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ブックマーク / japan.hani.co.kr (5)

  • [独自]韓国ソウル付近の百済遺跡で1600年前の日本人居住痕跡を発見

    1500年余り前に日からソウルに移ってきた技術者をはじめ、倭の移住民が工房などの生産活動に従事していた事実が明らかになった。最近、彼らが暮らしながら墓に使う葬儀用品として使ったと推定される日特産の土器が相次いで確認されたためだ。 大韓文化財研究院は6日、今日のソウルである漢城に百済王朝が都を置いた漢城百済時代(西暦18年~西暦475年)の官営土器窯関連遺跡(京畿道城南市福井洞(ソンナムシ・ポクジョンドン))から、古代日の権力層の大型墓を飾った土器装飾遺物の「埴輪(はにわ)」を初めて発見したと明らかにした。大韓文化財研究院は地中の文化遺産を発掘・調査する機関だ。 埴輪は5世紀前半の古代日の典型的な装飾型土器で、主に円筒形のものと動植物形の象形造形物、家などの住宅造形物などに分けられる。今回発掘されたのは円筒形で外壁に穴を開けた5世紀の造形物だ。 城南市福井洞の百済土器窯関連遺跡の廃棄

    [独自]韓国ソウル付近の百済遺跡で1600年前の日本人居住痕跡を発見
  • [寄稿]極右はなぜ安保に無能なのか

    情報の失敗は情報の収集ではなく、主に情報の分析過程で発生する。最も重大なのは偏見だ。偏見は他の可能性を排除し、自分の主張に有利な情報ばかりを積み上げるため、結局は確証バイアスがかかってしまう。(…)技術情報力がいくら上がっても、AI技術を導入したとしても、偏見を排除しなければ何の役にも立たない。分析の失敗はいつも機械ではなく人がおかすのだ。 キム・ヨンチョル|元統一部長官・仁済大学教授 10月7日(現地時間)、パレスチナのイスラム武装組織ハマスによるものとみられるミサイルが、ガザ地区からイスラエルへと打ち込まれている=ガザ/EPA・聯合ニュース なぜイスラエルはハマスの奇襲攻撃を察知できなかったのだろうか。典型的な情報の失敗だ。情報機関は可能性を警告し、直前には動きをとらえていたし、周辺国からは関係する情報が伝えられていたが、ネタニヤフ政権はなす術もなくやられた。イスラエルの情報の失敗から

    [寄稿]極右はなぜ安保に無能なのか
  • 「明成皇后殺害、存外容易にして…」126年前の「日本の外交官の手紙」発見

    公使館領事官補だった堀口九万一の126年前の8通の手紙 日系米国人が名古屋の古物市場で入手 「自分たちが王妃を殺害した…進入は私の担当任務」 日の外交官が、明成皇后(閔妃)殺害事件に自分が加担したと知人に打ち明けた126年前の手紙が発見された。明成皇后の死に日の現職の外交官が直接加担していたことを示す貴重な資料だ。 朝鮮公使館の領事官補だった堀口九万一(1865~1945)は、明成皇后殺害翌日の1895年10月9日に新潟県の友人に送った手紙に「自分たちが王妃を殺害した」とし、明成皇后殺害事件の経緯を詳しく記していた。日の朝日新聞が16日付で報じた。堀口はこの手紙で「進入は予の担当たり。塀を越え(中略)、漸く奥御殿に達し、王妃を弑し申候」と記している。彼は「存外容易にして、却ってあっけに取られ候」と感想も記している。彼は、日の外交官、警察、民間人などからなる明成皇后殺害の実行グループ

    「明成皇后殺害、存外容易にして…」126年前の「日本の外交官の手紙」発見
  • [寄稿]被害者を代弁するということーあの多くの「ハルモニたち」はどこへ

    女性人権運動家のイ・ヨンスさんが、長い間自分が耐えてきた苦痛をあらわにして市民社会と政府に投げかけたメッセージは、全ての人々の心を重くさせた。イさんの訴えをきっかけにハンギョレは、私たちが何を省察し、残された問題をどのように解決すれば被害者の苦痛と傷が当に癒されるのかを模索するリレー寄稿を掲載する。日軍「慰安婦」被害者の証言の調査研究を進め、現在日軍「慰安婦」研究会の会長を務めているヤン・ヒョナ・ソウル大学法学専門大学院教授が最初の文を寄せた。 5月7日に続き、5月25日、「慰安婦」被害生存者であり人権運動家であるイ・ヨンスさんの記者会見があった。最初の記者会見で「もう水曜デモはいらない。ユン・ミヒャンは国会に行ってはならない」などの激しい言葉が飛び出した。25日の記者会見では「30年の挺対協の運動が被害者たちを利用した。私たちの証言を聞いたこともない」など、いろいろな言葉を述べられ

    [寄稿]被害者を代弁するということーあの多くの「ハルモニたち」はどこへ
  • "羅州(ナジュ)の土地は白く人間の脂で固まっていた"

    1995年日北海道大文学部研究室で新聞紙に包まれた状態で発見された6体の遺骨の中には‘韓国東学党首魁の首(しるし)という’という日語が書かれた遺骨(前列左端)が含まれていた。 札幌農学校出身の佐藤政次郎が東学革命当時に‘収集’したこの遺骨発見を契機に韓国・日学者の東学農民革命共同研究が始まり、<東学農民戦争と日>もその成果の一つだ。 韓国放送画面キャプチャー ‘焼き殺せ’ ‘全員銃殺’等 日軍の東学虐殺が詳細にあらわれ 当時の韓国人による抗日闘争を否認する 日政府の主張を覆す画期的資料 "3万人虐殺…日 最初の大量虐殺" "そこ(羅州(ナジュ))に到着した。 南門の外側に小さい山があり、そこに死骸が積み上げられ当に山となっていた。…彼ら民兵または、我が部隊兵士に捕まった者は、尋問した後に重罪人は殺した。 毎日12人以上、103人に及んだが、そちらに捨てた死骸は680人に達

    "羅州(ナジュ)の土地は白く人間の脂で固まっていた"
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