キダの所属事務所・オフィスとんでは、5月15日にキダの訃報をオフィシャルサイトに掲載。葬儀告別式については故人の遺志により近親者のみで執り行ったことを報告した。 キダは1930年生まれ、兵庫県宝塚市出身の作曲家。「かに道楽」「日清出前一丁」など親しみやすいメロディのCMソングの数々や、「アホの坂田」(コメディNo.1)、「天使の瞳」(ももいろクローバーZ)、「ありがとう たこやきレインボーです」(たこやきレインボー)など無数の楽曲を世に送り出し、“浪花のモーツァルト”の愛称で親しまれた。
The legendary producer behind Nivana's In Utero, Pixies' Surfer Rosa, and more Steve Albini, the legendary record producer and engineer behind Nirvana’s In Utero, Pixies’ Surfer Rosa, and countless other classic alternative rock albums, has died of a heart attack. He was 61 years old. News of Albini’s death was confirmed to Consequence via a staff member at his recording studio, Electrical Audio i
ホール&オーツ(Hall and Oates)解散。ダリル・ホール(Daryl Hall)は米Varietyの新しいインタビューの中で、ホール&オーツが正式に終わったことを認めています。ジョン・オーツ(John Oates)も4月にインタビューの中で、ホール&オーツはもう終わったと語っていました。 この問題は、2023年、オーツが2人のジョイントベンチャー、ホール・オーツ・エンタープライズの株の半分をプライマリー・ウェーブ社に売却しようとしたことに端を発しています。このジョイントベンチャーは、ホール&オーツの商標、個人の氏名・肖像権、レコード・ロイヤリティ収入、ウェブサイト、ソーシャルメディアの資産を管理しています。11月には、ホールはオーツが株の売却するのは2人の事業契約の条件に違反するとして訴訟を起こしました。 ホールは新しいインタビューの中でこう話しています。 「不意打ちを食らった。
さまざまな困難に遭いながらも挑戦を続ける姿が反響を呼び、ファーストアルバム、『奇蹟のカンパネラ』がクラシック界では異例の大ヒットとなった、ピアニストのフジコ・ヘミングさんが先月21日亡くなりました。92歳でした。 フジコ・ヘミングさんはスウェーデン人の父と日本人の母との間に生まれ、ピアノ教師の母の手ほどきで5歳からピアノを始めました。 早くから才能を見せ、17歳でピアニストとしてデビュー、東京芸術大学を卒業後は28歳でドイツに留学し、ヨーロッパを拠点に活動しました。 しかし、自身のキャリアをかけた重要な演奏会の直前にかぜをこじらせ、一時、耳が全く聞こえなくなるなど、ピアニストとして不遇の時代を過ごしました。 フジコさんの波乱に富んだ人生と再起にかける日々を追った25年前(1999年)のNHKのドキュメンタリーが大きな反響を呼び、同じ年に出したファーストアルバム『奇蹟のカンパネラ』は200万
ドゥーディー・ランブラーズとフォーク・クルセダーズが呼びかけ人となり、京都にて学生フォークの活動団体A.F.L.が発足(5月) 京都にて、ザ・タイガースの母体バンド、サリーとプレイボーイズ結成(6/9)。 関西学院大学にて結成されたフォーク・グループ、ザ・シャデラックスがコロムビアよりデビュー・シングル「君について行こう」をリリース(6/25)。 大阪フェスティバルホールにて「第1回フォーク・フォーク・フォーク」開催、阪大ニグロ、フォーク・クルセダーズらが出演(8/19)。 GS、スケルトンズ結成(夏)。 ラジオ関西で『ミッドナイト・フォーク』放送開始(11月)。 大阪でザ・ライダース(のちのライオンズ)結成(11月)。 京都にて上月潤と吉見聖を中心にGS、タックスマン結成(12月)。 ザ・ウィンストンズが五つの赤い風船に改名。 GS、ヤング・シャーツ(のちのケニーズ)が結成。 福岡風太、
