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いつの間にか日本政治の中枢に浸透した「宗教右派」の源流(島田 裕巳) @gendai_biz
戦後になっても谷口は、「日本は戦争に負けたのではない」と、敗戦を合理化した。 そして、東西冷戦の時... 戦後になっても谷口は、「日本は戦争に負けたのではない」と、敗戦を合理化した。 そして、東西冷戦の時代が訪れ、保守と革新、右翼と左翼の対立が激しいものになると、戦前の天皇崇拝や国家主義、家制度の復活などを主張するようになり、保守勢力に支持された。 1964年には、「生長の家政治連盟」を組織して国会に議員を送り込んだ(所属は自由民主党だった)。 1966年には、「生長の家学生会全国総連合(生学連)」が組織され、これは左翼の学生運動と激しく対立した。当時、谷口は、左翼の学生運動を生んだ原因として戦後の憲法体制を激しく攻撃した。谷口の主張は、明治憲法の復活であった。 政治思想を持つ教団 新宗教が政治にかかわる例はある。 戦後すぐの時期には、天理教なども国会に議員を送り込んでいる。その後は創価学会が公明党を組織し、その公明党は現在自由民主党と政権を組んでいる。国会にはまだ議員を送り込んでいないが、幸
2020/09/12 リンク