タグ

中世に関するcustardtarteのブックマーク (7)

  • 「なぜいま、「幕府」を問うのか?」 〔後編〕 東島 誠|本がひらく

    前回に引き続いて歴史書ブームを分析しながら、過去に3度、20年ごとに中世史がブームになってきたことの意味を考えます。 ※記事は、NHK出版より刊行予定のNHKブックス、東島誠『「幕府」とは何か』から、「はじめに」と序章「いま、なぜ中世史ブームなのか、そして、なぜあえて幕府論なのか?」を先出しでお届けするものです。 室町幕府ブーム? 大政奉還百五十周年、明治維新百五十周年の記念行事の一方で、いまふたたび中世史ブームだという。それも、よりによって室町幕府が熱い。呉座勇一『応仁の乱』を機として、いわゆる室町が飛ぶように売れているとのことだが、ただ、なぜこれだけのブームを呼んでいるのかについて、説得力のある説明を目にすることは、いまだない。呉座自ら譬えるように、応仁の乱と第一次世界大戦に類似点がもし当にあるのだとしても、大戦の引き金となるサラエヴォ事件から百年に一つ余る年に安保関連法を通過さ

    「なぜいま、「幕府」を問うのか?」 〔後編〕 東島 誠|本がひらく
  • 8万人の命を奪ったドラキュラ伯爵のモデル「串刺し公」ヴラド3世の生涯

    生前に描かれたヴラド3世(1431~1476年)の肖像画の模写。現在は、オーストリア、インスブルックにあるアンブラス城に展示されている。(ERICH LESSING/ALBUM) ブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」のモデルの一人と言われるヴラド3世は、現在のルーマニア南部にかつて存在したワラキア公国の君主だった。ワラキア公国は1859年にモルダビア公国と統合し、ルーマニア王国として生まれ変わる。ヴラド3世は、1448~1476年の間に断続的にワラキア公国を統治し、ヴラド・ドラキュラ(ドラゴンの息子という意味)とも呼ばれていた。しかし、敵を拷問するなど暴虐の限りを尽くしたことから、ルーマニア語で「ヴラド・ツェペシュ」、すなわち「串刺し公ヴラド」という呼び名で最もよく知られるようになった。一部では、その生涯の間に8万人以上の命を奪ったともいわれている。犠牲者の多くは、串刺しにされて殺された

    8万人の命を奪ったドラキュラ伯爵のモデル「串刺し公」ヴラド3世の生涯
  • アプロ on Twitter: ">鎌倉武士は「重装弓騎兵」という世界に類を見ない変態装備。 ちょっと誤解があるというか、重装弓騎兵自体はビザンツとかモンゴルとかトルコとかに普通にいました。 彼らは当然、白兵戦もバリバリやります。 2m級の長弓でクソゴツい矢を… https://t.co/Ghl78wLraM"

    >鎌倉武士は「重装弓騎兵」という世界に類を見ない変態装備。 ちょっと誤解があるというか、重装弓騎兵自体はビザンツとかモンゴルとかトルコとかに普通にいました。 彼らは当然、白兵戦もバリバリやります。 2m級の長弓でクソゴツい矢を… https://t.co/Ghl78wLraM

    アプロ on Twitter: ">鎌倉武士は「重装弓騎兵」という世界に類を見ない変態装備。 ちょっと誤解があるというか、重装弓騎兵自体はビザンツとかモンゴルとかトルコとかに普通にいました。 彼らは当然、白兵戦もバリバリやります。 2m級の長弓でクソゴツい矢を… https://t.co/Ghl78wLraM"
  • ここがヘンだよ農業チート - 「中世ヨーロッパでは播いた量の3倍しか収穫がなかった」

    はじめに言っておきますが、「中世ヨーロッパの収穫率(播種量→収穫量の倍率)が3倍程度だった」というのは資料上確かな事実であり、これ自体を否定する気は一切ありません。 しかしながらここから「ヨーロッパの農民は常に少ない収穫に苦しんでいた」だとか、「30倍にもなる稲は麦より優れた作物だ」なんて話に進んでいくのを見ると、それはちょっとおかしいぞと思います。 今回はそうした状況を生じる要因について見ていきながら、この数字のトリックを暴いていきたいと思います。 ■灌漑に関する話 農業の大きな区分として「天水農業」と「灌漑農業」があります。 これらは作物に対する水の供給方法の違いであり、前者は基的に降雨からのみ、後者は河川等から人為的に引き込む方法をとります。 日がどちらかといえば完全に後者が多く、代表的なのは言うまでもなく水田稲作でしょう。 また学校教育の世界史なんかでも、文明成立=灌漑農業とし

