歴史に関するbrandnewpengのブックマーク (23)

  • 平城宮跡のうんち - なぶんけんブログ

    2019年11月 今から十年前の2009年1月に、平城宮東方官衙地区の一画で推定十万点とされる木簡が検出された大きなごみ穴が発掘されました。このごみ穴をすべて掘り上げた穴の底から、多量のウリの種を含む小さな穴が、数か所見つかりました。ウリの種の塊とともに、トイレットペーパーとして使われた籌木(ちゅうぎ)と呼ばれる細い木の棒も一緒にたくさん見つかったので、これはうんちを捨てた穴もしくはトイレ穴だろうとすぐに察しがつきました。うんちといっても黒色で粘質な泥の堆積物でもちろん形はありません。うんち来の匂いはなく、プラスティックが燃えたような無機的な香りが特徴です。 ひとつの穴で黒色の泥をすべて丁寧に取り除いて、穴の底を詳しく調べてみましたら、なんと直径3㎝くらいで長さ15㎝くらいのU字形の'もの'が横わたっているのが見えました。U字型の内側は、やや色の薄いチョコレート色の軟質なもので充填されて

  • 『有職装束大全』著者の八條忠基先生による「即位礼当日賢所大前の儀」「即位礼正殿の儀」に関するまとめ

    まとめ 「ヤベェを買ったぞ…」地元にひっそり置かれていたを紹介、バズる→出版社の電話が鳴り止まない!重版決定!→著者がお.. このスピード感、惚れ惚れするなあ! 668510 pv 6740 1284 users 8600 八條忠基 @EeoduLzbYVjTprk まもなく、「即位礼当日賢所大前の儀」が行われます。 この祭儀に際して天皇陛下は「帛御袍」という、純白の御束帯をお召しになります。これは嵯峨天皇が802年、天皇の重儀の装束の色を「黄櫨染」と定めたとき、神事には白、と合わせて決められましたことからの伝統です。 2019-10-22 08:24:17

    『有職装束大全』著者の八條忠基先生による「即位礼当日賢所大前の儀」「即位礼正殿の儀」に関するまとめ
  • 城の床板にこっそり、大工が書いた19世紀フランス農村の赤裸々な秘密 - BBCニュース

    フランス・アルペン地方の城で、床板の裏に大工が書き綴っていた秘密の日記が見つかった。19世紀後半のフランスで、村の住民がどのように暮らしていたかを知る貴重な資料だという。BBCパリ特派員のヒュー・スコフィールド記者が解説する。

    城の床板にこっそり、大工が書いた19世紀フランス農村の赤裸々な秘密 - BBCニュース
  • (時紀行:時の余話)追い続けた「鬼の子孫」は…:朝日新聞デジタル

    前鬼(ぜんき)。この変わった地名を知ったのは2004年だった。「紀伊山地の霊場と参詣(さんけい)道」が世界遺産に登録され、奈良総局の記者として取材していた。 資産は熊野古道など三重、奈良、和歌山3県の広大な範囲にわたる。奈良県は吉野山や大峯(おおみね)奥駈道(おくがけみち)などが含まれ、その中に前鬼を見つけた。 奈良市から100キロ以上離れた山里に、3時間かけて向かった。細い林道の先に現れた一軒宿に、「現代社会と断絶された別世界のよう」と感じた。 五鬼助(ごきじょ)義之さん…

    (時紀行:時の余話)追い続けた「鬼の子孫」は…:朝日新聞デジタル
  • MI6、秘密の巨額資金を保有 冷戦時代に - BBCニュース

    1940年代後半、軍人らしい姿勢で、きれいに整えた口ひげをたくわえ、薄くなった髪の上に山高帽をかぶった初老の男性が、ロンドンの官庁街ホワイトホールの22番地に向かって歩いていた。 ここには当時、銀行があった。目立たない、軍人だけが使う場所だった。現在この建物は内閣府の一部だが、当時の「ホルツ」という銀行名が、今でも扉の上の石に刻まれている。この男性は「キャプテン・シオ・スペンサー」という名前で通しており、自分の銀行口座の一つから預金を引き出していた。

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  • ウサギの穴をたどると……謎の洞窟 中世の騎士団かもっと最近か - BBCニュース

    英中部シュロップシャーの農場で、何の変哲もなさそうなウサギの穴をたどると……謎めいた地下洞窟がある。地元伝承では中世のテンプル騎士団の隠れ家と言われているが、より最近の18世紀か19世紀に造られたものだという指摘もある。 シュロップシャー・シフノル近くのケイントン洞窟は、地下1メートルに掘られたもの、構造上は作成当時の様子をとどめているとみられる。地元伝承では17世紀にテンプル騎士団の信者たちが作ったものとされてきた。

    ウサギの穴をたどると……謎の洞窟 中世の騎士団かもっと最近か - BBCニュース
  • ワールド・ヒストリカル・アトラス - HoneyComb

    ワールド・ヒストリカル・アトラスは、古代から現在までの国の移り変わりを表現した歴史地図です。 特徴紀元前4000年から現在まで、1年刻みで世界の国を表示。地図上に各国の指導者を表示。日語・英語中国語を切り替えることができます。ダウンロードindex.htmlをブラウザ(Firefox, Chrome, Safari等)で開いてください。

