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warとhistoryに関するaqulosのブックマーク (11)

  • このドキュメンタリー、すごい。第一次世界大戦のフィルムを、修復・着色して作られた映画 | ギズモード・ジャパン

    このドキュメンタリー、すごい。第一次世界大戦のフィルムを、修復・着色して作られた映画2018.12.04 17:0051,366 傭兵ペンギン リアルすぎるというか、これがリアルなんだよね。 第一次世界大戦を記録したフィルムを修復し、色と音声をつけたドキュメンタリー映画『They Shall Not Grow Old』の予告編が公開され話題となりました。監督は、『ロード・オブ・ザ・リング』などでおなじみのピーター・ジャクソンです。 Video: Warner Bros. Pictures/YouTube今まで白黒では見ることがあったものですが、色と音がつくとだいぶ印象が違いますね。色合いは、以前に僕がイギリスの博物館で見た感じそのまま。こんな具合に思っている以上に明るい色なんですよね。 英国所蔵の映像をデジタルで修復 BBCが公開した動画での説明によると、このドキュメンタリーはイギリスにあ

    このドキュメンタリー、すごい。第一次世界大戦のフィルムを、修復・着色して作られた映画 | ギズモード・ジャパン
    aqulos
    aqulos 2018/12/05
    日本でも観られたらよいなぁ。
  • モージャー氏撮影写真資料|日本占領関係資料(憲政資料室)|リサーチ・ナビ|国立国会図書館

    リサーチ・ナビはInternet Explorerでは動作しません。お手数ですが対応ブラウザ(Chrome, Edge, Firefox, Safari)で閲覧ください。 資料形態デジタル画像(国立国会図書館デジタルコレクション) 数量304アイテム 主な内容モージャー氏が、第二次世界大戦後、GHQの文民スタッフ(civilian secretarial staff)として1946年4月から1947年1月まで日に滞在した際、東京、名古屋、広島等の全国各地で撮影した街頭風景や建築物のカラー写真。 受入2008年、米国在住のモージャー(Robert V. Mosier)氏の親族からカラースライド(304枚)の寄贈を受けた。当館においてデジタル化作業を行い、2017年、デジタルコレクションで公開した(なお、デジタルコレクションでの公開にあわせ、紙の複製資料(憲政資料室収集文書1416)は利用不

    モージャー氏撮影写真資料|日本占領関係資料(憲政資料室)|リサーチ・ナビ|国立国会図書館
    aqulos
    aqulos 2017/11/18
    戦後すぐの日本を写したカラー写真。撮影時期は昭和21年4月から翌年1月にかけて。臨場感があります。
  • 命がけとは知らずに米軍の原水爆実験を記録し、歴史の闇に葬り去られたカメラマンたち

    1945年から1962年にかけて米軍が実施した原水爆実験を、極秘裏に映像や写真で記録していたカメラマンたちの部隊がいたそうです。 冷戦中に原水爆の開発に携わった科学者たちの多くが名声を得たのに対し、命がけでそれを記録したカメラマンたちは決して表舞台に出ることはなく、機密を保持したまま多くが亡くなっていったとのこと。半世紀を経て情報が公開されつつある中、その極秘撮影チームの数少ない生存者の一人George Yoshitake氏が当時を語っています。 詳細は以下から。Capturing the Atom Bomb on Film - Audio & Photos - NYTimes.com Secret Corps of Filmmakers Documented Nuclear Bomb Tests - NYTimes.com 原水爆実験を撮影したカメラマンたちのほか監督やプロデューサーなど

    命がけとは知らずに米軍の原水爆実験を記録し、歴史の闇に葬り去られたカメラマンたち
    aqulos
    aqulos 2010/09/29
    『爆発が始まった直後の原爆』の写真が、不気味です。
  • 「島唄」に沖縄音階が一部使われていない理由

    このまま永遠に夕凪を。 …THE BOOMの名曲「島唄」(宮沢和史 詞・曲)の旋律は、沖縄音階(ドミファソシド)で書かれています。しかし、曲の途中で、沖縄音階でない、日のヨナ抜き音階(ドレミソラド)が出現する箇所があります。 ウージの森で あなたと出会い (ドシラドミソミ ミレドレドラソラ) ウージの下で 千代にさよなら (ドレミミソラレ ミレドドレミレ) というところです。私は、突然ここで沖縄音階が姿を消すのはなぜなのか、ずっと疑問に思っていました。それが、最近読んだ新聞記事で氷解しました。 〈うたの旅人〉海を越えた魂 ザ・ブーム「島唄」 (asahi.com) 上に掲げた歌詞は、太平洋戦争末期、沖縄戦で起きた「ガマでの集団自死」を暗示しているというのですね。 「彼らを死に追いやったのは、当時の日の軍事教育。沖縄音階では歌えない」 という判断で、ここだけはわざと日風のメロディーにし

    「島唄」に沖縄音階が一部使われていない理由
    aqulos
    aqulos 2010/08/15
    メロディに秘められた、亡くなられた沖縄の人たちへの祈り。宮沢氏らの真摯な音楽活動に自らの姿勢を正されます。
  • ナチますか?ナチませんか? ヒトラーのカラー写真、初公開:アルファルファモザイク

