自分はそこに所属していたんだとようやく気づいた。 企業系Vtuberに対して感じる違和感は、マネタイズでもプロ意識でも自由度でもなかったんだ。 フルスタックでないという部分、そこが重要だったのだ。 可愛い絵、不気味な絵、どっかのパクり、ペイントで書きなぐったような何か、3DCGに性癖を詰め込んだキメラ、ソレを作り上げた人間が、ソレを被って、声を当てて、何かを語る。 その光景が(自分(自分たち)にとって)魅力的だったのだ。 アバターも声もトークの内容もすべてがある1人の人間の内側から生まれてきたこと、それが生み出す一体感が良かったんだ。 たとえば、マグロナちゃんの「可愛かろ~~」は、そのマグロナちゃんを作り上げたマグロナちゃんが、マグロナちゃんの声で、マグロナちゃんとして喋っている。 そこなんだ。 Vtuberの骨子全てが1人の人間のセンスや価値観やエゴや興味に依存している所が重要だったんだ