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鶴亀算で誰でも体感できる数学の「威力」と「限界」(竹山 美宏)
「楽しさ」を目的としない数学? 小学校の算数から、中学校そして高等学校の数学。私自身は、幸運なこと... 「楽しさ」を目的としない数学? 小学校の算数から、中学校そして高等学校の数学。私自身は、幸運なことに、大きくつまずくことなく勉強を続けられた。 その最大の理由は、数学の問題を解くことそれ自体が楽しかったからだと思う。 楽しさは、人を行動に促す強い動機となり得る。数学の学習そのものに楽しさを見出せるのなら、難しい事項に出会っても、なんとかしてそれを理解しようという意欲がわいてくるだろう。 しかし、数学を学ぶのに、「楽しさ」以外の動機はあり得ないのだろうか。 仮にないのだとしたら、「楽しめない人は数学を勉強しなくてよい」と簡単に割り切れる。しかし、たとえば『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』(キャシー・オニール著、久保尚子訳、インターシフト)で指摘されているように、数学(およびそれを使った統計学)がかなり直接的に、私たちの生活や社会に大きな影響を及ぼし得るのだとしたら、そ
2020/02/04 リンク