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アートに関するbk2321866のブックマーク (4)

  • 中日新聞「あいちトリエンナーレ2013」記者座談会への五十嵐太郎芸術監督の連投・反論

    りお @urya_rio 中日のトリエンナーレ記者対談にはなんとなく釈然としない。けど、そんなものかなと思いながら読んでる。でも、記者の言う疑問や問題点にも解決法はあると思うし、読者さん方には読んだものをそのまま飲み込むのじゃなくてじっくり考えてもらいたいし、私も考えたい 2013-10-29 08:06:55 澤田尚正 @swd_s あいちトリエンナーレ2013を中日新聞記者達が2日に渡って大大々酷評を大きな記事で発表した。大炎上してもいいから俺は言いたい。この記事を書いてお前らが得るものはなんなのか。文化部の黒谷正人、宮川まどか、石屋法道、放送芸能部の長谷義隆、柳沢研二。 2013-10-29 08:14:33 taroigarashi @taroigarashi 伊東豊雄さんがせんだいメディアテークのコンペに勝った後、地元の新聞でこの案を酷評する記事が掲載された。その後、伊東さんは「

    中日新聞「あいちトリエンナーレ2013」記者座談会への五十嵐太郎芸術監督の連投・反論
  • 中島智氏【アートへの「期待」と研究者や施設のありかた】

    中島 智 @nakashima001 ある帰結が表明されるとき、そこにはその帰結を導きだした理由が内在している。例えば「アートは○○だ」、「ミュージアムは○○だ」と表明されるとき、そこには「なぜなら私がアート/ミュージアムに○○を期待しているから」という理由がまず表れる。その「期待」も、その「期待」の理由もさまざま。 2013-03-07 05:22:29 中島 智 @nakashima001 アートは一つではないのだから、アート研究者もアート施設も「択ばれた同時代性/風潮」に構わず、それぞれの生態学的偏務性を発揮したほうがよい。ある偏向は生態学的システム全体にとって有意であるという、そのシステム全体は「択ばれた同時代性」よりもはるかに包括的なものだから。 2013-03-07 05:23:29 中島 智 @nakashima001 運営に無理さえなければ、例えば静嘉堂文庫美術館のように一

    中島智氏【アートへの「期待」と研究者や施設のありかた】
  • 絵画的保守主義と結合の美学──「会田誠展:天才でごめんなさい」レビュー:フォーカス|美術館・アート情報 artscape

    おおよそ初期作品とは、その作家がのちに展開することになる方法論をあらかじめ開示するものである。会田誠の場合、実質的なデビュー作となった《巨大フジ隊員VSキングギドラ》(1993)がそれに相当するだろう。では、会田誠における「方法」とはなにか。 1991年に制作された《あぜ道》という作品がある。あぜ道と女子高生の頭部の髪の分け目が一につながり、画面を真ん中から分断する。あぜ道のモチーフになっているのは、東山魁夷の《道》(1950)であり、女子高生はのちに会田が執拗に描くことになる対象である。ここでデモンストレートされているのは、来出会うはずのない事象同士の、絵画的な結合の仕方だ。髪の分け目はあぜ道となり、近代日画と女子高生というかけ離れた対象を「結合」する。会田誠の絵画に一貫するのは、このような、けっして出会うはずのない複数の事象を、絵画的な空間表現を通じて接続するという主題系である。

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