エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
家康を辿る城旅「長篠城」!武田の大軍から城を守り切れ…5百対1万5千の戦いの行方
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
家康を辿る城旅「長篠城」!武田の大軍から城を守り切れ…5百対1万5千の戦いの行方
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 い... こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、家康を辿る城旅「長篠城」!武田の大軍から城を守り切れ…5百対1万5千の戦いの行方です。 ■家康を辿る物語~長篠城攻防戦 元亀4年(1573年)、武田信玄死す。 武田方はその死を秘匿しましたが、徳川家康はその情報を把握し反撃に転じます。 徳川・武田の境にある奥三河の国衆を味方に引き入れ、奥三河の要衝・長篠城を攻撃。 同城を開城させると、再び徳川方に組み入れることに成功します。 一方、信玄の跡を継いだ武田勝頼も手をこまねいていませんでした。 天正3年(1575年)、1万5000の兵を率いて奥三河に侵攻。大軍で長篠城を包囲します。 このとき、長篠城は奥三河の国衆である奥平信昌が500ほどの兵とともに籠城していました。 奥平軍は寡兵ながら