「言葉とアニメーションと2人の監督」 藤津 ふじつ 亮太 りょう た アニメーションを見ていると、 そこで使われる言葉が気になる瞬間がある。 絵でもなく、 物語でもなく、言葉そのものが気になるのは、それ自体がアニメーションの絵と対をなし ている一種の記号だからだろう。 宮崎駿の監督作を見ている時にもしばしばそういう瞬間はある。宮崎はアニメーター出 身で、監督作の作画には自ら徹底的に手を入れることでもよく知られる典型的な「絵の人」 だ。だが宮崎は絵と同じか、それ以上のナイーブさで言葉を扱う「言葉の人」でもある。 あまりにも有名な『風の谷のナウシカ』のラスト間近の1シーンを見てみよう。暴走す る王蟲の大群をナウシカが身を挺して静止させた後、城ジジのゴルと大ババが感極まって こんな言葉を漏らすのに気づくはずだ。 「奇跡じゃ、奇跡じゃ!」 「なんといういたわりと友愛じゃ。王蟲が心を開いてお