    ■編集元:ニュース速報板より「ヒトラーのカラー写真、初公開」 1 プリムラ・ラウレンチアナ(catv?) :2009/06/08(月) 22:19:54.70 ID:IcCv+s8g ?PLT(12001) ポイント特典 私人としてのヒトラーが写されている写真が初公開されました。 カラー写真のコレクションはヒューゴ氏のもので、彼は1936年から1945年までヒトラー専属の写真家で終戦まで皮のスーツケースに隠し、一度ミュンヘンの自宅でアメリカ軍に見つかりましたが、兵士達はコニャックの方に興味があったそうです。 1938年の写真 1938年イギリス首相、ネヴィルチェンバレン(右からに番目)との写真 1938年 ミュンヘンでの写真 1938年 ミュンヘンにてミュンヘン一揆15周年を記念して 1939年 ベルリン国際モーターショー 1939年 ユリウス、シャウブ。ヒトラーの執事で

  • asahi.com(朝日新聞社):海を越えた魂 ザ・ブーム「島唄」 - ショッピング

    海を越えた魂 ザ・ブーム「島唄」沖縄 2009年6月19日 青く透明な海を背に、沖縄系アルゼンチン人の歌手大城クラウディアさんの歌う「島唄」と三線の音が響く=沖縄・宮古島 「島唄」はザ・ブームの宮沢和史さんが作詞作曲した曲です。 きっかけは、沖縄音楽にのめりこんでいた宮沢さんが91年に初めて訪れた「ひめゆり平和祈念資料館」で受けた衝撃でした。宮沢さんはその時初めて沖縄戦の悲劇を知り、それまでの自分の無知さに猛烈に腹が立ったといいます。資料館を出た後、とぼとぼと歩く先には、サトウキビ(沖縄の言葉で「ウージ」)が風に揺れていました。 東京へ帰ってすぐに書いた曲が「島唄」でした。でいごは5月ごろに咲く沖縄の県花、「ウージの森」とはサトウキビ畑のこと、「ウージの下」とは畑の下にあったガマのことです。「ウージの森で千代にさよなら」という歌詞は、ガマでの集団自死の悲劇を暗示します。旋律は沖縄音階を基調

    aqulos
    aqulos 2009/06/24
    宮沢和史『自らの意思とは違う死に方を選ばざるを得なかった多くの魂が、空へと舞い上がり、海を渡っていったのだろう』/via http://bit.ly/19wqVU
  • 2001年9月11日、ワールドトレードセンタービルの102分間 - A Successful Failure

    2001年9月11日、ワールドトレードセンタービルが崩壊した映像はテレビで繰り返し放送され、人々の記憶に深く刻まれている。この史上最悪のテロによりニューヨークでは2,749人が亡くなっている。 ビルが崩壊するシーンの強烈なインパクトのせいもあって、我々は飛行機の衝突後まもなくビルが崩壊し、中にいた人の大半が犠牲になったと考えがちだが、実際には最初の飛行機が衝突してから崩壊するまで102分間にわたる猶予があり、最初の衝突時にビル内にいた1万4,000人以上の人の多くが自力で、あるいは、献身的な他の人の助けを借りて建物の崩壊以前に避難を終えることができた。 『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』は200回以上に上る生存者やその家族・知人へのインタビュー、警察や消防の更新記録、電話の会話の記録等に基づいて、あのとき、あの建物の中で何が起きていたのかを明らかにし

  • 竹原慎二『原爆記念日』

    昭和20年8月6日8時15分二度と戦争がないよう世界が平和であるように黙祷じゃあの。

    竹原慎二『原爆記念日』
  • Amazon.co.jp: いわゆるA級戦犯―ゴー宣SPECIAL: 本: 小林 よしのり

    Amazon.co.jp: いわゆるA級戦犯―ゴー宣SPECIAL: 本: 小林 よしのり
  • 中島岳志『パール判事』

    中島岳志『パール判事』 まったく偶然であるが、新聞などの予告をみると、日(07年8月14日)放映されるNHKスペシャル「パール判事は何を問いかけたのか〜東京裁判 知られざる攻防〜」(午後10時・総合)は、中島の書『パール判事』の主張をほぼ番組化したものになりそうである(付記:今見た。すばらしい内容。この中島の中身の反映もさることながら、東京裁判が結論の決まった単なる茶番劇ではなく、判事同士の激しい確執のある、きわめて動的なプロセスであったことが浮き彫りになった番組だった。そして東京裁判の「成果」が平和憲法や国際司法の発展に寄与していることもわかるものになっている)。 ぼくは今、東京裁判について書かれたものをいくつか読んでいるが、東京裁判そのものが膨大な資料があるために、とても「そのもの」を読むところまでいかない。たとえば冨士信夫『私の見た東京裁判』(講談社学術文庫)にしても、裁判の全

  • http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071112-00000945-san-pol

    aqulos
    aqulos 2007/12/02
    『ロシアを征服するという意味を込めて「征露丸」と名づけられた』
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