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70年代後半に登場した初期のニュー・ウェーヴ・バンドの多くは、過去数十年のロックの進化を支えてきたのと同じリズムを刻んでいた。だが80年代前半になると、アフリカ、インド、アジアといった地域のサウンドを取り入れることで作品に新鮮味を加えようとするバンドが増え出した。 当時は世界的な成功を目指す大物から知られざる革新的グループまでがこぞって、世界を股にかけた新しいロック・サウンドを鳴らしていたのである。この記事ではその一端を紹介しよう。 <関連記事> ・ポリスの名盤『Synchronicity』40周年記念盤が7月に発売決定 ・デヴィッド・シルヴィアンとジャパンのベスト・ソング20曲 ・ジャパン『Tin Drum』(邦題:錻力の太鼓)の想い出 ジャマイカ、レゲエとUK ジャマイカは、英米両国以外で最初にニュー・ウェーヴの流行、とりわけイングランドにおける流行に影響を与えた国の一つだ。新世代のグ
ドレイク(Drake)とのビーフの応酬の中で生まれた楽曲「Not Like Us」がディス曲ながらストリーミングヒットとなり、全米シングルチャートで1位となるまでの成功となったケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)。 そんな彼が、2024年6月7日にケンドリックの地元であるカリフォルニア州コンプトンのコミュニティ・カレッジ、コンプトン大学(Compton College)の卒業式にサプライズで登場し、卒業式にスピーチを行った。その全文を公開。訳はライター/翻訳者の池城美菜子さん。 <関連記事> ・ケンドリックのコンセプト・アルバムの傑作『good kid, m.A.A.d city』を読み解く ・ケンドリック・ラマーのベスト・ソング30:頂点に上り詰めたラッパーによる名曲 Compton College Commencement 2024 イヤー イヤー イヤー イヤー イヤ
2024年5月24日にニュー・アルバム『66』をリリースしたポール・ウェラー(Paul Weller)。ポール・ウェラーの通算28作目、ソロとしては17作目となるソロ・アルバムの発売を記念して、1992年にソロ名義として初のアルバムを発売しようとするも、本国では契約先が見つからないなかで、世界で最初、そして半年以上先行して発売となったアルバム『Paul Weller』の担当A&R、佐藤 淳さんに当時のお話や今年のライブ、そして最新作をお伺いいたしました。 <関連記事> ・ポール・ウェラー、6年ぶり来日公演初日ライブレポート ・ポール・ウェラーの20曲:最もクリエイティブであり続けるシンガー・ソングライター ポール・ウェラーとの運命的な出会い ── まず、佐藤さんがポニーキャニオンでポール・ウェラーを担当される前のキャリアからお話いただけますでしょうか。 1990年に、ワーナーパイオニア(現
2024年5月に日本でも公開された映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』。この作品を見た日本のレゲエ関係者3名が映画やボブ・マーリー、そしてレゲエについて思う存分語る座談会を実施。その模様を3回にわけてお伝えします(第2回、第3回はこちら)。 <座談会参加者> ■石井志津男(プロデューサー) OVERHEATレコーズ主宰、雑誌Riddim誌発行。1985年から多数のジャマイカ人及び日本人レゲエ・イベント開催。ドキュメンタリー映画Ruffn’ Tuff監督。共著/監修本に『Rocksteady Book』、『Ruffn’ Tuff』、『レゲエ・ディスク・ガイド』など。 https://overheat.com/ ■工藤 BigH 晴康(新宿・REGGAE / DUB club OPEN “校長”) 音楽評論や伝説のレゲエ・バンドHARDCORE REGGAEを始めアーティストとしても活躍。
1999年5月11日生まれ、ディズニーチャンネルから人気となり、シンガーソングライターとして活躍しているサブリナ・カーペンター(Sabrina Carpenter)。 そんな彼女が2022年7月に発売した「Nonsense」、そして2023年8月に発売した「Feather」が連続してシングルヒットを記録。さらに、2024年4月に配信した「Espresso」が自身初、そしてキャリアハイとなる全英シングルチャート1位、全米シングルチャートでも4位をヒットを記録している。 彼女やこのヒットについて、様々なメディアに寄稿される辰巳JUNKさんに解説いただきました。 <関連記事> ・サブリナ・カーペンター、今までの来日インタビューを振り返る ・ディズニー卒業生の俳優兼歌手が熱い視線を浴びている7つの理由 新時代ポップスターの座 2024年のサマーアンセム「Espresso」で世界を席巻中のサブリナ・
