ジョージ・ハリスンのドキュメント映画『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』を観てきました。監督はマーティン・スコセッシ。彼が作ったボブ・ディランのドキュメント映画にも負けない3時間半。2部構成の長尺なもの。後述しますが、個人的には全然長く感じませんでした。(じっとしているのが苦手な自分はお尻が痛くなってきて、足を組んだりほどいたり、お尻をもちあげたりしましたが)。 ビートルズに関心を持つ人を前提に書きますが、やはりビートルズと言えばジョン・レノンとポール・マッカートニーのソングライテングが大きすぎ、その中では取り立てて目立つ存在としてビートルズ初期は描かれてはいません。しかし同時に大きいな、と思うのは彼が最初期のオリジナル・ビートルズに参加した当時は何と17歳で、そしてあのビートルズの偉大な下積み修行時代であるハンブルグ公演にも参加していることです。 第一部はビートルズ時代が中心と
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かつてピート・ベストの話を書きましたが。 今回はビートルズの中で、ある意味では 最も謎めいた、最も知られていない・・・ と言えるかもしれない人の話。 スチュアート・サトクリフ。享年21歳。 ニックネームは、スチュ。 彼はビートルズがデビューする直前に バンドを脱退してしまった若者であり、 将来有望な画家でもあり、 ジョン・レノンの大親友でした。 スチュは画家としての才能を評価され 16歳の若さで美術大学へ。 礼儀正しい社交的な友人に恵まれていましたが、 ある日飲み屋で、かなり異質な人間と知り合います。 男の名はジョン・レノン。当時のジョンは ギラギラしていて、危険な雰囲気を持った男だったそうです。 スチュアートは、今まで知り合った事が無いような 自己中だけど忠義に熱いジョンレノンに惹かれ、 ジョンは様々な芸術で才能を見せるスチュを尊敬しました。 スチュも音楽は好きでしたが、 ビートルズに入
なんかあんまり仲良くしたくない人が多い。 中にはそうでない人も沢山いるんだけどね。 自分の中でこういうビートルズファンとは相容れないないと思う人の条件ってのがありまして。 それはなにかというと ・未だにヨーコさんがビートルズの解散の原因だと思っている人 ・ジョンはロックの人でポールはバラードの人だと思っている人 ・ジョージのギターが未だに意味もなく下手だと思っている人 ・リンゴのドラムは下手だと思っている人 ・ジョージ、リンゴがどれだけビートルズに貢献したのかがよく判っていない人 ・ロンドン、リヴァプールのビートルズゆかりの地に落書きをしてくる人 ・ビートルズは何をやっても素晴らしいと思っている人(盲目的なファンね) まあ挙げたらきりがないんですが上記に挙げた中に当てはまる人がいたら正直言って あまり仲良くはなりたくないなあ。 と思うのです。 例えばジョンはヨーコさんと出会ってなくても遅か
【AFP=時事】生後間もなく死にゆく息子にビートルズ(Beatles)の楽曲「ブラックバード(Blackbird)」を歌いかける父親の姿を映した動画が、インターネット上に公開され、注目を集めている。母親は出産時に死亡したという。 「カンガルーケア」で生き返った赤ちゃん、豪 胸に迫る動画の中で歌うのは、クリス・ピッコ(Chris Picco)さん。11月8日、緊急帝王切開により妊娠24週の未熟児で生まれた息子のレノン君に歌を歌ってあげようと、ギターを手に米ロサンゼルス(Los Angeles)近郊にあるロマ・リンダ大学病院(Loma Linda University Hospital)の新生児病棟に向かった。 母親のアシュリーさんは同日死亡。レノン君は3日間生存し、11日に亡くなった。 保育器の傍らで歌うピッコさんを映した動画は、13日までに50万回以上再生され、その後も再生件数はどん
11月29日(木)、George Harrison死亡のニュースが音楽界を駆けめぐると、の彼の友人やミュージシャン仲間らがその死を悼んだ。HarrisonとBeatlesのおかげで成功したといってもいいグループ、Badfingerはそのサイトに「言葉では言い表せない……。あなたのことと、あなたが人生に与えてくれた影響はいつまでも忘れないだろう」とシンプルに表現し、悲しみのメッセージを載せた。 Badfingerは'68年、BeatlesのレーベルApple Recordsと契約し、Beatlesのメンバー全員と仲間になった。'70年、彼らはHarrisonの依頼によって『All Things Must Pass』のアルバムに参加。BadfingerのJoey Mollandはそのクラシックアルバムに参加した経緯を次のようにLAUNCHに語っている。 「Appleを頻繁に訪れて、そこでGeo
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