタンティノス・シスマニディス氏。1990年からスタギラの遺跡を発掘調査し、2400年前に作られたこの墓がアリストテレスのものだと裏付ける強力な証拠を入手したとしている。 墓はギリシャ北部テッサロニキの東約64キロの地点にある。同氏はこの墓が紀元前332年に死んだアリストテレスを悼んで建てられたものだと指摘。古代都市アゴラの中心にあり、急ピッチで建設されたという。墓の床は大理石で覆われ、内部には祭壇もあったが、中世に行われた塔の建設で多くの考古学的な資料が失われたとしている。 これまで得られた考古学的なデータは歴史資料と整合性が取れているという。 シスマニディス氏によれば、アリストテレス

    アリストテレスの墓を発見か ギリシャ
  • 「古代スルガの王」が出現か 最初期屈指の前方後方墳 - 日本経済新聞

    3世紀(古墳時代早期から前期)築造の古墳がないとみられてきた静岡県東部で、出現期の大型前方後方墳の発見として注目を集めた静岡県沼津市の高尾山古墳。研究者によって造営時期の見解に隔たりはあるものの、沼津市教育委員会は230年ごろ築造、250年ごろ埋葬との調査結果を昨年公表した。「古代スルガの王」を埋葬したとみられ、研究者は「古墳時代最初頭の重要遺跡」と指摘している。JR沼津駅北口から県道169号

    「古代スルガの王」が出現か 最初期屈指の前方後方墳 - 日本経済新聞
  • ”人類の祖先作った最古の石器”発見 NHKニュース

    アフリカのおよそ330万年前の地層から、人類の祖先が作った最古のものとみられる石器が見つかり、人類の進化の過程で道具を使う行為がどのように発展したのか探るうえで貴重な発見として注目されています。 それによりますと、研究チームが2011年から12年にかけてアフリカのケニア北部にあるトゥルカナ湖周辺のおよそ330万年前の地層で発掘調査を行った結果、ハンマーのような石器や、鋭利な石器、それに石を割るための土台など、合わせて149点が見つかりました。 研究チームによりますと、これまで人類の祖先が作ったものでは最も古いとされているエチオピアで発見された石器よりさらに70万年ほど古いということです。 研究チームは、見つかった石器はエチオピアのものより構造が原始的であることや、330万年前は今の人類が属する「ホモ属」が登場する時期よりもかなりさかのぼることから、これらの石器を使っていたのは猿人ではないか

    ”人類の祖先作った最古の石器”発見 NHKニュース
  • ナチス外相がソ連スパイのゾルゲに送った書簡、日本で見つかる

    ドイツ・ベルリンで群衆の前に立つ、ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラー(奥)と外相のヨアヒム・フォン・リッベントロップ(手前、1939年撮影)。(c)AFP/FRANCE PRESSE VOIR 【5月21日 AFP】太平洋戦争開戦直前にナチス・ドイツ(Nazi)の旧ソ連侵攻を事前に察知したリヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)──この伝説的なスパイにナチス外相が宛てた書簡が日で見つかった。都内の書店が発表した。書簡は、ゾルゲの誕生日を祝う内容だった。 ゾルゲをめぐっては、ナチスが独ソ不可侵条約を破棄してロシア西部に進軍する計画を立てていることを突き止めたことで知られている。在日ドイツ大使館の報道官、記者として太平洋戦争前の東京で情報収集していたゾルゲは、日とナチスがともにソ連への侵攻を計画していることをモスクワに報告した。 今回見つかったのは、1938~1945年までナチス・

    ナチス外相がソ連スパイのゾルゲに送った書簡、日本で見つかる
  • 猿人が使う?最古の石器150点、ケニアで発見 : 科学 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    アフリカ・ケニア北部の約330万年前の地層から、人類史上最古と見られる石器が見つかったと、米仏などの研究チームが21日、英科学誌ネイチャーに発表する。 これまでに見つかっている石器より約70万年古く、ホモ(ヒト)属より古い時代に生きていた猿人が使っていたと考えられる。 見つかったのは、ハンマーのように使う石器や、石器をたたきつける台になる石、石を割って作ったと見られるナイフのように使える鋭利な破片など約150点。これまで最古と考えられていた、隣国エチオピアで見つかった約260万年前の石器と比べると、作りは粗く、より原始的という。 チンパンジーなども木の実を割る時に石を使う。石器に残された痕跡から、研究チームは、猿人も同じような使い方をしていたと推測。石器の使用がどのように発展したかを探る手がかりになるという。

