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むめがゝにのつと日の出る山路かな - 芭蕉百句 100 haikus of Basho
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むめがゝにのつと日の出る山路かな - 芭蕉百句 100 haikus of Basho
むめがかにのつとひのでるやまじかな 元禄7年(1694)正月頃の作。早暁、山道を登っていたところ、ちょ... むめがかにのつとひのでるやまじかな 元禄7年(1694)正月頃の作。早暁、山道を登っていたところ、ちょうど昇ってくる朝日に遭遇したのである。折しも、側には梅が花を咲かせて良い香りを漂わせている。あたかもその芳香に誘われたかのように現れた日輪の場景に「のつと」という口語的なオノマトペによって悠然とした臨場感が巧みに醸し出されている。 ちなみに、以前、気功を極めた老女が舞を舞ったところ、清らかな梅の香りが辺りに広がったということを聞いたことがある。それは天地との交流を介して発せられた氣による現象だったのかもしれない。それ思うと、掲句に詠まれたものは、単なる情景ではなく、芭蕉の詩魂と天地の交流による詩境と言えるだろう。つまり、それは、雅な梅と朝日が「のつと」という俗的な表現によって、雅俗を超克した「天地人」の交流が体現されたものと思われる。そこに晩年の芭蕉が志向した「軽み」の至境が存するのだと思