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人間と仕事に関するwata300のブックマーク (6)

  • 人の感情を動かす方法 - 凹レンズログ

    D・カーネギーの「人を動かす」。言わずと知れた名著です。エントリーでは、この「人を動かす」をまとめるとともに、感情へ訴えかける方法について考えます。 まず、このには、ひとつの根底に流れる思想があります。それは、人間の非論理性です。 およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するということをよく心得ておかねばならない。 カーネギーの人間観 「人を動かす」は、"How to Win Friends and Influence People"の訳であって、内容も非常に暖かくポジティブな示唆に富んでいますが、その根底には人間の論理性に対する深い絶望があります。それは、自身をふり返っても耳が痛い話で、論理的な人物の皮をかぶっていても結局は自己保身にやっきになっている小さな人間であることを思い知らされます。 わ

    人の感情を動かす方法 - 凹レンズログ
    wata300
    wata300 2012/10/22
    《カーネギーの人を動かす方法は、「人間の承認欲求を満たしてやること」に他ならない》
  • 「知能の次に来るものは何か?」

    著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly ) 訳 :堺屋七左衛門 この文章は Kevin Kelly による "What Comes After Minds?" の日語訳である。 知能の次に来るものは何か?  What Comes After Minds? 人間の知能は、私たちが知っている最も複雑なものである。そうだということは直感的にわかる。しかし、複雑さを計測するのは困難だ。人間の頭脳の細胞の数は、西瓜の細胞の数とたいして変わらないだろう。だが細胞の多様性と機能については、脳のほうが果物の細胞よりも上回っている。 各種の複雑な存在(たとえばジャンボジェット、熱帯雨林、ヒトデなど)について、その構成要素や接続部品や下位要素の数、論理深度や自由度などを数え上げることができる。その要素数の最終集計は脳の細胞数の合計に近いかもしれない。だが、その構成要素の機能や効果は、要素数の合計

    「知能の次に来るものは何か?」
    wata300
    wata300 2011/01/08
    「最近聞いた答えで、私が支持しているものはこれだ。知能の次に来るのは知能の生物圏、すなわち、多数の知能および多くの種類の知能による生態的ネットワークである。」
  • 【最遊記作者】 峰倉かずや 病気で顔の骨の半分を失う 「幾つかの身体機能を失った」 : はちま起稿

    【最遊記作者】 峰倉かずや 病気で顔の骨の半分を失う 「幾つかの身体機能を失った」 「最遊記」シリーズの作者がものすごい重病になってた 峰倉かずや - Wikipedia 峰倉かずや(みねくら かずや、1975年3月23日 - )は、日漫画家。 神奈川県出身・在住。血液型はA型。男性的な名前であるが、女性である。 「最遊記」シリーズや「WILD ADAPTER」などで知られる ◆漫画家・峰倉かずやが壮絶な闘病を報告、術後の状況を公式ブログに綴る。◆ 9月28日付けのエントリーで、峰倉はしばらくの休養を宣言していた。「今私はひとつ(+α)の病気を抱えています」「あまり例のない病種の為、現在手術に向けて慎重に検査等を重ねているところで、正直お仕事のスケジュール自体がきちんと組めない状態にあります」と、休養の理由を丁寧に説明。また、 2007年8月には子宮を全摘出したことを報告して

  • 『七人の侍』の組織論 - 内田樹の研究室

    どういうタイプの共同体が歴史の風雪に耐えて生き延びることができるか。 これはなかなか興味深い問いである。 前に、住宅についてのシンポジウムの席で、「コレクティブ・ハウス」を実践している人から質問があった。 その人は20世帯くらいで住まいをシェアしている。子どものいる若い夫婦同士はお互いに育児を支援し合って、とても助かるのだが、高齢者の夫婦などはいずれこちらが介護せねばならず、若い人たちは「他人に介護してもらうためにコレクティブハウスに参加したのではないか・・・」という猜疑のまなざしで老人たちを見つめている、という話をうかがった。 どうすればこの共同体を継続できるのでしょうというお訊ねだったので、「残念ながら、そういう共同体は継続できません」とお答えした。 あらゆる共同体では「オーバーアチーブする人」と「アンダーアチーブする人」がいる。 必ずいる。 全員が標準的なアチーブメントをする集団など

  • 長文日記

  • 中学の同窓会でわかった「本当の凡人」の悲惨さ

    まぁ、みんな聞いてくれ。お前らがどんな仕事をしているかわからんが、はてなを使いこなすようなディープなネットユーザーはそれなりに充実した毎日を送っているだろう(と信じたい)。 俺も国立大を卒業して(東大じゃねえぞ)、その業種内じゃそこそこ名の知れた企業に入ることはできた。毎日どうでもいいことで怒られるわ、地雷を避けるためだけに残業させられるわでほんと大変だよ。周りを見ても似たような感じで「ああ、俺って凡人だな」なんて平々凡々としてサラリーマン生活を送っている。 そんな時に中学の同窓会の知らせが来た。中学の頃の友人なんてぜんぜん連絡を取っていない。手紙のやり取りすらしている人間もいない。けど、参加してみることにした。あの頃の奴らが今何やっているかが気になるし、愚痴の共有でもしてストレスを発散しようと思ったんだよ。それなりにワクワクしていた。会場につくまでは。 「誰とも連絡を取っていない」──思

    中学の同窓会でわかった「本当の凡人」の悲惨さ
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