「世代交代の時期にあったと思います。自国開催の五輪ということで、無理をして選手生命を延ばしたベテランもいた。全盛期を過ぎた彼らを凌ぐ中堅、若手も出てこなかったんです」 ――当時、リオ五輪後の身の振り方については、どう考えていたのでしょうか? 「柔道競技の全日程終了後、ブラジル五輪委員会の役員から『2020年東京五輪まで、ブラジル代表のコーチを続けてくれないか』と言われました。『少し考えさせてほしい』と伝え、夫と相談しました」 ――陽樹さんは、どう思ったのでしょうか。 陽樹さん「いいんじゃないの、と伝えました」 ――それまでの3年間に加え、さらに少なくとも4年間、家族でブラジルに滞在する決意を固めたわけですね。その時点で、裕子さんには日本へ戻る、あるいはブラジル以外の国でコーチをするという選択肢もあったと思いますが……。 「ブラジル人の大らかさ、そしてブラジルでの仕事の環境が気に入りました。