エコや燃料高騰で自動車が話題になることが多い。 月末となるとガソリンスタンドが大混雑する風景が、新しい郊外の風景として定着しそうだ。月が変わるたびに値上げされているのだから。先月も道路に行列の車がはみ出していて、いたるところの街道に給油待ち渋滞ができていた。 ただでさえ自殺者が多い(凶悪事件なんかさっぱり起きない平和な町だけど、とにかく自殺とひき逃げだけは毎日のように起きている)貧乏タウンだというのに、ガソリンの値上げは地元民にとってかなり痛い。なにしろ自動車がなければどこにも移動できないからだ。 かつて自動車は個人主義のアイコンであり、アメリカ的な自由を示す代表的なアイテムだった。戦後は「おれもいつかは自家用車を」と誰しもが夢を持ち、バブル期は「いつかはアウディ、いつかはパジェロ」とかに変わっていった。車はずっと成功の象徴でもあったのだ。そしてそのころになると誰もが持っているものとの前提
作家石原慎太郎は、前にいたやじ馬の尻に銃弾が当たるのを見た。 昭和40年7月、うだるような暑さに包まれた東京の夕刻。渋谷でのことである。 すでに渋谷は異様な事態に陥っていた。駅前(タワレコのほうだった……)にある「ロイヤル銃砲店」をぐるりと警官やパトカーが取り囲み、またその周囲には、ライフルの銃弾が無差別に飛び交っているにもかかわらず、数千人のやじ馬が集まっていた。石原もまた「渋谷がえらいことになってるぞ!」と友人から聞き、三崎のヨットハーバーに向かう予定を変更して、やじ馬の一人にくわわったのだ。 すでに山手線もストップしてしまい、まるで電線に止まった鳥のように線路には多くの人々が集まっては、事件の行方を見つめつづけ、あるいは店に向かって投石を繰りかえしていた。空には爆音を轟かせながらヘリコプターも飛んでいる。ロイヤル銃砲店に立てこもった少年が次々とライフルを発砲し続けたため、警官とやじ馬
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