Apple Musicによる史上最高のアルバムを讃える「100 Best Albums」(史上最高のアルバム100枚)の全リストが公開となった。 Apple Music「100 Best Albums of all time」 100位 ロビン『Body Talk』 99位 イーグルス『Hotel California』 98位トラヴィス・スコット『ASTROWORLD』 97位 レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン『Rage Against the Machine』 96位 ロード『Pure Heroine』 95位 アッシャー『Confessions』 94位 ブリアル『Untrue』 93位 ソランジュ『A Seat at the Table』 92位 タイラー・ザ・クリエイター『Flower Boy』 91位 ジョージ・マイケル『Listen Without Prejudice Vo
80年代後半頃のレッド・ホット・チリ・ペッパーズは、まだ今のような影響力のあるファンク・ロック・バンドでなかったことは、つい忘れがちである。そんな彼らのキャリアを大きく変えていたかもしれないような分岐点1989年にあった。 ところでこの時にはすでに彼らは地元ロサンゼルスで少しばかり人気があって、特に大学生の界隈においては、荒々しいファンクやロックのサウンドと、あの裸に靴下を股間につけたコスチュームに至るような、やり過ぎなライブ・パフォーマンスも相まって、人々の好奇心の的となっていた。 アルバム『Mother Milk』の制作に取り掛かろうとする頃、バンドを悲劇が襲った。1988年、結成メンバーであり、このバンドの生みの親のような存在であったギタリスト、ヒレル・スロヴァクがヘロインのオーバー・ドーズで亡くなり、それが原因でドラマーのジャック・アイアンズもバンドを脱退してしまった。代わりのメン
スティーヴ・アルビニ(Steve Albini)の死後、ブルックリン・ヴィーガンに掲載された寄稿文の中で、ソニック・ユースの元フロントマンであるサーストン・ムーアは、彼に対する心からの賛辞を贈っている。その中でムーアは、この世を去ったばかりのこのミュージシャン/プロデューサーを「真の先見性に満ち、創造への衝動を喜びとして生きた人物」と表現した。 一見大袈裟とも思えるこのような賛辞も、アルビニという男にはまったくもって相応しい。彼は自身の専門分野において、まさに唯一無二の存在だったからである。残念なことに、しかし彼はシカゴの自宅で心臓発作を起こしたあと、まだ61歳という若さでこの世を去ってしまった――。2024年5月7日のことだ。 辛辣なウィットに富んでいた彼は、生前、アルバム制作において無駄のないアプローチを採ることでも有名だった。また、彼は最期まで”プロデューサー”という肩書きを嫌い、携
インディ・ロックの名盤の数々を手掛けたエンジニアで、アンダーグラウンドなロック・グループのフロントマンとしても活動していたスティーヴ・アルビニ(Steve Albini)が2024年5月7日に心臓発作のため61歳で逝去した。 この訃報を受け、1993年に発売された『In Utero』を制作する前に、バンドがプロデュースを依頼した際のスティーヴ・アルビニからの返答の手紙(FAX)をバンドの公式アカウントが公開した。その翻訳を掲載。 <関連記事> ・デイヴ、クリス、スティーヴ・アルビニがニルヴァーナ『In Utero』を語る ・スティーヴ・アルビニ、カートとの出会いや『In Utero』の制作を語る ・『In Utero』: 90年代を代表するバンドのラスト・アルバム カート、デイヴ、クリスへ まずは、この説明書きを纏めるのに数日かかってしまったことを謝らせてほしい。カートと話したときはフガジ
時は1977年。ブライアン・イーノとデヴィッド・ボウイは、ベルリンで『Heroes』の制作に勤しんでいた。そんなある日、イーノは新発売の7インチ盤を興奮気味に掲げながらスタジオに駆け込み、ボウイにこう熱く語った。 「このシングルはこの先15年のあいだ、クラブ・ミュージックのサウンドを一変させるよ」 そのシングルこそがドナ・サマーの「I Feel Love」だった。彼の言葉は確かに正しかったが、このコメントには2点の訂正が必要だ。つまり、“この先15年のあいだ”を“永久に”、そして“クラブ・ミュージック”を“あらゆる音楽”に変える必要があったのだ。 <関連記事> ・夫ブルース・スダノが語るドナ・サマー「私の知る限り、誰よりもすばらしい人物」 ・ドナ・サマーの新EP『Any Way At All』が“国際女性デー”にあわせて配信 Donna Summer – I Feel Love ジョルジオ