休みだしせっかくなんで、4月25日にリニューアルオープンしたSHIBUYA TSUTAYAを覗きに行ってきました。 フロアはこんな感じ。 うち、現状で一見で自由に入れるのはB2階と1-5階。 B1階はまだ開いてなくて、6階/7階は事前に整理券を入手した人のみ入場可。8階はよくわからない。 フロアは完全に一新されているわけですが、その中でも「『SHIBUYA TSUTAYA』の伝統を受け継いだ」と掲げられているのがB2階。 一番気になっていたことは、このB2階がまだ「CDショップ」と呼べる体と言えるのかどうか、という点だったのですが、結論としては微妙。 チョイスされたミュージシャンのコーナーが並んでいるのみという形、その他のミュージシャンのCD/DVDが50音順に棚に並んでいるということは一切なく、言ってみればリニューアル前の1階とだいたい同じような感じです。 CDは売っていますが所謂「CD
× 11805 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 5066 6284 455 シェア ベーシストの亀川千代(ex. ゆらゆら帝国)が4月7日に死去したことが発表された。54歳だった。 【写真】かつてのゆらゆら帝国。中央が亀川千代。 かねてから親交のあったギタリストの田畑満が自身のX(Twitter)アカウントに亀川の遺族によるコメントを投稿。このコメントによると亀川は以前から病気療養中であり、葬儀は近親者のみですでに執り行われたとのこと。 亀川千代は1998年にゆらゆら帝国のメンバーとしてメジャーデビュー。2010年のバンド解散後は、灰野敬二率いるバンド・不失者や、山崎春美率いるバンド・ガセネタのメンバーとしても活躍していた。 ※追記:4月9日22:12、同じくゆらゆら帝国の元メンバーである坂本慎太郎もX(Twitter)で、
ザ・ファントムギフトのサリー久保田(B)が4月28日に東京・下北沢Flowers Loftで行われるワンマンライブをもって脱退。バンドは活動を休止することが発表された。 1984年に結成され、ネオGSムーブメントの象徴的なバンドとして名を馳せたザ・ファントムギフト。1989年に活動を停止するが、2023年よりオリジナルメンバー3人に杉村ルイ(ex. ザ・ヘア、ex. 東京スカパラダイスオーケストラ)をボーカルに迎え活動を再開していた。 脱退について、サリー久保田(B)は「自身のオーバーワークのせいで、ザ・ファントムギフトに100%集中出来ない自分にずっとジレンマを感じていました。悲しいピンキー青木君の訃報と同じタイミングになってしまいましたが一旦、バンドを抜けることにしました」と自身のX(Twitter)アカウントでコメントしている。 ザ・ファントムギフトの世界~ピンキー青木に捧ぐ2024
俺はラリーズに関しては、皆がけなすとほめたくなるし、絶賛すると批判したくなる。そういうフラットな立場でずっと接してきた。なにごとも、神話化されることが嫌いだし。 灰野敬二さん(以下、敬称略)の取材を始めてからちょうど3年が経った。周辺関係者インタヴューも含めて今なお継続中である。この取材は、「灰野さんの本を書いてくれ」というエレキング編集部からの依頼がきっかけだが、私自身の中にも「灰野さんの軌跡をちゃんと残さなくてはならない」という思いがずいぶん前からずっとくすぶっていた。灰野敬二ほどオリジナルな世界を探求し続けてきた音楽家は世界的にも稀、というか他にいないという確信があったから。半世紀以上にわたり、自分だけの音楽を追い求め、膨大な数の作品を残してきた彼の評価は、日本よりもむしろ海外での方が高いし、灰野の全貌を知りたがっているファンが世界中にいる。この貴重な文化遺産をできるだけ詳細かつ正確
ザ・スターリン「Fish Inn」40周年記念の完全復刻CD&LP発売、高円寺でライブも 2024年3月23日 19:00 389 20 音楽ナタリー編集部
大分県の音楽フェス、騒音を謝罪 ももクロ、気志團ら出演 近隣から苦情「大変ご迷惑をおかけした」
