キリスト教徒の筆者が考える「私たちが生きる意味」 私が傲慢なだけかもしれませんが、少しでも関わった人が、私に無断で死ぬのは許せないんです。お前ら、何勝手に死んでんだよ。私に何かできたかもしれないだろ。カネは貸さないけど。いずれ神の御許に魂が送られるのならば、安心して、満足して、幸福に包まれていてほしいんですよ。 私たちが、生きる意味って、どれだけたくさん笑ったか、時間を楽しく送ったか、安心して、豊かな気持ちで暮らせたかでしょう。これを抜きにして、暮らしは語れない。そして、そういう人生を送れるよう努力をするのが人生の醍醐味なんじゃないのかなって、いろんな人生を見ていると最近すごく強く思います。 そして、本当にいろんなことがあるけれど、借りてくれていたシングルマザーは二人の息子さんたちとともに、同じアパートで暮らす例の離婚して破産した元経営者と再婚するんだそうです。いつの間にそんな絆を育んでい