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アートとメディアに関するarihoshinoのブックマーク (10)

  • アートという「避難所」が消えた世界は

    前々回に引き続き、「あいちトリエンナーレ」(以下「あいトリ」と略記します)の問題を取り上げる。 補助金交付(あるいは不交付)の是非については、前々回の当欄で比較的詳しく論じたので、今回は、別の話をする。 別の話というよりも、そのものズバリ、最も基的なとっかかりである「表現の自由」ないしは「アート」そのものについて書くつもりでいる。というのも、「あいトリ」問題は、各方面のメディアが取り上げた最初の瞬間から、ずっと、「表現の自由」それ自体を考えるべき事案であったにもかかわらず、なぜなのか、その最も大切な論点であるはずの「表現の自由」の議論をスルーして、「公金を投入することの是非」や「日韓の間でくすぶる歴史認識の問題」や「皇室への敬意」といった、より揮発性の高い話題にシフトする展開を繰り返してきたからだ。 ここのところを、まず、正常化しなければならない。 今回、私がつい2週間前に扱ったばかりの

    アートという「避難所」が消えた世界は
  • 情報科学芸術大学院大学紀要 第8巻・2016年 発刊 | 情報科学芸術大学院大学 [IAMAS]

    情報科学芸術大学院大学紀要第8巻について 2016年度の紀要は、IAMASの「現在」に着目し編集した。 特集では、赤松正行教授を中心に、教職員と学生が、横断的にサイクリング活動からメディア表現として展開しつつある「クリティカル・サイクリング」をとりあげている。 また2016年は、1996年の岐阜県立国際情報科学芸術アカデミーの設立から20周年となり、「あいちトリエンナーレ2016」(2016年10月10日、名古屋市美術館)、「文化庁メディア芸術祭20周年企画展 変える力」(2016年11月6日、3331)それぞれとの共催で、シンポジウムを実施した。誌に、ふたつのシンポジウムの抄録を収録している。 研究ノートと評論では、学の教員が現在取り組むメディア表現研究として、コンピュータ環境、地域メディア、協働創造、体験拡張、小規模兼業農家、ネットワーク環境、落語など、多岐にわたる問題提起が並ぶ。

    情報科学芸術大学院大学紀要 第8巻・2016年 発刊 | 情報科学芸術大学院大学 [IAMAS]
  • 人間性の脱構築と7つの仮想未来 | 落合陽一|PLANETS

    今朝より落合陽一さんの新連載『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』がスタートします。近代以降、人間を人間たらしめると信じられてきた「知性」さえも、私たちは今コンピュータに移譲しようとしている。機械によって自己言及的に規定され続けてきた人間性の歴史を辿った上で、最新テクノロジーから予測される未来社会の思想的課題を描写します。 ◎構成:長谷川リョー 落合陽一『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』 第1回 人間性の脱構築と7つの仮想未来 ネットワークという<巣>に棲みついた人間と機械の共進化関係 今回から新連載「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」が始まります。 「デジタルネイチャー」とは、僕の初の単著『魔法の世紀』の最終章で使われていた言葉です。僕が博士課程の頃、場によるコンピューティングの実現によってもたらされる、ユビキタスコンピューティングの次に来るであろう世界観を考えていたときに浮上した

    人間性の脱構築と7つの仮想未来 | 落合陽一|PLANETS
  • アートのウイルスが世界に感染するとき、 イノヴェイションが起こる──宇川直宏

  • 「感動と一体感、受け手側は警戒を」会田誠氏:朝日新聞デジタル

    メディアを威圧する発言が出席者から相次いだことで批判を招いた自民党議員の勉強会「文化芸術懇話会」。来は、文化人や芸術家を自陣営に引き込むための会だったという。文化・芸術と政治の関係のあり方について、共著『戦争画とニッポン』を先月刊行した現代美術家の会田誠氏に聞いた。 僕は、特定の政党に声をかけられたら、それはどこの政党でも断ります。自分のホームグラウンドは民間だというのは、わりとはっきり決めていることです。 でも、「国家プロジェクトの誘惑」というのは、僕にもある。過去になるほど、奈良の大仏やピラミッドなど歴史に残るものは、時の権力とタッグを組んでいる。それに対する憧れはあって、でも、それを抑えなきゃいけない。その誘惑との戦いが「戦争画RETURNS」や「MONUMENT FOR NOTHING」を作った時の僕のモチベーションだったりして、複雑に屈折した思いがあります。 庶民にわからない純