    ここがヘンだよ農業チート - 「中世ヨーロッパでは播いた量の3倍しか収穫がなかった」
    custardtarte
    custardtarte 2021/04/05
    古代メソポタミアの土地の肥沃というのは人類史上でもまれなものだったのだな
  • 【異世界】一般人が中世ヨーロッパに転生したらどうやって生き延びる? 詳しい人に聞きました | オモコロ

    異世界転生ファンタジーにありがちな「中世ヨーロッパ風」の世界。チートで最強になって無双できるのはフィクションのお約束ですが、実際の中世は、こんなにも過酷でした。そもそも「中世」じゃなくて「近世」のほうが近かったって当? こんにちは。ダ・ヴィンチ・恐山と申します。剣(つるぎ)を持っています。 それにしてもアレ、最近すごい流行ってますよね… アレですよ、アレ。 「最近流行ってますよね」って言われだしてからもう何年も流行り続けてますよね……? 『転生賢者の異世界ライフ ~第二の職業を得て、世界最強になりました~』(原作:進行諸島/ 漫画:彭傑(Friendly Land)/キャラクター原案:風花風花) 異世界ファンタジーもの!! 屋さんに行けば「異世界」という独立の棚ができているほど。異世界ファンタジーはここ数年でジャンルとして確立しました。 異世界ファンタジーものとは…… おもに2010年

    【異世界】一般人が中世ヨーロッパに転生したらどうやって生き延びる? 詳しい人に聞きました | オモコロ
  • ドキッ! 死体だらけの平安京! ポロリもあるよ! ―命の重さの日本史― - バッタもん日記

    はじめに 私はノーテンキな進歩主義者です。人類は少しずつ、一進一退を繰り返しながらも精神面で進歩し続けていると固く信じています。その根拠の一つは、街中で歩きたばこや立小便や痰吐きなどの下品な行為を見かけることが減った、というような日常の些細な感覚です。そして最大の根拠は、「命が大事にされるようになったこと」です。具体的に数値で見ると、日における殺人事件は減り続けています。 参考:平成12年版 警察白書 平成29年版 犯罪白書 日人は長い年月を経て、命を大事にするようになりました。言い換えれば、昔の日人は命を大事にしない蛮族であったということです。平然と殺し合いをしていました。歴史家の言葉を引用します。 光源氏が王朝時代の貴公子の理想像であることについて、これまでのところ、その優れた容姿や豊かな才能などが取り沙汰されるのが普通であった。だが、実のところは、理不尽な暴力事件を起こさないと

    ドキッ! 死体だらけの平安京! ポロリもあるよ! ―命の重さの日本史― - バッタもん日記
  • 鎌倉幕府はいつ開かれたのか - 我が九条

    昨日、結石の発作で医者に行ったが、そこの医者の待合室には「サピオ」「週刊文春」「週刊新潮」が置いてあって、かなり繁盛していたので「文春」「新潮」「サライ」と読んでもまだお呼びがかからないので「サピオ」を手に取った。折しも小林よしのり氏が「天皇論」を書いていて、そこに書かれたことに一々反応するほどこちらも天皇論に関してまともな知見があるわけではない(偏向しまくった論もどきならいくらでもあるが、不特定多数の目に触れる場所に公にするべきではない内容)。ただ一つ目についたのは小林氏の「陰謀論」全開の認識、というよりも小林氏がいかに歴史を知らないか、ということを知った。 小林氏は教科書で鎌倉幕府が開かれたのが1192年から1185年に変更されていることを天皇の影響力を小さいと考えたい左翼の陰謀、という趣旨で批判していた。1185年に守護・地頭が設置されて西国にまで頼朝の力が及んだことを以て幕府開設、

    鎌倉幕府はいつ開かれたのか - 我が九条
  • 1