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「幻華在目十四年」 ―秋田小町と犬養毅― - 書痴の廻廊
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「幻華在目十四年」 ―秋田小町と犬養毅― - 書痴の廻廊
正岡子規とて身体が自由に動いた頃は遊里にふざけ散らしたものだ。 況や犬養に於いてをや。 明治十年代... 正岡子規とて身体が自由に動いた頃は遊里にふざけ散らしたものだ。 況や犬養に於いてをや。 明治十年代半ば、犬養毅は特に招かれ、東北地方の日刊紙、『秋田日報』の主筆として活動していた時期がある。「才気煥発、筆鋒峻峭、ふるゝ者みな破砕せり」とて衆の威望を萃(あつ)めたものだ。 (秋田のなまはげ) それと同時に土地の名歌妓・お鐵にめちゃくちゃ入れあげて、交情熱烈大紅蓮であったのも、蓋し有名な逸話(はなし)であろう。 明治の青年たちにとり、艶彩迷酒の歓楽はほとんど通過儀礼の一種。酒で腸を焼き鉄拵えにするのと一般、娼妓(おんな)の肌に触れてこそ、志は磨かれる――と、大真面目に主張したとて誰も不審に思わない、大仰な倫理問題を惹起せずに赦される、そんな雰囲気、空気であった。 よって犬養木堂の、やがて大日本帝国の首相にまで登り詰めるこの人物の秋田時代の行状も、不真面目なりと責められるには及ばない。後ろめたさ