2024年4月19日に発売となったテイラー・スウィフトのニュー・アルバム『THE TORTURED POETS DEPARTMENT』、そして配信2時間後に15曲が追加された全31曲入りの『THE TORTURED POETS DEPARTMENT: THE ANTHOLOGY』が配信初日だけで既に様々な記録を打ち立てている。 この11作目のアルバムについて、国内盤CDの対訳を担当した池城美菜子さんによる11のキーポイントを掲載します。 <関連記事> ・テイラー・スウィフト「Cruel Summer」ファンとの絆が生んだ4年越しのNo.1 ・テイラー・スウィフト来日公演初日レポ:完璧だった45曲のアドベンチャー “愛と詩においてはすべてが正当化されるのです” 真夜中過ぎのさまざまな思いを曲にしたためた10作目『Midnights』から2年。明け方3時ヴァージョンまで出したのだから、そろそろ
プレイボーイ誌は彼のことをこう呼んだ「活発な初期ザ・ビートルズ・サウンドにザ・ローリング・ストーンズの粋なブルースを上手く混合したもの」。アメリカの音楽批評家ロバート・クリストガウはプレイボーイ誌の批評を受け、こう言った。「この男から醸し出されるオタクっぽい雰囲気が好きなんだ。彼の歌詞に魅了されるし、彼のロックン・ロールの姿勢は気に入った」。 この話に出てくる男はエルヴィス・コステロ(Elvis Costello)、そして語られているアルバムは1977年7月22日に発売された彼のデビューアルバム『My Aim is True』だ。 <関連記事> ・バカラック&コステロのコラボ作が最新リマスター+新規音源で発売 ・エルヴィス・コステロ8年振りの来日公演初日レポート Elvis Costello – Watching The Detectives ニック・ロウのプロデュース そのアルバムのリリ
We was thinking about Mozart, Beethoven, Schubert, Tchaikovsky, Brahms… but maybe we should have had a little bit more Brown 作曲家といえばモーツァルト,ベートーヴェン,シューベルト,チャイコフスキー,ブラームス でもな、ブラウンをもう少し入れておくべきだったかもな ジェームス・ブラウン「Dead On It」(1975年)より 英国では、ピアニストのビリー・テイラーは「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」の作者・演奏者として最もよく知られていた。ソウルフルでペンテコステ調の同ジャズ・チューンは、数十年にわたり、BBC1で放映されていた映画評論番組のテーマ曲だった。一方アメリカでは、ビリー・テイラーはテレビでミュージシ
ヒップホップやR&Bなどを専門に扱う雑誌『ブラック・ミュージック・リヴュー』改めウェブサイト『bmr』を経て、現在は音楽・映画・ドラマ評論/編集/トークイベント(最新情報はこちら)など幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第46回。 今回は、今から50年前となる1974年のチャートで話題となったソウルとファンクの名盤について。 <関連記事> ・【動画付】1974年に発売されたアルバム・ベスト68 ・【動画付】1984年に発売されたアルバム・ベスト64 ・【動画付】1994年に発売されたアルバム・ベスト69 ・ベスト・アルバム・ランキング記事一覧 1970年代は米ブラック・ミュージックが最も熱かったディケイドの一つ。というわけで今から50年前にあたる1974年のブラック・ミュージック界を見てみよう。 取り上げる7作品とは、ビルボードの「Hot Soul