    猿人が使う?最古の石器150点、ケニアで発見 : 科学 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 弥生時代の銅鐸7個、砂置き場で発見 淡路島:朝日新聞デジタル

    弥生時代前期末から中期初頭ごろ(紀元前3~紀元前2世紀)の最古級のものを含む銅鐸(どうたく)7個が、兵庫県南あわじ市(淡路島)の石材セメント製造会社の砂置き場で見つかった。県教委などが19日発表した。市内沿岸部に埋まっていたものが、砂ごと採取されたらしい。「第一級の価値がある」としている。 銅鐸の大量出土数としては、島根県・加茂岩倉遺跡(39個)、滋賀県・大岩山(24個)、神戸市・桜ケ丘遺跡(14個)に次ぐ4番目。県教委は元の埋納場所の特定を急ぐ方針で、発見数は増える可能性がある。 7個は青銅製で、高さ約22~32センチ、重さ約1~2キロ(いずれも一部は不明)。鈕(ちゅう)(つり手)の断面の分類によると、1個は全国で11個しか確認されていない「菱環(りょうかん)鈕式」で、6個は「外縁付(がいえんつき)鈕式」(弥生中期)だった。 銅鐸内部につるして鳴らす青銅製の「舌(ぜつ)」も3個(長さ約8

    弥生時代の銅鐸7個、砂置き場で発見 淡路島:朝日新聞デジタル
  • 積み上げた砂山から銅鐸…「国宝級発見」評価も : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    弥生時代の祭器・銅鐸(どうたく)計7個が、兵庫県南あわじ市(淡路島)で見つかり、県教委と市教委が19日、発表した。 市内の砂利加工会社が海岸近くから採取し、積み上げた砂の山から見つかった。出土数では、島根県雲南市・加茂岩倉遺跡(国宝、39個)などに次ぐ4番目。同時代中期の紀元前2世紀後半頃に埋納されたとみられ、一度に大量に埋められた最古のケースとなる。専門家は「国宝級の発見」と評価している。 同社の社員が4月上旬、工場内の砂山で、銅鐸2個を発見、市教委に届けた。市教委は工場とともに、同市内にある仮置き場の砂山も調べ、大きな銅鐸の中に小さな銅鐸を入れた「入れ子」状態の2組計4個と、壊れた銅鐸1個も見つけた。 最初の2個も入れ子だったのを、発見した社員が外したという。 銅鐸は、高さ22~32センチ、底幅13~19センチで、絵画などが施されていない古い時期のもの。うち3個には、銅鐸を鳴らすため内

    積み上げた砂山から銅鐸…「国宝級発見」評価も : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 松陰の自筆史料68点発見 山口・萩 NHKニュース

    幕末の思想家、吉田松陰の手紙やメモなど、未発表のものを含む自筆の史料68点が山口県萩市で見つかり、松陰の活動や人柄を知る貴重な史料として注目されます。 このため明治維新史が専門で広島大学大学院の三宅紹宣教授に詳しい調査を依頼したところ、筆跡などから手紙やメモなど68点が松陰の自筆のものだと分かったということです。 このうち、「写録」は松陰みずからが松下村塾で写をして資金を集めていたことが分かる貴重な資料です。 また、松陰らが萩藩主を通じて朝廷を動かし、尊皇攘夷を実行させる計画を書いた草稿は、紙の余白にまで文字が書き込まれていて、紙を大切にする松陰の人柄や、尊皇攘夷に向けて具体策を練っていた様子がうかがえます。 萩博物館によりますと、女性の先祖が松陰の兄の杉民治と交流があり、杉家が保管していた松陰の史料が今回、見つかったとみられるということです。 萩博物館の樋口尚樹学芸専門監は「68点も

  • 戦艦武蔵の船体発見か ネットに投稿 NHKニュース

    フィリピンのレイテ島近くのシブヤン海で、昭和19年10月に撃沈された戦艦「武蔵」の船体の一部とされる写真がインターネット上に投稿され、専門家らの関心を集めています。 シブヤン海はフィリピン諸島のほぼ中央に位置していて、ツイッターに投稿された2枚の写真のうち1枚目の写真には、軍艦の船首部分が写っていて、「菊の紋章が入った船首と巨大ないかり」とコメントされています。 また、2枚目の写真にはバルブのようなものが写っており「日のものであることを示す最初の証拠だ」とコメントがつけられ、バルブの中心部には、「開」や「弁」などという漢字が確認できます。 海上自衛隊のOBなどで作る公益財団法人「水交会」によりますと、「レイテ島に向かう途中に撃沈された『武蔵』の船体が確認されたという話は聞いたことがない」ということで、専門家らの関心を集めています。 ポール・アレン氏は世界有数の資産家として幅広い分野で慈善

