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FFに関するdice-qのブックマーク (6)

  • FF5ピクセルリマスターで赤魔道士が完全覚醒した

    FF5をSFC時代から長年遊んでいた人なら異論はないであろう、最弱ジョブ候補の一つ。 それが赤魔道士である。 しかし結論から言うと、 FF5ピクセルリマスターにおいて赤魔道士は完全に覚醒、有能ジョブ入りしている。なぜならピクセルリマスターでアビリティ『踊る』、とりわけ『剣の舞』が大幅強化されたからだ。 そもそもなぜ赤魔道士は弱ジョブだったのかピクリマ以前における赤魔道士が弱かった理由は以下の通り。 剣が装備出来るが盾含めた重装備が出来ない、おまけに体力も低い盾も鎧も装備出来る魔法剣士等と違い、赤魔道士は他の魔道士系と同様の軽装備しか出来ない。 体力に至っては踊り子、吟遊詩人に次いで三番目の低さ。 なんと黒魔道士や時魔道士より低いのである。 これでは前列で運用しようものならすぐ寝転がされるのがオチだ。 防御面の弱さから絶対に後列に置く必要がある。 中途半端なステータス魔道士系よりは力が高いが

    FF5ピクセルリマスターで赤魔道士が完全覚醒した
  • そろそろ語ろうか(其の壱)|和田洋一

    2016年2月末、スクウェア・エニックスを離脱して数か月になり、これまで伝えられなかった事もお話しできる立場になりました。 証券時代16年、ゲーム時代16年と、気がつけば中々の古参。 改めて見渡すと、アーケードゲーム、家庭用ゲームPC、スマホゲームと全ての時代を経験し、かつグローバル展開を行っていた方がほとんどいらっしゃらない事に気づきました。 またこの間、経営者として、業界リーダーとして、数々の貴重な局面に立ち会っています。 事実を忘れてしまったり、自分の都合のいいように記憶を塗り替える前に、皆さんにお話しする意味があると思いました。 経営者は、その足跡について1ミリ単位で説明できなければならないというのが、私の持論です。 無論、その時々の事実認識には個体差はあるでしょう。また、戦略実行にあたっては、様々な方が関わりますから、各人の視点によって、同じ事実でも見え方は異なるでしょう。さら

    そろそろ語ろうか(其の壱)|和田洋一
  • 全ファイナルファンタジー大投票|NHK

    BSプレミアム恒例の投票企画、今回は初の「ゲーム」を取り上げます。 日を代表するRPGゲームシリーズ「ファイナルファンタジー」は、1987年の第1作リリース以降、最先端の技術を駆使したゲームシステムと迫力あるグラフィック、そして魅力的な物語によって、国内はもちろん世界のゲームに大きな影響を与えてきました。 全世界での累計販売数1.49億以上、タイトル数の多さでギネス世界記録にも認定されています。 そのシリーズ作品57、キャラクター約3300、ボス&召喚獣4400、音楽2900曲とこれまでで最大規模のデータベースの中から視聴者のみなさんにお気に入りを選んでいただく投票を行います。 結果は2020年2月に生放送で発表! どうぞお楽しみに!

    全ファイナルファンタジー大投票|NHK
    dice-q
    dice-q 2019/12/20
    FF7Rの発売日が3/3ですね。まあ一位は操作してもしなくてもFF7で納得なんだけど、個人的にはFFTに投票したい。
  • FFの『勝利のファンファーレ』タイトルごとに違いを分類した人現る→なぜか反応が一色に

    リンク ニコニコ大百科 勝利のファンファーレとは (ショウリノファンファーレとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 ♪パパラパーパーラーパッパパー 勝利のファンファーレとは、ファイナルファンタジーシリーズで使用される楽曲の一つである。植松伸夫作曲。 概要 戦闘勝利後に流れる定番のBGM。シリーズごとに...

    FFの『勝利のファンファーレ』タイトルごとに違いを分類した人現る→なぜか反応が一色に
  • 「なんでゲームは面白い?」第二回:FFとドラクエが並び立つ時――“FFV以前・以降”でRPGはどう変わったか?

    「なんでゲームは面白い?」第二回:FFとドラクエが並び立つ時――“FFV以前・以降”でRPGはどう変わったか? ブロガー・hamatsuさんの連載コラム「なんでゲームは面白い?」。第二回は、伝説の漫画編集者・マシリトこと鳥嶋和彦氏がゲーム業界へ与えた影響に迫った「ゲームの企画書」特別編について。 今や国民的RPGの二大巨頭として知られる『ファイナルファンタジー』と『ドラゴンクエスト』。それぞれのタイトルが辿ってきた軌跡を、当時の空気感たっぷりに語って頂きます。 『ファイナルファンタジー(以下FF)』が『ドラゴンクエスト(以下ドラクエ)』と並び立つ存在になったのはいつからだろう? 人によって意見は分かれるだろうが、任天堂系ハードからソニーの初代プレイステーションに電撃移籍し、大々的なプロモーションを経て発売に至った『FFVII』がリリースされたタイミングを挙げる人は多いのではないかと思う。こ

    「なんでゲームは面白い?」第二回:FFとドラクエが並び立つ時――“FFV以前・以降”でRPGはどう変わったか?
  • ファミコン版FFⅡのアルテマはなぜ弱かったのか?::Colorful Pieces of Game

    Twitterでメモ書きした話をもう少しちゃんと残しておこうと思った。 ただの記憶でしかなく、細かいところに間違いがある可能性は十分にあるが、大枠は間違っていないはず。 25年前(1989年の初頭だったはず)、僕は自分のデビュー作、さいきょーRPG『凄ノ王伝説』の宣伝で、マル勝ファミコンの座談会に出してもらえることになった。この座談会は1988年冬~1989年初頭のゲーム業界で、言うまでもなく1988年2月に出た『ドラゴンクエストⅢ』で空前のRPGブームが来ていた、まさにRPGの全盛時代といっていいタイミングで行われていた。 僕自身はというとPCエンジン版の『イースⅠ・Ⅱ』の制作に入る前で、さくまセンセイのところでどんちゃんに叩きのめされる前だったと思う。 自分のゲームに対する考え方とアプローチは『イースⅠ・Ⅱ』の制作に入るまでの2ヶ月ほどで激変するのだけど、こんときはまだゲームを作るプロ

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