アートに関するオノ・ヨーコの好奇心は今も実に旺盛だ。それを思うと俄かには信じられないことだが、彼女は2023年2月18日で90歳になった。1933年2月18日に東京で生まれたこの日本人アーティストは、有力な文化人としての品格と反発力を保ちながら、ほぼ半世紀に渡って立派な活動を繰り広げてきた。 オノ・ヨーコがジョン・レノンと出会ったとき、ジョン・レノンはおそらく世界で最も有名だった四人組の一員だった。彼が亡くなってから今までの数十年間、彼女はジョン・レノンの名前を自分の心の中に留めるだけでなく、世界中の人たちと分かち合ってきた。2016年、オノ・ヨーコは自分の誕生日の前日にロンドンでNMEアワードのインスピレーション賞を受賞した。プレゼンターを担当したのは、ソニック・ユースのサーストン・ムーアだった。 オノ・ヨーコはまた、従来のポップ・ミュージックの枠内では収まらないかたちでの自己表現をジョ
音楽と文学のあいだには親密な関係がある。それを物語る現代のアーティストといえば、真っ先にラナ・デル・レイ(Lana Del Rey)が思い浮かぶ。 彼女は2020年に詩集『Violet Bent Backwards Over the Grass』を発表しているが、既にそれ以前から、詩、散文、戯曲、哲学の名著を自らの多彩な作品カタログの中に織り込んできた。シルヴィア・プラスからウォルト・ホイットマンに至るまで、ラナが歌詞の面で影響を受けた著作は膨大だ。それらを詳しく読み込んでいくと、彼女が時間、存在、アイデンティティについて複雑な関心を抱いていることが明らかになる。 ラナの文学的な興味をさらに深く掘り下げるため、今回は彼女にインスピレーションを与えた作家を紹介していこう。ここに挙げた作家の中には、明確に言及している例もあれば、もっとさりげない形で触れている例もある。 <関連記事> ・ラナ・デ
海外では2024年2月14日に劇場公開が決定、日本でも2024年5月17日に公開されることが発表となっているボブ・マーリー(Bob Marley)の伝記映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』。 この映画の公開を記念して、ライター/翻訳家の池城美菜子さんにボブ・マーリーの生涯と功績についての連載企画を開始。第一回目は、改めてボブ・マーリーとレゲエについて解説いただきました。 ・連載第2回「ボブ・マーリーの音楽のどこが時代を超えて人々の胸を打つのか」 <関連記事> ・映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』海外版本予告編公開 ・ボブ・マーリー:ジャマイカ最大のスターの人生とその功績 ・ボブ・マーリーの歌詞にこめられた普遍的な名言9選 レゲエの神様、ボブ・マーリー ジャマイカが生んだレゲエの神様、ボブ・マーリーについて各国言語で書かれた本は、500冊以上あるという。ストレートで力強いメッセージ
1979年の名作アルバムの数々を振り返ると、パンク、R&B、ディスコなどなど幅広いジャンルの作品が入り乱れ、1970年代末期の音楽シーンが多様性に満ちていたことがよく分かる。そのリストには、パンク、ポスト・パンク、R&B、ディスコ、ファンクなどなど実に幅広いジャンルの作品が並んでいるのだ。しかも、中にはポリスやクラッシュのように、一つのバンドの作品に複数のジャンルが内包されている場合もある。 また、ドナ・サマーがキャリアを代表する名作を発表し、フリートウッド・マックが綿密に練り上げられた大傑作に続く長大なアルバムをリリースしたのもこの年のことだった。 つまるところ1979年発表のアルバムの中には、どんな音楽ファンでも一つは好きな作品があるはずだ。ここでは、私たちの選ぶ名作の数々をランキング形式でご紹介しよう。 <関連記事> ・【動画付】1973年に発売されたアルバム・ベスト65 ・【動画付
Courtney Love and Kurt Cobain - Photo: Terry McGinnis/WireImage ロック、ヒップホップ、その他さまざまなジャンルから名作の数々が生まれた1994年は、音楽業界にとって驚異的な一年だった。誰でも、この年に発表されたアルバムの中にお気に入りが一つは見つかるはずだ。 1994年は素晴らしい出来事もあれば、つらい悲劇もあり、何より名作アルバムがたくさん生まれた年だった。そして、この年には一つの時代が終焉を迎えた。ニルヴァーナのフロントマンであるカート・コバーンの早すぎる死が、音楽ファンを深い悲しみに包んだのである。しかしその後、グランジ・バンドの代表格であるニルヴァーナの功績は高く評価されることとなった。また、同年11月にリリースされたライヴ・アルバム『MTV Unplugged In New York』は、グループの素晴らしい才能を象
