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大学と歴史に関するbxmcrのブックマーク (3)

  • 溶姫御殿のトイレから発見された高濃度の鉛の正体とは?|堀内秀樹 | 東京大学

    1983年に立ち上がった埋蔵文化財調査室で、約40年にわたって学内の発掘調査を担当してきました。江戸時代に加賀藩の江戸屋敷が置かれていた郷キャンパス。建物の改修や建設の度に学内各所で行われてきた発掘調査によって、その広壮な加賀藩邸の姿が明らかになってきました。 2013~14年に総合図書館前広場(アカデミックコモンズ地点)の工事に伴い行った発掘調査では、井戸、排水溝、便所の遺構が発掘されました。1827年に第11代将軍徳川家斉の二十一女・溶姫が、前田家13代斉泰に嫁いだ時に建てられた溶姫御殿の最奥部にあたる場所です。 御殿の正門である赤門から奥に広がる約5,200坪の広大な御殿でした。特に長局ながつぼねは、大奥と同じレイアウトで、その「三ノ側長局」、「三ノ側続長局」という女中が居住していたエリアから5基の便所が出土しました。土を掘り、その中に木桶を埋める構造でした。便槽は2基が対になって

    溶姫御殿のトイレから発見された高濃度の鉛の正体とは?|堀内秀樹 | 東京大学
  • 9.京都盆地と奈良盆地は湖だったのか? |関西高低差大学

    京都の古い資料を見ていると京都盆地はかつて湖だったといいう文言をよく目にします。奈良盆地に関しても、以前の関西高低差大学の講義終了後の質疑応答で、「奈良盆地には、万葉集が詠まれた時代に湖があったのですか?」という質問があり、「湖と呼べる規模のものがあったかは懐疑的だが、今度調べてみますね」とお答えし、私・新之介の宿題になっていました。地形のなりたちを遡っていくと京都や奈良にも海水が侵入した時期がありましたが、それらは何十万年も前の話で、インターネット上にはその痕跡として湖が残っていたというような記事が存在しているようです。今回は、学校では教えてくれなかった京都盆地や奈良盆地の湖のお話です。 まずは大阪層群の変遷のはなし大阪平野や京都盆地、奈良盆地などの地下には、「大阪層群」と呼ばれる地層が存在しています。礫・砂・粘土を主とする厚い地層で、その中に「海成粘土層」と呼ばれる地層が複数存在し、そ

    9.京都盆地と奈良盆地は湖だったのか? |関西高低差大学
  • 吉田寮を大掃除!京大、日本最古の学生自治寮で見つけたモノと文化 | SPOT

    【最古の学生自治寮】 ※日の企画は株式会社メルカリの提供でお送りします こんにちは。ヨッピーです。 突然ですがこちらの画像群をご覧ください。 はい。 「なにこれ?どこの廃墟?」っ思う人がいらっしゃるかもしれませんが、ここは廃墟ではありません。バリバリ現役の学生寮、京都大学の吉田寮です。 京都大学の吉田寮は築105年の歴史を持つ、日最古の学生自治寮。 自治寮とはつまり学生の自治によって運営されている寮で、大学当局と寮自治会の間で話し合いをしながら、学生の手によって管理・運営がなされております。入寮選考なんかも全て学生によって行われているらしい。 中庭なんてほぼジャングル! 「これ、いつの時代だよ」っていう張り紙も残る。 そんな吉田寮ですが、現在でも100名ほどの学生が暮らしており、留学生も含めて日各地、世界各国から集まった学生たちが共同生活を送っております。 寮費は水道光熱費込みで月あ

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