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3.11 当時小学六年生 初めて経験する地面がうねる感覚、そこら中から鳴り響..
当時小学六年生 初めて経験する地面がうねる感覚、そこら中から鳴り響く地震速報の音。 全てが得体の知... 当時小学六年生 初めて経験する地面がうねる感覚、そこら中から鳴り響く地震速報の音。 全てが得体の知れないものだった。 そしてそこから毎日、毎時間、絶え間無くTV流れ続ける被害情報の映像。 瓦礫の山、押し寄せる津波、その後ろには大勢の1人の死の瞬間が確実に映っていた。 数年経ってから、3.11に限らず地震関する全てに強い恐怖を覚える自分に気づいた。 地震速報の音、地面から感じるかすかな揺れ、全てに異様なほど不安を感じる、手の震えが止まらない。トラウマそのものだ。 その恐怖の根底はやはり当時見たあの映像数々にあったと思う。 話は逸れるが、シン・ゴジラの映画を1人の死が大げさに描かれないからこそ感じる現実らしい恐怖があると評価している人がいた。その通りだと思った。 災害の中でも1人の死が大きく取り上げられるのは創作の世界だけ、現実はもっと淡々と一瞬ですべてが奪われていく。 そこに確かにあったもの
2018/03/12 リンク