鳥山明『ドラゴンボール』がヒップホップ/ラップに与えた影響について、米ニューヨークのカルチャー誌The Faderが追悼特集しています。同誌のラップ・コラムは「確たるデータはないが、『ドラゴンボール』はおそらくラップ史上最も一貫して引用されたアニメであることに賭けてもいい」とも述べています。 特集ではまず、『ドラゴンボール』がヒップホップに与えた具体的な例として以下を挙げています。 ●Lil Boosieの「Cartoon」の歌詞には“ドラゴンボール”が登場する。 ●Sicko Mobbのミックステープ『Super Saiyan, Vol. 1』は、アニメにはほとんど言及していないが、その代わりにエネルギーをパワーアップする感覚を表現している。
9日に行われたピン芸人日本一決定戦「R-1グランプリ」に出場したトンツカタンお抹茶(34)が所属する「プロダクション人力舎」が13日、公式Xを更新。お抹茶が「R-1」で使用した楽曲について、楽曲ダウンロードサイト及び作曲者様の規定に沿わないとし、謝罪した。 「【トンツカタンお抹茶についてのご報告】」と題し「トンツカタンお抹茶が劇場やR-1グランプリ決勝などで披露したネタ『かりんとう車』にて使用した楽曲につきまして、楽曲ダウンロードサイト及び作曲者様の規定に沿わない使用方法をしていたことが発覚いたしました」と切り出した。 続けて「使用サイトご担当者様とお話しさせていただき弊社の確認不足によりご迷惑をおかけしましたことを謝罪致しました。その上で当該動画を削除致しました。本件におきまして関係各位にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます」と謝罪した。 同投稿を引用したお抹茶も「作曲家のマニ
1984年のザ・ファントムギフト結成から1989年まで約5年間バンドに在籍し、脱退後はソロ活動をしていたピンキー青木。近年は自宅にて病気療養中だった。 ザ・ファントムギフトは昨年より杉村ルイ(ex. ザ・ヘア、ex. 東京スカパラダイスオーケストラ)をボーカルに迎え活動を再開しており、4月28日には東京・Flowers Loftにて単独公演を開催。本公演のタイトルは「ザ・ファントムギフトの世界~ピンキー青木に捧ぐ」になるという。 ザ・ファントムギフトのX投稿
ももいろクローバーZのバックバンドDMB(ダウンタウンももクロバンド)やYOASOBIのサポートメンバーとして活躍中のベーシスト、やまもとひかる。ピンク髪がトレードマークで、ももクロやYOASOBIが出演する大型フェスや地上波の歌番組などでも目を引く存在だ。近年は、サポート活動のみならず、ベース・ヴォーカリストとしてのソロ活動、新たに結成したロックバンドAoooのメンバーとしても活動するなど、今、音楽ファンはもちろんのこと、音楽関係者からも注目を集める若手ベーシストの1人である。STREAMでは、先月、アーティスト・ブック『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES やまもとひかる』を発売したばかりのやまもとへの独自インタビューを敢行。ベースに目覚めたきっかけ、ももクロやYOASOBIとの出会い、今後の夢などを聞いた。 幼稚園年長のクリスマス、サンタからプレゼ
ヒップホップやR&Bなどを専門に扱う雑誌『ブラック・ミュージック・リヴュー』改めウェブサイト『bmr』を経て、現在は音楽・映画・ドラマ評論/編集/トークイベント(最新情報はこちら)など幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第46回。 今回は、今から50年前となる1974年のチャートで話題となったソウルとファンクの名盤について。 <関連記事> ・【動画付】1974年に発売されたアルバム・ベスト68 ・【動画付】1984年に発売されたアルバム・ベスト64 ・【動画付】1994年に発売されたアルバム・ベスト69 ・ベスト・アルバム・ランキング記事一覧 1970年代は米ブラック・ミュージックが最も熱かったディケイドの一つ。というわけで今から50年前にあたる1974年のブラック・ミュージック界を見てみよう。 取り上げる7作品とは、ビルボードの「Hot Soul
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