サッカーJ1川崎フロンターレのサポーターがアジア・チャンピオンズリーグの試合で旭日旗(きょくじつき)を掲げ、アジアサッカー連盟(AFC)から処分された問題をめぐり、菅義偉官房長官は8日の記者会見で、「旭日旗は自衛隊旗だけでなく、大漁旗や出産・節句の祝い旗などとして日本国内で広く使用されている」と述べた。旭日旗を掲げるのは差別的行為を禁じる規定などに違反するとのAFCの判断に対し、問題はないと異論を唱えた形だ。 川崎や日本サッカー協会なども、旭日旗は政治的、差別的なものではないと主張している。だが、韓国や中国では「日本の軍国主義、帝国主義の象徴」との認識が根強い。菅氏は川崎の処分については、「スポーツ団体の独立した決定なので、コメントは控えるべきだと思う。大会関係者の今後の対応を注視していきたい」と語った。
照ノ富士、変化で王手も大ブーイング! 2017年3月26日6時0分 スポーツ報知 照ノ富士(奥)がはたき込みで琴奨菊を下し、1敗を守った(カメラ・保井 秀則) ◆大相撲春場所14日目 ○照ノ富士(はたき込み)琴奨菊●(25日・エディオンアリーナ大阪) 大関・照ノ富士が関脇・琴奨菊をはたき込み、単独トップに立った。結びで横綱・稀勢の里が敗れたため2015年夏場所以来、11場所ぶり2度目の賜杯に王手をかけた。立ち合いで変化し、観客の激しいブーイングを浴びたが、古傷の左膝を痛めており、奇襲戦法で1敗を守った。千秋楽で稀勢の里との直接対決を制すれば優勝が決まる。6敗目の琴奨菊は、1場所での大関復帰がなくなった。 「琴バウアー」に沸く館内で、照ノ富士は眉間にしわを寄せていた。「(変化を決めたのは土俵に)上がってから。待ったの時に気持ちが…。一度決めたら迷ったらいかん」。立ち合いが一度不成立になって
東京オリンピック開催を間近にした、2019年。 「オリンピック」の歴史を題材に、宮藤官九郎オリジナル脚本で、 “痛快&壮大な大河ドラマ”を制作します。 日本のオリンピックは、たった2人の選手から始まった。 まだ“スポーツ”の言葉もない時代、1912年に初参加した「ストックホルム大会」で、 1人は“外国人恐怖症”、もう1人は“日射病で失神”し、大惨敗。 だが、そこから持ち前の根性で“スポーツ”を猛勉強。 1936年の「ベルリン大会」では、水泳の前畑をはじめ金メダルを量産。 一躍スポーツ大国に成長すると、オリンピックの自国開催を夢見る。 だが、時代は太平洋戦争へと突入、夢は幻と消えてしまう。 敗戦。蛙と芋で飢えをしのぎ、執念の競技再開。 遂には、1964年、「東京オリンピック」実現にこぎつける。 その間52年。戦争、復興、そして…平和への祈り。 オリンピックの歴史には、知られざる、日本人の“泣
(CNN) 米プロフットボールリーグ(NFL)のサンフランシスコ・フォーティナイナーズのクォーターバック(QB)、コリン・キャパニック選手(28)が試合前の国歌演奏で起立を拒否したことをめぐり、賛否両論が巻き起こっている。 キャパニック選手は26日に行われたプレシーズンマッチで、試合前の国歌演奏時に起立を拒否。拒否した理由として、黒人など人種的少数派を抑圧している国の国歌や国旗に敬意を払うことはできないとの考えを示した。 同選手はNFLメディアとのインタビューで、米国内で最近、黒人が警官に射殺される事件が相次いでいることを指摘。「私にとって、これはフットボールよりも大きな問題。見て見ぬふりをするのは自分勝手だと考えた。路上に遺体が横たわる一方で、有給休暇を取って殺人の罪を逃れている人たちがいる」と語った。 背番号7番のキャパニック選手が起立せずベンチに座る光景の画像は、ツイッターにも投稿さ
リオデジャネイロ五輪、陸上女子3000メートル障害の表彰式に臨むルース・ジェベト(2016年8月15日撮影)。(c)AFP/Johannes EISELE 【8月28日 AFP】陸上、ダイヤモンドリーグ(IAAF Diamond League 2016)第12戦のパリ大会は27日、女子3000メートル障害が行われ、ルース・ジェベト(Ruth Jebet、バーレーン)が8分52秒78の世界新記録樹立したが、近年陸上界では、ケニアから国籍を変更したジェベトのように、選手の国籍変更が問題となっている。 東アフリカ出身の多くの長距離選手が中東諸国に国籍を変更したり、モロッコやジャマイカ、ナイジェリア出身の選手も他の国のために走っている。 バーレーンへ国籍変更した理由について「動物衛生」を学ぶためだとジェベトは説明しているが、国際陸上連盟(IAAF)のセバスチャン・コー(Sebastian Coe)
