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歴史と宇宙に関するamanoiwatoのブックマーク (3)

  • いま敢えて問います。天動説と地動説、どちらが正しいと思いますか?(松浦 壮)

    星から学んだ腑に落ちる感動 同じ趣味を持つ方、実は結構いると思うのですが、私は昔から星空を眺めるのが好きでした。少年時代など、安心感とも浮遊感とも違うなんとも不思議な感覚を楽しみながら、飽きもせず星空を眺めていたものです。 今の私が物理学者などという謎の立場にいるのもそんな趣味と無関係ではない気がします。 そんな少年時代のある日、例によって星空を眺めていた時のことです。ふと視点を移すと、さっきまで枝の先にあった星がいつの間にやら枝の影に隠れているのに気付きました。 星が動いたのです。 知識としては知っていたことですが、「これが星が動くということか~!」と非常に興奮したのを今でも憶えています。腑に落ちる感動を学んだ瞬間だったのかも知れません。 星たちの動きは面白いものです。太陽は24時間で空を1周しますが、星座を作る星の周期は24時間よりもほんの少しだけずれていて、そのずれは365日で元に戻

    いま敢えて問います。天動説と地動説、どちらが正しいと思いますか?(松浦 壮)
  • ソチと消された宇宙飛行士 | その他 | sorae.jp

    ロシアのソチで6日、第22回冬季オリンピックが開幕した。これから23日までの間、世界中のアスリートたちが熱い戦いを繰り広げる。 ところで、ソチといえば、宇宙開発史の中においても関係が深い場所である。 1961年4月12日に人類初の有人宇宙飛行に成功したユーリ・ガガーリンと、その同僚の宇宙飛行士たちの"6名"は、翌5月に休養のため、黒海に面したリゾート地であるソチを訪れた。 そのとき撮影されたのが上に掲載した写真である。しかし上と下の写真を比べると、後列の真ん中にいる人物が消されているのが分かる。 この消された宇宙飛行士の名前はグリゴーリィ・グリゴーリエヴィチ・ネリューボフという。彼は1934年3月31日にウクライナで生まれ、ソ連空軍のパイロットとなった。彼は優秀なパイロットで、1960年3月7日に、ユーリ・ガガーリンら20名と共に、宇宙飛行士の一人として選ばれ、さらに翌年、ヴォストーク宇宙

    ソチと消された宇宙飛行士 | その他 | sorae.jp
  • ソユーズ1号

    男の友情 1966年1月。ソ連の宇宙開発を主導していたコロリョフの死は、現場を大混乱に陥れた。彼の存在は、あまりにも大き過ぎた…ライバルであったグルシュコが彼の死をどう感じたかはわからないが、そう急に、彼の力で収拾できるものではなかった。 しばらくの混乱の後、第一設計局の長として、長年コロリョフと行動を共にしてきたバシーリ・ミーシン(Vasili Pavlovich Mishin)が任命された。彼はコロリョフがドイツに視察に赴いた際(開発史(4)参照)からの盟友で、コロリョフの主席補佐を務めてきた。技術者としての力も強く、R-7ロケットを作り上げたのは、実質彼だとまで言われる。 当時、ソ連の宇宙開発は行き詰まりを見せていた。1965年のウォスホート2号の飛行が危機一髪だらけであったことから、同型の宇宙船への信頼性が揺らぎ、その後の計画が疑問視されていた。ミーシンの初仕事は、それらを正式にキ

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