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城ぶら「怒田城」!海の武士団・三浦一族の武運を拓いた海の城
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城ぶら「怒田城」!海の武士団・三浦一族の武運を拓いた海の城
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たち... こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、三浦一族が武運を切り拓いた海の城「怒田城」(神奈川県横須賀市)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!海の武士団・三浦一族の誇る天然の要害「怒田城」跡をめぐって、鎌倉草創期に思いを馳せます。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 怒田城(ぬたじょう)は、三浦氏によって築かれたと伝えられます。 築城年は不明ですが、平安時代末期に三浦為継によるという説もあります。 位置づけとしては、三浦氏の居城・衣笠城の支城。 海上活動を活発に行い「海の武士団」と呼ばれた三浦氏の根拠地であったと考えられます。 治承4年(1180)、源頼朝の挙兵に応じて出兵した三浦氏は、平家方の畠山重忠軍と遭遇、合戦となります。