9.オリンピック競技大会 1- オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での競技者間の競争であり、国家間の競争ではない。オリンピック競技大会は、このような目的のために個々のNOCによって指名され、IOCがその参加を認めた選手たちが一堂に会し、当該IFの技術的指導のもとに競技をおこなう大会である。 2- オリンピック競技大会に関するあらゆる問題についての最終的な決定をくだす権限はIOCにある。 3- オリンピック競技大会は、オリンピアード競技大会とオリンピック冬季競技大会で構成される。両大会は、下記条4の規定を条件として、それぞれ4年に1度開催するものとする。 4- 第1回のオリンピック冬季競技大会は1924年に開催された。この年からはじまって、開催順に回数がつけられているが、第17回オリンピック冬季競技大会は1994年に開催された。雪や氷のうえでおこなわれる競技は、冬季競技と見なす
琴奨菊が2006年初場所の栃東以来、日本出身力士として10年ぶりに優勝した。「日本人」でなく、「日本出身」と表記するのは理由がある。2012年夏場所で、旭天鵬(現在は引退して大島親方になっている)が優勝したからだ。 1992年にモンゴルから来日した大島親方は2005年に日本国籍を取得し、翌年に日本人女性と結婚。優勝した時は、日本人だった。 旭天鵬が優勝した日を境に、「栃東以来途絶えている日本人力士の優勝」の「日本人」の部分が、「日本出身」「日本生まれ」「和製」などに変わった。 琴奨菊が優勝した日、大島親方に聞いた。この言葉の言い回しについてどう思っているのか? 「ちょっと違和感はあるよね。俺が優勝する前は『外国人と日本人』だったのが『日本生まれ』『日本出身者』とかに言い方が変わった。俺は気にしてないけど、聞いたことがない言葉がどんどん出てきたね」 旭天鵬が優勝した直後、所属する友綱部屋に抗
大相撲初場所(東京・国技館)千秋楽の24日、大関の琴奨菊(31)=本名・菊次一弘、福岡県出身、佐渡ケ嶽部屋=が14勝1敗で初優勝を果たした。日本出身力士の優勝は、2006年初場所の大関栃東以来、ちょうど10年ぶりとなった。新入幕から66場所での優勝は、86場所だった旭天鵬に次ぐ歴代2位の記録。 初日から順調に白星を並べ、10日目に鶴竜、11日目に白鵬、12日目には日馬富士と3横綱を倒した。大関以下の力士による3日連続の横綱戦勝利は、1991年初場所で優勝した大関霧島以来、25年ぶり。2002年初場所の初土俵から14年をかけて念願の賜杯(しはい)を手にした。3月の春場所で、初の綱とりに挑む。 2敗で追っていた横綱白鵬は日馬富士に上手投げで敗れ、平幕の豊ノ島は栃煌山に突き出された。新関脇の嘉風は栃ノ心を寄り切って、勝ち越した。 琴奨菊に唯一、土をつけた豊ノ島が殊勲賞を、新入幕で2桁の10勝を挙
ラグビーのワールドカップ(W杯)で、優勝2度の南アフリカを破る歴史的勝利を挙げた日本代表は、選手31人のうち10人が外国出身だ。南ア戦では試合終了間際、ニュージーランド(NZ)出身のカーン・ヘスケス(30)が逆転トライを決めるなど、チームで重要な役割を果たしている。 ラグビーの国際統括機関「ワールドラグビー」は代表の資格について、①その国・地域で生まれた②両親または祖父母の一人がその国・地域で生まれた③36カ月以上、その国・地域に居住している――の3要件を定め、そのどれかを満たせばいい。 外国出身とは言え、彼らは生活から日本になじんでいる。10人中5人は日本国籍を取得。その一人、近鉄所属のトンプソンルーク(34)は南ア戦後、「もう、信じられへんわ」と関西弁で感激を表した。地元の大阪府東大阪市では行きつけの定食屋もあり、人気者だ。日本の高校や大学で学んだ選手の多くは日本語を話し、国歌斉唱のた
東京都は17日の定例議会で、5年後のオリンピック・パラリンピックに向けて中学生や高校生の部活動のスポーツ大会でも、国旗掲揚と国歌斉唱が行われるようにするなど指導の充実を図る方針を示しました。 この中で舛添知事は、アスリートの国歌斉唱などについての認識を問われ、「自国の国旗や国歌に敬意を払うのは、世界中どこを見ても当たり前で、日本を代表して、世界で戦う選手たちだからこそ、国旗や国歌を尊重するなど誇りある姿を、世界のひのき舞台で見せてほしい」と述べました。 続いて中井敬三教育長は「学校では、わが国と同様に、諸外国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てる」としたうえで、オリンピック・パラリンピックに向けて、中学生や高校生の部活動のスポーツ大会でも、国旗掲揚や国歌斉唱が行われるよう体育連盟などに働きかけ指導の充実を図る方針を示しました。 また中嶋正宏オリンピック・パラリンピック準備
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