1984年はジョージ・オーウェルの小説に描かれたような暗い年になるどころか、ポピュラー音楽の歴史においても特に充実した一年になった。 1984年には、シンセ・ポップ・サウンドのアルバムが数多く作られた (マドンナの『Like A Virgin』、ニュー・エディションのセルフ・タイトル作、ワム!の『Make It Big』といった作品だ) 。 また、ブラック・フラッグ、バソリー、ハスカー・ドゥ、ミニットメン、メタリカらがそれぞれの代表作となるアルバムを発表したこの年は、パンク、ハードコア、ヘヴィー・メタルといったジャンルの転換期にもなった。 他方、ニューヨークでは、新たなスタイルのヒップホップが誕生。Run-D.M.C.の革新的なサウンドを筆頭とするこの新たな潮流は、やがて1980年代の音楽シーンを席巻することになった。 幸いにも、1984年がジョージ・オーウェルの小説に描かれたような暗い一
2024年の年があけた今の音楽業界を形成作ったのは2010年代といっていいだろう。この10年間の音楽業界を賑わせてきた出来事の数々を振り返えってみよう。この時代を定義づける主な出来事といえば、テクノロジーが大きく発展したこと、様々な音楽ジャンルがその垣根を越えて互いに影響を及ぼし合ったこと、そしてこれまで音楽界を牽引してきたレジェンドたちが表舞台を去っていったことなどが挙げられる。 だが一方で2010年代は、様々な矛盾をはらんだ時代でもあった ―― 例えば、矢継ぎ早にシングルをリリースすることが、ストリーミング・サービス上での新たな常識となった。それと同時にアーティストたちは、未だかつてないほどのスピードでより多くの音楽をリリース出来るようになった。そして競争の激しいアテンション・エコノミーの只中で、ただでさえ多くの選択肢に溢れたリスナーたちから、少しでも多くの関心を得ようと躍起になり始め
Brian May performs ‘Love Of My Life’ O2 London © Queen Productions 50年に及ぶクイーン(Queen)のキャリアから、貴重な蔵出しライヴ映像や、最新パフォーマンス、舞台裏を明かすインタビュー等を50週にわたって紹介していくバンドのシリーズ『Queen the Greatest Live』。 今回公開された第45話「21世紀のクイーンのライヴについて、観客や技術の違いをブライアンとロジャーが語る」では、1970年以来、ライブ技術の進化や観客の変化についてブライアン・メイとロジャー・テイラーが語る独占インタビューが公開されている。 <関連記事> ・クイーン+アダム・ランバート、第74回NHK紅白歌合戦出場決定 ・クイーン+アダム・ランバート、2024年2月来日公演決定 ・映画『ボヘミアン・ラプソディ』が伝えるクイーンについての1
2023年10月20日に発売されたザ・ローリング・ストーンズの18年振りとなるスタジオ・アルバム『Hackney Diamonds』が、現地時間12月22日に発表された全英アルバムチャートで1位に返り咲いた。 <関連記事> ・ストーンズ、18年振りのスタジオアルバム『Hackney Diamonds』を10月に発売 ・ザ・ローリング・ストーンズが18年振りの新作発表会見で語ったこと ザ・ローリング・ストーンズが全英チャートで2週1位になったのは1980年の『Emotional Rescue』以来となる約43年振り。再発ものを除き、アルバムが全英1位に返り咲いたのは1971年の『Sticky Fingers』以来、約52年振りとなる。 また、『Hackney Diamonds』は同チャートのTOP10に9週ランクインしており、これは『Beggars Banquet』『Exile on Mai
ザ・ビートルズ(The Beatles)が残した音楽的遺産は、いまだにポピュラー音楽の歴史にそびえ立っているが、視覚的遺産についてはどうだろう? 『Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のカウンターカルチャー的コラージュから「Yellow Submarine」のシュールな冒険旅行まで、ザ・ビートルズの作品は映画、アニメーション、グラフィック・デザインなどあらゆるものに影響を与えてきた。 故に『Revolver』の収録曲「I’m Only Sleeping」のための新たなビジュアルの制作を依頼された時、それは大きな重責を担うことを意味する。 <関連記事> ・ビートルズの赤盤、青盤は全米でも売上好調。全英1位獲得の「Now and Then」は様々な記録を更新 ・ザ・ビートルズ『Revolver』解説:ポップ・ミュージックの存在価値を変えた名作 1,600枚を超える
