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コロナ禍で人びとは「騒ぎすぎ」なのか - 擬似環境の向こう側
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コロナ禍で人びとは「騒ぎすぎ」なのか - 擬似環境の向こう側
「モラル・パニック」としてのコロナ禍 いつものようにツイッターを眺めていたら、評論家・思想家の東浩... 「モラル・パニック」としてのコロナ禍 いつものようにツイッターを眺めていたら、評論家・思想家の東浩紀氏による以下のツイートが目に入ってきた。 日本では感染者数も死者数も欧米に比べて累計では格段に少ない。それはいまも変わってないのに、ワクチンが進んだ欧米はすごい、コロナ前に戻っているみたいな報道が出回っているところに、日本におけるコロナ騒ぎの本質は現れている。すべては空気(心理)の問題でしかないし、みなそれわかっている。— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) 2021年7月7日 そうであれば、政府や専門家がやるべは、まずは「空気を無駄に悪化させない」こと。感染者数が多くなってもパニックが起きなければ冷静に対応できる。その点で一部専門家が医療崩壊を騒ぎ立てた第3-4波は最悪だった。五輪後にはパニックが起こらないようにお願いしたいが、さてどうか。— 東浩紀 Hiroki Azu