  • ブラジリアン・ワックスはどう始まった 発明した7人姉妹の物語 - BBCニュース

    ワックスを使った陰毛処理は、かなり一般的になってきた。ではそもそも「ブラジリアン・ワックス」は、いったいどう始まって流行するようになったのか。 ロンドンのオフィスのトイレで、若い女性が自分たちのお手入れ方法について話し合っている。ジェニファーさん(19)は毎月、陰毛をそっくりすべてワックスで脱毛している。「これまで経験したなかったほど痛いけど、今はなんだか慣れちゃった」と話す。

    ブラジリアン・ワックスはどう始まった 発明した7人姉妹の物語 - BBCニュース
  • 「キリストの墓」数世紀ぶりに開けられる

    エルサレムの聖墳墓教会内で、イエス・キリストの遺体が安置されたという石墓を囲んで建てられた聖堂「エディクラ」の修復作業が行われている。(PHOTOGRAPH BY ODED BALILTY, AP FOR NATIONAL GEOGRAPHIC) イスラエルのエルサレムで、キリストの墓と伝えられる石墓の覆いが数世紀ぶりに取り外された。この墓はエルサレム旧市街の聖墳墓教会内にあり、遅くとも西暦1555年から、おそらくそれよりも何世紀も前からずっと、大理石の板で覆われていた。(参考記事:漆喰の下に12世紀のモザイク画を発見、聖誕教会) 修復プロジェクトの協力者で、米ナショナル ジオグラフィック協会付き考古学者のフレデリック・ヒーバート氏は、「石墓を覆う大理石の板を取り除くと、下に充填材が詰めてあって、その量の多さに驚きました」と言う。「科学的分析にはかなりの時間がかかるでしょうが、ついに、キリ

    「キリストの墓」数世紀ぶりに開けられる
  • 万里の長城、当局の修復で真っ平らに「爆破した方がまし」との声も

    中国東北部遼寧省小河口の「修復」を終えた万里の長城の一部。IMAGINECHINA提供(2016年3月9日撮影、資料写真)。(c)Imaginechina/Wang wei 【9月23日 AFP】(写真追加)世界遺産(World Heritage)にも登録されている中国の史跡「万里の長城(Great Wall)」で、700年の歴史を誇る一画が修復作業の結果コンクリートで真っ平らに塗り固められてしまったことが判明し、中国のソーシャルメディア・ユーザーの間で激しい非難が渦巻いている。 問題となっているのは、中国東北部・遼寧(Liaoning)省の小河口(Xiaohekou)に8キロにわたり、大自然の中に手付かずのまま残った城壁が続く区画だ。明(Ming)王朝下で1381年に建設され、「万里の長城」の中でも最も美しい場所として知られている。 インターネットに最近投稿された写真を見ると、修復前には

    万里の長城、当局の修復で真っ平らに「爆破した方がまし」との声も
  • 64年東京五輪「日の丸カラー」の公式服装をデザインしたのは誰か - Yahoo!ニュース

    真紅のブレザーに白のスラックス。1964年の東京オリンピック開会式で日選手団が着用した「日の丸カラー」の公式服装(開会式用ユニフォーム)は、服飾デザイナーの石津謙介がデザインしたとされてきた。「石津デザイン」の記述は、現在もJOC(日オリンピック委員会)や公的機関のホームページに掲載されている。ところがその通説とは異なり、実際にデザインしたのは東京・神田で店を構えていた望月靖之という洋服商だという資料や証言が数多くある。望月とは誰か。なぜ石津デザイン説が広まったのか。(服飾史家 安城寿子/Yahoo!ニュース編集部) JOCのホームページには、東京オリンピックの公式服装に関する記事が掲載されている。そこには「公式服装を手がけた服飾アーティスト」として石津謙介の名前が明記されている。国立博物館・昭和館の2008年の企画展「オリンピック 栄光とその影に」の告知ホームページには、「日選手団

    64年東京五輪「日の丸カラー」の公式服装をデザインしたのは誰か - Yahoo!ニュース
  • 大日本帝國陸地測量部発行 五万分一地形圖

    大日本帝國陸地測量部発行 五万分一地形圖
  • 「独りじゃない」共同住宅コムナルカ、ソ連時代の遺物

    ロシア西部サンクトペテルブルクの共同住宅「コムナルカ」の一室で暮らす住人(2016年4月16日撮影)。(c)AFP/OLGA MALTSEVA 【5月10日 AFP】旧ソ連時代の遺物「コムナルカ」は、バスルームとキッチンを10人程度で一緒に使う共同住宅で、ロシア歴史都市サンクトペテルブルク(St. Petersburg)では今も一般的だ。 ソ連崩壊から25年以上たった現在、この過密住宅文化的価値のあるユニークなものとみなされ、観光スポットになったり学会で取り上げられたりしている。 かつてロシア帝国の首都だったサンクトペテルブルクでは、地元のアーティストグループによって「コムナルカ・フェスティバル」まで催されるようになった。フェスティバル運営委員会のスベトラーナ・ボロビヨワさんは「コムナルカはわが国、そしてわが街の歴史の一部」だと言う。「けれど、サンクトペテルブルクにはまだたくさん残って