    「感動と一体感、受け手側は警戒を」会田誠氏:朝日新聞デジタル
  • 「好き」「嫌い」をこえた芸術鑑賞法があるとしたら - チェコ好きの日記

    下記の記事を読みましたー。 けいろー(id:ornith)さんの、「良い」「悪い」が分からないので「好き」「嫌い」で考えるという美術館の楽しみ方はまったく正しくて、というか正しいとか正しくないとかそもそもないので、反論というわけではなく、補足です。 なお、後半は元記事をはなれて話がとんでもなく飛躍しておりますので、ご注意ください(けいろーさんごめんなさい)。 「好き」「嫌い」のその先 美術、映画小説、その他諸々のさまざまな芸術作品を鑑賞するとき、けいろーさんがいうように、基的には「好き」とか「嫌い」とか「面白い」とか「つまんない」とか、そういった基準で考えてOKだと私も思います。知識があればもっと面白い発見ができるかもしれないけど、それは絶対ではありません。 でも、このブログでいつも美術やその他諸々の芸術作品のことをエラソーに取り扱っている私としては、これを読んでくれているみなさんには

    「好き」「嫌い」をこえた芸術鑑賞法があるとしたら - チェコ好きの日記
  • 中日新聞「あいちトリエンナーレ2013」記者座談会への五十嵐太郎芸術監督の連投・反論

    りお @urya_rio 中日のトリエンナーレ記者対談にはなんとなく釈然としない。けど、そんなものかなと思いながら読んでる。でも、記者の言う疑問や問題点にも解決法はあると思うし、読者さん方には読んだものをそのまま飲み込むのじゃなくてじっくり考えてもらいたいし、私も考えたい 2013-10-29 08:06:55 澤田尚正 @swd_s あいちトリエンナーレ2013を中日新聞記者達が2日に渡って大大々酷評を大きな記事で発表した。大炎上してもいいから俺は言いたい。この記事を書いてお前らが得るものはなんなのか。文化部の黒谷正人、宮川まどか、石屋法道、放送芸能部の長谷義隆、柳沢研二。 2013-10-29 08:14:33 taroigarashi @taroigarashi 伊東豊雄さんがせんだいメディアテークのコンペに勝った後、地元の新聞でこの案を酷評する記事が掲載された。その後、伊東さんは「

    中日新聞「あいちトリエンナーレ2013」記者座談会への五十嵐太郎芸術監督の連投・反論
  • “村上隆氏に抗議デモ”実際は…? ベルサイユ宮殿の作品展に行ってみた。

    フランス主要新聞の1つ、フィガロ紙の一面と文化面2面も飾った、現代美術家・村上隆の作品展「Murakami Versailles」。日仏の事前の報道やネットでは、「ベルサイユ宮殿での展示にその作風が合わない」と、「抗議デモが行われた」等々のやや扇情的、かつ批判的な評価が下されていたが、実際のところはどうなのかを確かめるべく、ナリナリドットコムのフランス特派員が現地を訪れてみた。 ◎館内の様子 いつものように世界各国からの旅行者が行列するチケット売り場では、今回の展示に関する小さなパンフレットを配布していたが、受け取る人はまばら。観光客は村上隆の展示が始まったということをほとんど知らないのかもしれない。 館内に入り、会場のスタッフに村上隆の作品に対する印象を聞いてみたところ、当然かもしれないが、皆一様に高い評価をしていた。また、館内では幾つかの報道陣がそれぞれインタビューを行っており、欧米系

    “村上隆氏に抗議デモ”実際は…? ベルサイユ宮殿の作品展に行ってみた。
  • http://www.yomugakachi.com/article/145867800.html

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    http://www.yomugakachi.com/article/145867800.html
  • エルキ・フータモ「カプセル化された動く身体──シミュレーターと完全な没入の探求」 解題

    堀 潤之 この論文は、Erkki Huhtamo, “Encapsulated Bodies in Motion: Simulators and the Quest for Total Immersion”, Simon Penny (ed.), Critical Issues in Electronic Media, State University of New York Press, 1995, pp.159-186を訳出したものである。メディア研究者・キュレーターのエルキ・フータモは、一九五八年にヘルシンキで生まれ、フィンランド南西部の トゥルク大学で文学修士号を取得後、ヘルシンキ、トゥルク、タンペレ、オウルなどの大学で講師を務めた後、九〇年代半ばからは北部のラップランド大学で主 にメディア論を講じていた。その期間に、フィンランド語でヴァーチャル・リアリティについての書物を著してい

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