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これが「大学病院」の闇…「第一外科vs.第二外科」18人もの患者が死亡した医療事故の裏で起きた医師たちの「権威闘争」(高梨 ゆき子)
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これが「大学病院」の闇…「第一外科vs.第二外科」18人もの患者が死亡した医療事故の裏で起きた医師たちの「権威闘争」(高梨 ゆき子)
群馬大学医学部附属病院で腹腔鏡手術を受けた患者8人が、相次いで死亡していた。 2014年、読売新聞のス... 群馬大学医学部附属病院で腹腔鏡手術を受けた患者8人が、相次いで死亡していた。 2014年、読売新聞のスクープ記事から、医学界を揺るがす大スキャンダルが明らかになる。亡くなった患者・8人の手術は、いずれも早瀬(仮名)という40代の男性医師が執刀していた。院内調査によって、開腹手術でも10人が死亡していたことが発覚。技量の未熟な早瀬が、超一流外科医でも尻込みすると言われた高難度の最先端手術に挑んだのはなぜなのか。 「白い巨塔」の病理と、再生への道のりを、話題書『大学病院の奈落』(高梨ゆき子)より取り上げる。 群馬大学病院の外科は、多くの大学病院が伝統的にそうであるように、大学教授の率いる講座ごとのナンバー制をとり、第一外科と第二外科に分かれていた。第一外科は1944年、医学部の外科学講座教授をトップに診療を始めた。第二外科はそれに遅れること10年、1954年に別の教授が新しく開設した講座を母体