    戦艦武蔵の船体発見か ネットに投稿 NHKニュース
  • 小林多喜二:最期、隣室収監の学者が書簡に記す - 毎日新聞

  • 児玉源太郎:日露講和は「失敗」と断言 一級史料を発見 - 毎日新聞

  • 岩手日報:終戦直後の英字新聞 創刊から50号 蔵で発見 - 毎日新聞

  • 「ドン・キホーテ」の作者か?捜索チームが棺発見 スペイン

    三位一体女子修道院の地下室のアルコーブの中から見つかった棺の一部。セルバンテスのイニシャル「M.C.」と記されているのが分かる(2015年1月26日公開)。(c)AFP/Sociedad de Ciencia Aranzadi 1月27日 AFP】小説「ドン・キホーテ(Don Quixote)」の作者、ミゲル・デ・セルバンテス(Miguel de Cervantes)の遺体捜索が行われているスペイン・マドリード(Madrid)の女子修道院で、セルバンテスのイニシャル「M.C.」と記された棺の一部が見つかった。スペインの研究チームが26日に明らかにした。 セルバンテスの埋葬場所をめぐる謎を解き明かすため発掘作業を行っていた研究チームは、先週末に三位一体女子修道院(Convento de las Trinitarias Descalzas)の地下室のアルコーブ(壁のくぼみ)の中から棺の一部を発

    「ドン・キホーテ」の作者か?捜索チームが棺発見 スペイン
  • 古代神話のオシリスの墓、発見

    シャフトを下るとそこには…ナイフをもった悪魔の間が… ルクソール西岸シェイフ・アブデル・クルナのネクロポリス(死者の町)で、古代神話オシリス神の墓をそっくり模した3200年前の墓が見つかりました。 オシリスの墓といえば古代エジプト最古の都のひとつ、聖地アビドスにある神殿「オシレイオン」が有名ですよね。 今回見つかったのはもっと年代の新しい墓で、構想的にはオシレイオンとほぼ同じ。冥界を統べる神オシリスの像(エメラルドに輝くご神体)は、中央の円天井の礼拝堂にあり、地下に続くシャフト(下図の中央にある竪穴)を9mおりると第1層の地下室、さらに6mおりると第2層の地下室2間に至ります。 ナイフを持った悪魔のレリーフが印象的な霊安室があるのは、中央礼拝堂の西側(上図では左側)にある空き部屋の前からシャフトを7m降りたところ。そして、同じシャフトを一番下まで降りていくと、そこには残骸だらけの部屋が2間

    古代神話のオシリスの墓、発見
  • 【明日香に巨大方墳】石舞台古墳しのぐ規模「舒明天皇」の滑谷岡陵か 「蝦夷の墓」説の研究者も 小山田遺跡(1/2ページ) - 産経WEST

    奈良県明日香村川原の小山田(こやまだ)遺跡で、飛鳥時代中頃(7世紀中頃)の巨大な古墳の墳丘の一部と濠(ほり)跡が見つかり15日、橿原考古学研究所(橿考研)が発表した。一辺50メートル以上の方墳と推定され、蘇我馬子(そがの・うまこ)の墓といわれる石舞台古墳を上回り、飛鳥時代最大級の規模。榛原石(はいばらいし)と呼ばれる薄茶色の室生(むろう)安山岩の切石で装飾されており、橿考研は規模や築造時期などから第34代の舒明(じょめい)天皇の初葬墓(しょそうぼ、改葬前の墓)で、日書紀に登場する滑谷岡(なめはざまのおか)陵の可能性が高いとみている。 ただ、発掘場所が大豪族・蘇我氏の邸宅があった甘樫丘(あまかしのおか)に近く、蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)親子の墓として日書紀に登場する双墓(ならびのはか)のうちの蝦夷の大陵(おおみささぎ)と考える研究者もおり今後議論を呼びそうだ。 濠は墳丘北側で東西方向

    【明日香に巨大方墳】石舞台古墳しのぐ規模「舒明天皇」の滑谷岡陵か 「蝦夷の墓」説の研究者も 小山田遺跡(1/2ページ) - 産経WEST