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「親日」だからと甘えていいのか…戦争の記憶が薄れゆく日本人に、かつての「戦場」に住む人々が抱いている「意外な本音」(遠藤 美幸) @gendai_biz
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「親日」だからと甘えていいのか…戦争の記憶が薄れゆく日本人に、かつての「戦場」に住む人々が抱いている「意外な本音」(遠藤 美幸) @gendai_biz
「戦友会」と聞いてピンとくる人は、どれだけいるだろう? 慰霊や親睦のために作られた元将兵の集まり... 「戦友会」と聞いてピンとくる人は、どれだけいるだろう? 慰霊や親睦のために作られた元将兵の集まりだが、その「お世話係」として参加し、戦場体験の聞きとりをつづけてきたビルマ戦研究者がいる。それが遠藤美幸さんだ。 家族でないから話せること、普段は見せない元兵士たちの顔がそこにある。『悼むひと 元兵士と家族をめぐるオーラル・ヒストリー』(生きのびるブックス)から、その一端をご紹介したい。世界中がキナ臭い今、戦争に翻弄された彼らの体験は何を教えてくれるのか。 元日本兵の慰霊を続ける村 戦後七十数年ともなれば戦争の記憶の風化はもはややむを得ない。ビルマ戦場跡の各所に建てられた旧日本軍の慰霊碑や墓碑は現地社会に根ざすことなく次第に忘却され、慰霊巡拝に訪れる人もそれを管理する人も減少し経年劣化は進んでいる。2007年を最後に中村さんが行けなくなってから、ウェトレット村に日本人の慰霊巡拝者はほとんど来なく