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ネタに関するDomino-Rのブックマーク (2)

  • 3-1. 自由主義の下では、個人に「氏」の選択を認めるべきなのか。|選択的別姓制反対論

    自由の基原理は、「個人は、自己のものを、他者を害さない限り、それがたとえ人にとって不利益であっても、自己のみの意思によって処分できる」というものであるところ(注1)、そもそも、氏はもちろん、個人の名称さえ、「自己のもの」であるかどうかは自明でない。 むしろ、歴史的・沿革的には、氏(ないし「姓」「名字」など「氏」に類するもの)が慣習として成立して以降をみても、血族関係・姻族関係・職位・主従関係・拠地といったその個人の属性によって設定・変更されるものだったのであり、これらの属性と無関係に個人の意思をもって処分・選択できるという意味での「自己のもの」であったことはない。 選択的別姓制によって氏が「自己のもの」となると考えることは可能だが、自由の基原理は上記のとおりであるから、「自己のもの」を増加させることが自由なのではない。 現行同姓制の「氏」は、「その所属する核家族を指し示す名称」であ

    Domino-R
    Domino-R 2010/07/14
    氏の存在/役割は住所と同じく制度的なもの。だから私人が自由に扱うことはできないが、歴史だの文化ではなく法制度に根拠を持つ以上制度的な変更は常に可能で、民主制において民意は私的なものではない。
  • アニメ「とらドラ!」が疑似科学の片棒をかついでいた。許せない サイオンジ探偵社

    疑似科学やオカルト… なぜ、だまされるのか? 最近読んで、とても感銘を受けた記事。 この安斎育郎さんという方は、疑似科学やオカルトを安易に信じ込んでしまう人たちに対して、科学的な視点から啓蒙活動を行っているそうだ。 スプーン曲げが簡単に出来ることを目の前で見せて、これが誰でもできる力学の応用の一種であることを実証してみせるなど、具体的な手法を用いて、疑似科学、オカルトのたぐいを一掃しようとしているらしい。 安斎さんは語る。 「目の前で自分の理解を超えたことが起こったとき、超能力と思わずに、なぜ、こんなことが起きるのか、と考えてほしい」 すばらしい、と思った。 私もまったく同感だ。 そういえば、水に「ありがとう」と言葉をかけると綺麗な結晶ができる、などという世迷言が学校教育にとりいれられたとかで騒ぎになったことがあった。アホかと思う。 そもそも、この人はなぜ、水なんぞに「ありがとう」と声をか

    Domino-R
    Domino-R 2008/12/01
    この作者にとって、物理法則より道徳律が優越しており、またそれを良しとしている。これは「水伝」と同じ構図で、倫理/道徳によるエセ科学の正当化は最近のトンデモの顕著な傾向。
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