ブラック・クロウズ(The Black Crowes)の大ヒットしたセカンド・アルバム『The Southern Harmony And Musical Companion』のスーパー・デラックス・エディションが2023年12月15日にリリースされた。 1992年のリリースと同時に全米チャート1位に輝いた『The Southern Harmony And Musical Companion』は、南北戦争後にアメリカ南部で作られた賛美歌集にちなんで名づけられたアルバムで、「Remedy」、「Sting Me」、米ビルボードのメイン・ストリーム・ロック・エアプレイ・チャートで21週1位を記録した「Thorn in My Pride」など、バンドの代表的ヒット曲の数々が収録されている。 <関連記事> ・ブラック・クロウズ『Shake Your Money Maker』30周年記念盤発売 ・リック
今年デビュー10周年を迎える英ロック・バンド、The 1975。この10周年を記念して、日本オリジナル企画として7インチヴァイナル5枚が収録されるBOXセット『(2013 – 2023) Singles』が2023年12月15日に発売される。 この発売を記念して、この10年間The 1975を担当してきた日本のレコード会社の担当、そして二人の音楽ジャーナリスト(新谷 洋子、粉川しの)の3人による座談会を実施。その模様を前編・後編の2回にわたって掲載します。 後編はこちら。 <関連記事> ・The 1975がリスナーを魅了する5つの理由 ・デビュー・アルバム『The 1975』。当時の評価やマシューが語ったこと ・マシューが語る、5作目の新作『Being Funny In A Foreign Language』 The1975 日本独自企画商品、7インチレコードBOX『(2013 – 202
1969年、ザ・フー(The Who)は、自身の運命を決定的に変えることになるアルバムをリリースした。彼らが作り上げたロック・オペラ『Tommy』は、母国英国で大ヒットを記録したが、アメリカではさらなるヒットとなり、急成長するロック・シーンの成功例ともてはやされた。 『Tommy』は極めて重要なマイルストーンとなったゆえに、ザ・フーのメイン・ソングライターであるピート・タウンゼントは、その後続作の制作を担う段になると、大きな困難と直面することとなった。 コンセプト・アルバムとしては、『Tommy』が描いた、激しいトラウマや虐待によって視覚・聴覚・発話障害を負うも、成長してピンボールをプレイする救世主的なリーダーとなる少年トミーの物語は、複雑ではあるものの、(1975年ケン・ラッセルによって)映画化されるほどには十分理解できるものであった。 しかしながら、タウンゼントの次作の構想は、たとえ彼
優れたバンドには必ず、かけがえのない仲間や重要なコラボレーターがいるものである。ザ・ローリング・ストーンズの面々は60年に亘りロック界の最前線で活躍し続け、唯一無二のキャリアを築き上げてきた。だが彼らがそうしてこられたのも、同業の仲間たちからの助力あってこそだ。ストーンズはこれまでに一流のミュージシャンたちと、素晴らしいコラボレーションを果たしてきたのだ。 グループの仲間内だけを見ても、ボビー・キーズ、ビリー・プレストン、ニッキー・ホプキンスといったお馴染みの顔ぶれや、非凡なプロデューサーたちが長きに亘り際立った貢献をしてきた。また、チャック・リーヴェル、ブロンディ・チャップリン、バーナード・ファウラー、リサ・フィッシャーら、長年のツアー・メンバーたちの活躍も見過ごすことはできない。 しかしこの記事では、ライヴとスタジオのいずれかでストーンズの歴史に名を刻んできた10名のゲスト・ミュージシ
ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)が、18年ぶりとなる新作スタジオ・アルバム『Hackney Diamonds』の発売を記念して彼らの名曲を振り返る記事を連続して掲載。 <関連記事> ・ストーンズ、18年振りのスタジオアルバム『Hackney Diamonds』を10月に発売 ・ザ・ローリング・ストーンズが18年振りの新作発表会見で語ったこと 1960年代が終わり、1970年代が始まろうとするころ、ザ・ローリング・ストーンズは、かつての自分たちを作り替え、より強化したかたちで新たな時代を迎えた。 1969年7月には創設メンバーだったギタリストのブライアン・ジョーンズが亡くなり、同じ年の12月には「オルタモントの悲劇」と呼ばれる大事件が起こっていた。この2つの悲劇が、「スウィンギング・ロンドンのおしゃれなブルース・ボーイズ」という第1期ストーンズのイメージに終
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