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ブックマーク / www.countryteacher.tokyo (4)

  • 横道誠 著『あなたも狂信する』より。ラブシャワーって、知っていますか? - 田舎教師ときどき都会教師

    だからマインドコントロールを発生させる体とは、その団体の特異性だ。共同体を活用して団体の特異性に新しい信者を慣らそうとすることによって、マインドコントロールが機能する。そして、その際に暴力が用いられれば、それは洗脳ということになる。 私はそのように考えるようになった。そして、そのように考えると、じぶんが受けてきた学校や大学の教育現場でも、マインドコントロールがあったと感じられてならない。じぶんの在学期間を振りかえると、教えこまれた価値観の多くはもはや誤りだったことが明らかだし、「教育被害」と呼べるべきものがあったと感じる。 (横道誠『あなたも狂信する』田出版、2023) こんばんは。以前、藪下遊さん&髙坂康雅さんの『叱らないが子どもを苦しめる』を読んだときに、ニューロマイノリティー(=発達障害者=神経学的少数派)の子が増えている気がするのは、叱らないが子どもを苦しめた結果なのではないか

    横道誠 著『あなたも狂信する』より。ラブシャワーって、知っていますか? - 田舎教師ときどき都会教師
  • 岩尾俊兵 著『世界は経営でできている』より。これまで読んだ中で最高のエッセイ! - 田舎教師ときどき都会教師

    経営するのは企業だけだと思い込むのは無知と傲慢のなせる業だ。学校経営、病院経営、家庭経営・・・・・・はどこに消えたのか。むしろ世の中に経営が不足していることこそが問題なのである。現代の学校や病院や家庭が不合理の塊なのは誰もが知っていることではないか。 (岩尾俊兵『世界は経営でできている』講談社現代新書、2024) こんばんは。私の棚にある近内悠太さんの『世界は贈与でできている』には、著者のサインが入っていて、そこにはラテン語で「Credo quia absurdum」と書かれています。意味は、 不合理ゆえにわれ信ず。 世界は贈与でできている(2024.5.12) 夢うつつの状態がまだつづいているんだろうか、それとも現実なんだろうか。合理的に考えれば、あり得ない。でも、不合理ゆえに信じてみようかな。詳細は省きますが、最近、そんなふうに思うことがありました。 不合理ゆえにわれ信ず。 信じよう

    岩尾俊兵 著『世界は経営でできている』より。これまで読んだ中で最高のエッセイ! - 田舎教師ときどき都会教師
  • 藪下遊、髙坂康雅 著『「叱らない」が子どもを苦しめる』より。この本を課題図書にして、保護者と教員で読書会をしたい。 - 田舎教師ときどき都会教師

    「外の世界に合わせて自分を調整する」という体験は、子どもにとって非常に不快なものです。それまでは泣くなどの行為を通して、親に「環境を変えてもらった」という経験が中心でしたが、環境を変えるということが難しい状況や、子どもが環境に合わせなくてはならない状況が増えるのですから、その不快は自然な反応と言えます。 ここで強調しておきたいことが、こうした状況で生じる子どもの不快感を「関係性の中で納めていく」という関わりが必須であるということです。「思い通りにならない場面」で不適応を示している子どもの親と接していると、こうした子どもの不快感を「親の関わり方の失敗」と考えたり「不快にさせてはならない」と捉えたりしている人が非常に多いと感じます。 (藪下遊、髙坂康雅『「叱らない」が子どもを苦しめる』ちくまプリマー新書、2024) こんばんは。せっかくのゴールデンウィークなので、東京は新宿に足を運んで、以前か

    藪下遊、髙坂康雅 著『「叱らない」が子どもを苦しめる』より。この本を課題図書にして、保護者と教員で読書会をしたい。 - 田舎教師ときどき都会教師
    arakannkoala
    arakannkoala 2024/04/29
    かなり昔に子育てを卒業した者の目には、今の通知表、かなり変だと感じます。当事者は違和感がないのかな‥。その上、大人(親)も劣化しているような‥。この状況、子供も先生もみんなが不幸な気がします。
  • 児玉真美 著『安楽死が合法の国で起こっていること』より。大きな絵を描くと同時に、小さな物語を大切にすること。 - 田舎教師ときどき都会教師

    もう生きられないほど苦しいという人がいるなら死なせてあげたい、そういう人のために安楽死を合法化してあげようと考える人たちが善意であることは疑わない。けれどひとりひとりの善意が集まって世論を形成し、その世論の勢いに押されて(乗じて?)制度となった(された?)ものは、人々の善意とはまた別のダイナミズムによって動き始める。安楽死という選択肢をもった社会は、政治や経済やその他もろもろの思惑を孕んだ力学によって、当初の善意からも意図からもかけ離れたところへと動かされていくのだ。そのリアルなリスクを、書の「大きな絵」から感じてもらえればと思う。 (児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』ちくま新書、2023) こんばんは。第一次産業から第二次産業へと「大きな絵」が描きかえられたときに「身体障害」という言葉が人口に膾炙したという説と、第二次産業から第三次産業へと「大きな絵」が描きかえられている今

    児玉真美 著『安楽死が合法の国で起こっていること』より。大きな絵を描くと同時に、小さな物語を大切にすること。 - 田舎教師ときどき都会教師
    arakannkoala
    arakannkoala 2024/02/12
    医療が死イコール敗北みたいな考え方で、機械に繋いで息をしているだけの延命なら安楽死は合法だと思っていたのですが、合法化されると思わぬ方向に拡大解釈されてしまう危険もあることを改めて感じました。
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