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ゴーンが本当に凄かった時代…彼は日産も、私の記者人生も変えた(井上 久男) @gendai_biz
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ゴーンが本当に凄かった時代…彼は日産も、私の記者人生も変えた(井上 久男) @gendai_biz
レバノンに不法出国して逃亡した日産自動車前会長のカルロス・ゴーンは総じて「名経営者だった」と言わ... レバノンに不法出国して逃亡した日産自動車前会長のカルロス・ゴーンは総じて「名経営者だった」と言われることが多い。だが果たして、ゴーンは本当に優れた経営者だったのか──。 その点を検証するには、ゴーンの来日から逮捕までを、日産の中期経営計画をベースに3つのフェーズに分けて見ていく必要がある。拙著『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』から一部抜粋、それに加筆しながら前編と後編の2回に分けて説明していく。 日産の「体質」を変えた男 ゴーンは1999年春に来日し、日産の経営トップとなり、再建を指揮した。当時の日産は債務超過目前で、模索していた独ダイムラー社との提携交渉も立ち消えとなり、倒産の2文字がちらつく状況だった。そこへ乗り込んできたのが、日産が電撃的に提携を決めた、仏ルノー副社長のゴーンだった。 ゴーン改革の代名詞ともなったのが、最初の中期経営計画「リバイバルプラン」(00~01年度)だ。