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『古田織部~織部狩りの理由(わけ)①』
ぐい呑み考 by 篤丸茶道の世界では、茶碗が茶会全体を象徴するマイクロコスモスとされます。だとすれ... ぐい呑み考 by 篤丸茶道の世界では、茶碗が茶会全体を象徴するマイクロコスモスとされます。だとすれば、ぐい呑みはナノコスモス。このような視線に耐える酒器と作家を紹介します。 前世紀の末、80年代の後半から今世紀初頭にかけて、京都の錦市場を北に少し上った三条通りの一帯で、大量の桃山陶器が相次いで発掘された。東西200メートル程の通りを挟んだ四ヶ所の町屋跡から掘り出されたのは、瀬戸黒や志野、織部、信楽、備前、丹波、唐津、高取など、わずかに外来のものもあったが、主には国内で焼かれた茶陶およびその陶片数千点。このうち京都市指定文化財になったものだけでも千点近くに上る。古い地図や屏風絵の伝えるところによると、桃山時代から江戸にかけて、この場所は「せと物や町」といわれて、いくつかのやきもの屋が軒を連ねていた。全国の窯で焼かれたはずのやきものたちがひとところに集積されているのは、当時これらの茶陶には複数