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出世街道を外れたエリートが、伯父や義父と「争族」を繰り広げた理由(乃至 政彦)
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出世街道を外れたエリートが、伯父や義父と「争族」を繰り広げた理由(乃至 政彦)
平将門といえば、東京・大手町の超高層ビル群の合間にある〝首塚〟の存在がよく知られているが、平安時... 平将門といえば、東京・大手町の超高層ビル群の合間にある〝首塚〟の存在がよく知られているが、平安時代、中央政界きっての有力者と主従関係を結んでいた彼は、まぎれもなく屈指のエリートだった。にもかかわらず、のちに一族間で血で血を洗う「争族」を繰り広げ、無位無官のまま生涯を終えたのはなぜなのか。『平将門と天慶の乱』(講談社現代新書)の著者・乃至政彦氏による論考。 平将門と承平の乱 このたび上梓した新刊は『平将門と天慶の乱』(4月10日ごろ発売)というタイトルだが、本稿ではその「天慶の乱」より前の「承平の乱」前夜を見てもらいたい。 平将門が関わった争乱は、私闘である〝前期〟の「承平の乱」と、朝廷への謀反である〝後期〟の「天慶の乱」に大別される。 承平の乱は、通説では将門の私闘と見られているが、よく見返してみると、単なる利害や怨恨の問題から起こった争乱ではない。 これは、ローカルルールですべてを押し切