    「独りじゃない」共同住宅コムナルカ、ソ連時代の遺物
  • カナダ人の少年、星座の並びをヒントに古代マヤ文明の都市を発見!! : SOCIETAS [ソキエタス]

    カナダ人の少年が衝撃的な偉業を成し遂げた。カナダ・ケベック在住の15歳の少年William Gadoury君は、「マヤ暦で2012年に世界の終りが予言されている」という逸話を知ったことをきっかけに南米の古代文明に興味を持ち、3年前からある仮説を立てて独自に「研究」を行っていた。その仮説とは、マヤ文明の古代都市が星座の並びを模して配置されているというものである。 Gadoury君は 「なぜマヤ文明の都市は川から離れた山奥の不便な場所に造られたのか?」 と疑問を持ち、上述の仮説を思いついた。この仮説を検証するためにGadoury君が使ったツールはなんとGoogle Maps。Gadoury君はマヤのGISをダウンロードして地図上にプロットし、その地図に南米から見ることのできる範囲の星図を重ね合わせてみた。 結果、驚くべきことが明らかになった。マヤ文明の117の都市が実際の星の並びと一致していた

    カナダ人の少年、星座の並びをヒントに古代マヤ文明の都市を発見!! : SOCIETAS [ソキエタス]
  • 不思議の国リヒテンシュタイン・前編

    オーストリアとスイスに挟まれたところに、リヒテンシュタインという小さな国があります。面積は瀬戸内の小豆島くらい。こんな国が独立して存在するのは、なんだか不自然じゃありませんか?そこでちょっと調べてみたところ、リヒテンシュタイン侯国の成り立ちには、面白いエピソードがあるとわかりました。 まず、城主のリヒテンシュタイン家ですが、実はオーストリアの貴族でした。しかも、今でもリヒテンシュタインの面積の何倍にもなる土地をオーストリアにもってますよ。 この一族の家名は、12世紀にハインリヒ・フォン・シュヴァルツェンベルクという人がウィーンの南に建てた「リヒテンシュタイン」という砦の名前に由来しています。リヒトは光とか明るいものという意味。シュタインは辞書を引くと石と書いてありますが、石の塊の山とか城を意味することもあります。つまり、同家の語源は「明るい城塞」ということになります。 その後、ドナウヴェル

  • ガリレオ・ニュートン・ファラデー・キュリー夫人など歴史的書物を集結させた「世界を変えた書物」展に行ってきました

    1300年間も信じられてきた「天動説」は、コペルニクスの「地動説」によって克服されて、人類の科学技術が大きく進歩したように、「世界を変えた」と評価できる歴史的書物は人類の英知そのものです。そんな歴史的な科学技術書をほとんど初版で一挙に100冊以上も展示・公開する「世界を変えた書物」展が大阪で初開催されたので、歴史の一ページの数々を目に焼き付けてきました。 [世界を変えた書物]展 人類の知性を辿る旅|金沢工業大学 http://www.kanazawa-it.ac.jp/shomotu/ グランフロント大阪の北館に到着。 地下1階のナレッジキャピタルイベントラボで「世界を変えた書物」展が開催されています。世界を変えた書物展は、金沢工業大学が所蔵する科学技術書の中でも世界を変える科学上の重大発見、新技術挑戦の歴史を刻んだ書物100冊以上が無料で一般公開されています。 入り口はこんな感じ。「

    ガリレオ・ニュートン・ファラデー・キュリー夫人など歴史的書物を集結させた「世界を変えた書物」展に行ってきました
  • エルミタージュ美術館の猫軍団 | ロシアNOW

  • 17世紀の衣装に身を包みヴェルサイユ宮殿に集う人たち

    ルイ14世没後300年を記念するイベントで、17世紀の衣装を着てヴェルサイユ宮殿で過ごす人たち(2015年6月1日撮影)。(c)AFP/ERIC FEFERBERG

    17世紀の衣装に身を包みヴェルサイユ宮殿に集う人たち
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • リチャード3世の遺骨を再埋葬、死後530年

    英イングランド中部レスターの大聖堂に埋葬されるリチャード3世の遺骨(2015年3月26日撮影)。(c)AFP/WILL JOHNSTON/LCQPB 【3月27日 AFP】駐車場の下という不名誉な埋葬場所から見つかったイングランド王リチャード3世(Richard III)の遺骨が26日、その死から530年を経てようやく丁重に埋葬された。 2012年にリチャード3世の遺骨が発見された場所から近いレスター大聖堂(Leicester Cathedral)で行われた埋葬の式典では、遺骨を納めた棺が地中にゆっくりと下ろされた。同大聖堂の前には弔意を示すために数千人が集まった。参列したエリザベス女王(Queen Elizabeth II)は、手書きのメッセージを送り、リチャード3世はようやく「安らかに眠れる」だろうと述べた。 また、今年の米アカデミー賞(Academy Awards)主演男優賞にノミネ

    リチャード3世の遺骨を再埋葬、死後530年